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第四章 第23話:蜘蛛糸は白き女神を追いかけて。

              ──あらすじ──


ザハールでの滞在を終え、別れの時を迎えたルミナスたち。

仲間たちと別れの言葉を交わす中、最後に現れたのは、

仕立て屋の少女・レシェナだった。

思いがけない彼女の決意と告白が、ルミナスの心を揺らし――

やがて、少女たちはそれぞれの「覚悟」と向き合うこととなる。

ルミナスは提示された金額を聞いた瞬間、その場で思考がフリーズしていた。


「いちおく……ごせんまんマーニ……? えっ、えっと……諭吉が……諭吉がいっぱい……」


日本円に脳内換算しようとして、彼女の思考リソースは完全に停止状態。

頭の中で札束の行列がぐるぐると踊っている。


「ユキチってなに!? っていうか、なんでそんなに高いの!? 原価おかしくない!?」


横で叫ぶフェリスのツッコミも、もはやルミナスの耳には届いていない。


「……ルミナス様のためなら、私は……私は……!!」


セシリアはどこか天を仰ぐようにして、何かを決意するように小さく呟いた。


そんな三者三様の反応を見て、レシェナは口元に手を当て、くすりと笑う。


「ふふっ……冗談よっ。お代はいらないわ」


一斉に、ルミナスたちの視線がレシェナに集中した。


「えっ!? ほんとに!?」


「あともう少しで押すところでした……!」


セシリアの手には、すでに拇印を押す直前だった手書きの契約書が握られていた。


「ミレイユのお願いだもの。それに、ルミナスさんに私の服を着てもらえるなら、無償で提供するわ」


その一言に、ルミナスは胸を撫で下ろし、フェリスは肩の力が一気に抜けたように大きな溜め息をついた。


「よ、よかったぁ〜……」


「も、もうっ! 本気で驚いたじゃないっ!」


セシリアはそっと契約書を丸め、メイド服のポケットにしまい込む。


レシェナは静かにガラスケースの鍵を外し、中から一体の人形を取り出した。


「……でも、その値段に嘘はないの」


コトン、と控えめな音が響く。


その人形は、青いドレスを身にまとい、繊細な装飾が全身に施されていた。

目に使われた宝石はゆらゆらと輝き、まるで内部に魔力の波が揺蕩っているかのよう。


「このお人形には、病除けと呪い除けの効果があるのよ。この子だけでも、一人三千万マーニ」


「さ、三千万マーニ!? ……でも、確かに……置いただけで空気が澄んだような感じがする……」


フェリスがぽつりと呟くように言った。


レシェナは人形を優しく元の場所に戻し、静かに語り出す。


「どうしてこんなに値段が高いのか――それはね、スピナの糸で織ったドレスには、“魂が宿る”から」


「魂が……宿る!?」


ルミナスたち三人の目が一斉に見開かれた。


「ええ……だけどその魂が“もともと何だったか”は、私にもわからない。けれど、人形が完成するその瞬間に、“何か”がそこに入っていくの。私はそれを“形魂けいこん”って呼んでるわ」


レシェナはうっとりとした表情で人形に視線を落とす。


「だから、この子たちを安売りなんてできない。本当は手放したくもないけど……でもね、この子たちから伝わってくるの。“誰かの役に立ちたい”って。強い想いが、確かに響いてくるのよ。だから私は、この値段で世に送り出してるの」


ルミナスは、自分の着ている衣服に視線を落とし、ふと疑問を口にする。


「形魂……。ってことは、この衣装にも魂が宿ってるの?」


レシェナは小さく頷いた。そしてまっすぐに、ルミナスの瞳を見つめる。


「少しだけ違うけれど――そうね。その衣装には、“あなたの魂”と繋がってるわ」


「わ、私の魂!?」


ルミナスはハッとして、思わず自分の服をまじまじと見つめた。


ルミナスは、自身が今まさに着ている衣服にそっと視線を落とした。

その手で生地に触れ、胸元を見つめるようにして、静かに言葉を漏らす。


「……これに、私の魂が……?」


驚きと戸惑いがない交ぜになったような顔で呟くルミナスに、レシェナはやわらかく微笑み、優しい声で語りかけた。


「ふふっ……安心して。怖がることはないわ。ここに宿っているのは、あなたの“気持ち”や“想い”……つまり、あなたという人を形づくっている優しさや決意、そういうものよ」


「そ、そっか……。てっきり脱いだら魂ごと持ってかれるんじゃないかって、ちょっと焦ったよ……」


胸を撫で下ろしながら笑うルミナスに、レシェナは小さく頷いて話を続けた。


「それで、この衣服がなぜ“そんなにも”高価なのかというと……それは、あなたが結んだ魂が、あまりに特別だったから」


「私の魂が……?」


「ええ。本来この衣服の材料費や手間を考えたら、せいぜい二万マーニ。でも、あなたの魂が宿った今となっては……価値に換算するなら一億五千万マーニ。今の世の中で人間が支払える、ほぼ限界の額ね」


さらりと告げられたその事実に、ルミナスは小さく息を呑んだ。


「……それって、そんなに……?」


「ええ。以前、ある貴族にドレスを仕立てたことがあるの。その時に見た魂の価値は、およそ一千五百万マーニ。

それでも充分すぎるくらいの輝きだったけれど、あなたのは……比べものにならないくらい“光”を放っていたわ」


レシェナの言葉には誇張や冗談の色がまったくない。まるで事実を淡々と語るかのような落ち着きすらあった。


その静けさに、ルミナスはふと疑問を抱く。


「ねぇ、もしかして……レシェナさんって、人の“魂”が見えるの?」


問われたレシェナは、ゆっくりと小さく頷いた。


「ええ。さっき、ブローチに血を垂らしてもらったでしょ? あれは、あなたとこの衣服を“切れない糸”で結ぶ儀式なの。魂と衣を繋げるという意味でもあるの」


ルミナスは自分の胸元にあるブローチへ視線を移す。


「その時ね――見えたの。あなたの魂の光が。過去に貴族や人形に触れてきた時にも同じ儀式をして、魂の“輪郭”を感じ取ったけど……」


レシェナは一度深く息を吸い、静かに吐き出す。


「ルミナスさん、あなたの魂は――奔流だった。黄金にも銀にも例えられないような光の奔流が、まるでこの世界そのものを包むように広がって……。正直、神様の魂ってこういうのかなって、そう思った」


その言葉に、ルミナスの脳裏に、神アルヴィリスが語っていた“魂の重さ”の話がよぎる。


(……魂の、重さ)


ルミナスの視線を見つめ返しながら、レシェナは静かに微笑む。


「だから、この値段なのよ。もう、金額で価値を決めるなんて意味がないくらいに、あなたの魂は圧倒的だった。……だからこそ、あたしはお代なんていらない」


「えっ……?」


「こんな素晴らしい魂の持ち主に、自分の仕立てた服を着てもらえる――それだけで、職人としては十分よ。むしろ、誇りに思うくらいにね」


ルミナスは少し目を潤ませながら、柔らかく笑い、深く頭を下げた。


「……ありがとう、レシェナさん。この衣装、大事にする。絶対に、私の一部にするね!」


その言葉にレシェナは頷き、優しく返す。


「うん。きっとこの服も、あなたに着てもらえて喜んでるはずよ」


ルミナス、セシリア、フェリスの三人は、名残惜しげにレシェナに手を振りながら、宿屋へと帰路についた。


賑やかだった「月糸の家」が再び静けさを取り戻す中、レシェナは一人、

去っていく彼女たちの背中を見つめていた。


その表情には、どこか考え込むような影が落ちている。


「…………」




──ザハール自由連邦国・宿屋。


ルミナスたちは、ミレイユが待つ宿屋の前に辿り着き、扉を開いた。


──ガチャッ!


「ミレイユさーん!戻ったよー!」


その声に反応し、二階から足音を立てて駆け下りてくる少女の姿。


「きゃあああああっ!!」


──だきっ!


  ──ぎゅうぅぅぅ!!


「おふっ!?」


勢いよく階段を降りてきたミレイユは、ルミナスの姿を見るなり歓声を上げ、飛びつくように抱きついた。

服の感触を確かめるようにルミナスの肩に両手を添え、じっくりと見つめる。


「可愛いぃぃぃ!! すっごく似合ってるじゃない!ルミナスちゃん! やっぱりレシェナに頼んで正解だったわ!!

もうザハールで一番ステキな女性って言っても過言じゃないくらい!!」


目をキラキラと輝かせるミレイユの熱量に、ルミナスは思わず照れ笑いを浮かべる。


「え、えへへ……ありがと……」


その様子を見ていたフェリスが、ふと思い出したように口を開いた。


「……あんた、街中でかなり目立ってたわよね。通行人の注目を浴びまくって、私とセシリアなんて、もう完全に“姫様の護衛”みたいな扱いだったんだから」


その言葉に、セシリアはむしろ誇らしげに胸を張って返す。


「当然です。ルミナス様は神にも等しいお方なのですから、民が群がるのは至極自然なことです」


「はあ……そ、そうですかぁ……」


フェリスは半眼になりつつ、軽くため息を吐いた。

そしてこの日はルミナスの大好きなカーレムが食卓に並んだのだった。

(あ……白い服だから気をつけて食べないと……!!)



──翌々日



──そうして、賑やかに過ぎていったザハールでの滞在も、ついに別れの時を迎える。


王宮から宿屋に至る道の先、街の東門には、ルミナスたちの出立を見送るため多くの人々が集まっていた。


グラン王、ハキームとその家族、ミレイユにナリ兄弟、そして街の住民たち。

ザハールを代表する面々が揃って立つ中、ただ一人――レシェナの姿だけが、そこにはなかった。


グラン王が一歩前に出て、深く頭を下げる。


「ルミナス殿。あなた方が我が国に来てくださったことで、ザハールにはかつてない活気が戻りました。

……心より感謝いたします。そして、縛魂の魔石、どうか人類の未来のためにお役立てください」


続いて、ハキームとその家族が一斉に頭を下げる。


「ルミナス様……この数日間は、まるで夢のようでした。エルディナへお戻りの際も、どうかお身体にはお気をつけて……!」


ハキームの妻は、娘のアーシャをしっかりと抱きながら、にっこりと手を振る。


「女神のお姉ちゃん、バイバーイ! また遊びに来てねー!」


その愛らしい声に、ルミナスは優しく微笑んで手を振り返す。


そして、ナリ兄弟が鼻をすすりながらルミナスに向き直る。


「うぅぅっ……ルミナスの姉御ぉぉっ!!どうかご無事でぇぇぇ!!」


「妹のカーレム大好きっ子にもよろしく伝えてくだせぇぇぇ!!」


その騒がしさに笑いながら、ミレイユはそっとルミナスの手を取り、そして抱きしめる。


「ルミナスちゃん……! あなた達は、いつでも帰ってきていいんだからね……! 

今度来たときは、大好きなもの、いーっぱい作っておもてなしするんだからっ……!」


ルミナスも強くミレイユを抱きしめ返す。


「うん……ありがとう、ミレイユさん」


別れの挨拶が一通り終わり、ルミナスはふとあたりを見渡す。


「あれ……? レシェナさんは来てないのかな?」


その問いに、ミレイユは少し困ったような表情で肩をすくめる。


「もう……あの子ったら。人が多い場所は苦手だって、引きこもってるのよ、たぶん」


そんなやりとりをしていると、セシリアがルミナスの傍らに近づき、出発の準備が整ったことを報告した。


「ルミナス様、荷物の積み込み完了しました。いつでも出発できます」


「うん。……じゃあ、ミレイユさん。レシェナさんに伝えてくれる? また今度──」


ルミナスが出発の言葉を口にしようとした、その瞬間だった。


「──ちょっと待ってぇぇぇ……!!」


──ガラガラガラガラッ!!


乾いた車輪の音が石畳を走る。振り返ったその先には、荷物を山のように積んだ台車を押しながら必死に駆けてくるレシェナの姿があった。


「レシェナさん……!?」


ルミナスが目を見開く中、レシェナは息を切らせながら一行の前にたどり着き、膝に手をついて深く息を吐いた。


「はぁ……はぁ……間に合った……」


ミレイユは荷物の量にたじろぎつつ、目を丸くして問いかける。


「レ、レシェナ……!? その荷物……どうしたのよ!? まさか……!?」


レシェナは一呼吸ついてルミナスの目を真っ直ぐに見据える。

そして、はっきりと宣言した。


「ルミナスさん……あたしもエルディナ王国についていくわ」


「──っ!?」


その言葉に、ルミナスたちは声を失い、一斉に彼女を見つめた。


「レシェナ……!? それじゃ、あの家はどうするの……!? 

それに……シェレーヌちゃんは!?」


ミレイユの問いに、レシェナは静かに、しかし確かな決意のこもった声で応える。


「……考えたの。シェレーヌは“帰れない”んじゃなくて、“帰らない”んじゃないかって。ルミナスさんと会って、そして……あの子の話を聞いて、そう思ったの」


彼女の表情には悲しみと覚悟がにじんでいた。


「きっと、シェレーヌはルミナスさんに惹かれて……あたしのもとに戻ってくる気がするの。だから、あたしは――」


レシェナは胸元に手を当て、言葉に力を込める。


「ルミナスさんの専属の仕立て屋になる。もっと素敵な服を作って、もっとルミナスさんを輝かせてみせる……! それが、今のあたしにできることだから!」


「レシェナさん……」


ルミナスは、レシェナのまっすぐな覚悟の言葉を前にして――それでも、すぐに手を差し伸べることができなかった。


シェレーヌは、いずれ自分の前に現れる。

だがそれは、かつての妹ではない。魔族として、敵として、ルミナスの前に――。


今の彼女が、レシェナのことを覚えている保証はどこにもない。

それでも、なおもレシェナはついてくるという。

その重すぎる覚悟に、ルミナスは迷い、そして心の奥で揺れた。


「……レシェナさん、その想い、確かに受け取ったよ」


静かに、けれど真剣にルミナスは口を開く。


「でも、覚えておいて。私たちと共に行けば、これからあなたはもっと辛い現実と向き合うことになる。――あなたが想像している以上に、苦しいかもしれない」


そう告げるルミナスの瞳は、まっすぐにレシェナを見据えていた。


「この先、私が話すのは本当のこと。でも……それを聞けば、きっと後悔するかもしれない。傷つくかもしれない。それでも……それでも、あなたは私たちと一緒に来る?」


レシェナはしばし言葉を失い、視線を彷徨わせる。

やがて、震える両手を胸元で固く握りしめ、静かに、しかし力強く頷いた。


その仕草に、ルミナスは短く息を吐き、覚悟を決める。


「……わかった。なら、話すよ」


ルミナスはレシェナをまっすぐに見つめながら、口を開く。


「あなたの妹――シェレーヌのことを」


──ザハールの入口にて。

一人の少女は、もう逃げないと決めた。

そして、ルミナスもまた、その想いに応えて真実を告げる。

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