第四章 第22話:女神の衣は蜘蛛の糸
──あらすじ──
月糸の家に足を踏み入れたルミナスたちを待っていたのは、
職人レシェナと──小さな相棒“スピナ”。
神の衣を求めて紡がれる糸と想い。
少女たちの笑いと驚きに包まれながら、“特別な一着”が今、魂を宿す──!
──ザハール自由連邦国・月糸の家
レシェナが手をパンと叩くと、天井の梁の隙間から
一匹の魔獣がひらりと舞い降りた。
その姿は、りんごほどの大きさをした白と黒のまだら模様を持つ
──蜘蛛のような魔獣だった。
「ひ、ひぃっ!? アラクニエ!? な、なんでこんな所にいるのよぉっ!?」
真っ先に悲鳴を上げたのはフェリスだった。
顔を引きつらせ、慌ててセシリアの背後に隠れる。
「なるほど……天井に張ってあった巣は、
このアラクニエ……いえ、“スピナ様”のものだったのですね」
セシリアは落ち着いた声で状況を読み解く。
「な、なんであんたは虫平気なのよ……っ!」
フェリスが涙目で叫ぶ横で、レシェナが微笑みながら説明する。
「この子は“スピナ”。私が生まれる前から一緒にいる大切な相棒よ。人間には害を与えないから安心して」
ルミナスはレシェナの肩に乗るスピナを見つめ、ふんわりと笑みを浮かべる。
「……よろしくね〜……スピナ〜……」
そう言いながら、そっと人差し指を伸ばしたその瞬間──
──ピョンッ!
「わっ!?」
スピナはルミナスの指先に触れることなく、ふいに跳ね上がり、彼女の頭の上へと軽やかに着地した。
「えっ……?」
「……うそ。スピナが……あたし以外の人に自分から乗った……!?」
驚きに目を丸くするレシェナ。その肩から飛び移ったスピナは、ルミナスの頭の上でくるくると踊るように回っている。
「すごいなぁ……気に入られちゃった?」
ルミナスがそう呟いた横で、フェリスがセシリアの背後からそろそろと顔を出す。
「へ、へぇ……ちょっと見慣れてきたら……可愛く見えてきたかも? 意外と触っても平気だったりして……」
恐る恐る手を伸ばし、ルミナスの頭にいるスピナに指を近づけた──その瞬間。
──ぶしゅぅぅぅっ!!
「ぎゃあああああああああっっ!!!??」
鋭く放たれた糸がフェリスの顔面を直撃した。
「きゃあああっ!? ちょ、ちょっと!? な、なによこいつぅぅぅぅ!!」
糸をばしばしと手で払いながら、フェリスは全力でセシリアの背中に隠れ直す。
「……いつもは、こうなるのよ。ミレイユなんて、スピナに懐かれるまで半年かかったわ」
レシェナが苦笑混じりにそう言うと、スピナは何事もなかったかのように彼女の肩へと戻り、器用に体を丸めて座った。
やがて、レシェナは手紙の内容に触れながら視線をルミナスの服に移す。
「それで……手紙に“時々小さくなっちゃうから、特別な服を”ってあったけど……その子ども服と何か関係があるの?」
少し首をかしげながら、ルミナスの今着ているサイズの合っていない服を指さす。
ルミナスは頷くと、少し照れくさそうに口を開いた。
「うん……じゃあ、ちょっと見てもらった方が早いかも……」
そして右手を胸に添え、小さく呟いた。
「──神芽顕現」
──ファァァァ……!!
淡く神聖な光がルミナスの身体を包み込む。
──バサァァァッ!!
次の瞬間、その身を覆うのは一切の穢れを寄せ付けない、神の気配を纏った“神纏い”の姿だった──。
「──!!! え!? えぇ!? ルミナスさん!? あなた、もしかして……女神様!?」
目の前で神纏い化を果たしたルミナスを見て、レシェナは思わず目を見開いた。
純白のオーラがその身を包み、白く輝く天使のような翼がふわりと背から広がる──まさに神話から抜け出したような姿だった。
「女神ってわけじゃないんだけどね……。でも、この姿になると、たまに身体が小さくなっちゃうの」
少し恥ずかしげにそう言いながら、ルミナスは手を広げて見せた。
信じがたい話だが──その姿を前に、疑う余地などどこにもない。
レシェナはしばし呆然と見つめたあと、ポツリと漏らす。
「……き、綺麗……。それなら……その服の理由にも納得がいくわ……」
彼女の目が、だんだんとキラキラと輝き始める。まるで宝石でも見つけたかのように。
「それとね、レシェナさん。ここ、見て?」
ルミナスはくるりと背を向け、自身の服の背中──大きく裂けてしまった部分を見せた。
「羽根が生えてくるとね、こうやって服が破れちゃうんだ。気づいたら、ビリビリに……」
「なるほど……!」
レシェナはすぐに作業机へ向かうと、紙と鉛筆を取り出し、勢いよくデザインを書き始めた。
「羽根が出る部分は開閉式にして……背中のラインは少し上げて……布地は伸縮性があるものがいいわね……」
ぶつぶつと呟きながら、流れるような手つきでスケッチを描いていく。
「ルミナスさん、ちょっと失礼するわね?」
そう言って彼女はメジャーを取り出し、ルミナスの胸元から腰、股下まで次々と採寸を始めた。
──ビィィィー……
「うひゃっ!? くすぐった……」
「じっとしてて。完璧な服を作るには、寸分の狂いも許されないの」
手際よく計測を終えたレシェナは、満足げに頷くと、ふっと優しい微笑を浮かべる。
「……本当は、人形以外の服なんて、あたしは作りたくなかったのよ。でも……ルミナスさんだけは特別」
「特別?」
「こんなに完璧な素材、見逃すなんて職人として失格でしょ?」
そう言ってレシェナは作業椅子に腰掛け、スピナへと合図を送った。
「スピナ!! こんな仕事、一生に一度あるかないかよ! 魂込めて作るわよ!!」
『ぴきぃぃぃ!!』
小さく鋭い返事とともに、スピナが尻から一本の糸をぴゅるるっと放出し始める。それをレシェナは糸巻き機で手際よく巻き取り、すでに描いた型紙に従って生地を織り上げていく。
──ヒュン! ヒュン! ヒュン! ヒュン!
「よし、次のパーツ行くわよ!」
『ぴぃきぃぃ!』
蜘蛛糸が機械のように吐き出され、レシェナの指先が躍るように動く。まるで魔法のような手つきで、服のパーツが次々と仕上がっていった。
「す、すごい……!! とんでもない速さで……!」
「これは……まさに神業ですね……」
「私……虫苦手だけど……これはずっと見てられるかも……」
フェリスも思わず見入ってしまうほど、その作業は見事だった。
やがて、約30分ほどでパーツの製作はすべて完了。
「ふぅ……よし、パーツはこれで終わり。あとは色づけね」
レシェナは作り上げた生地を抱え、奥の部屋へと移動する。ルミナスたちも後ろをついていくと、そこにはいくつもの木桶が並べられていた。
「ここが染色部屋よ。あの糸は薬液と魔力で色が定着するの」
手際よく手袋を装着したレシェナは、生地をひとつひとつ丁寧に液体へと浸し、染めていく。
──数十分後。
「よし、こんなもんでしょ」
生地をしっかりと絞って取り出し、水で洗ってから干し、続けて乾燥魔具にかけていく。
その間もレシェナの手は止まらない。今度は作業台へ戻ると、装飾用のフリルやレースを仕立て始めた。
「ルミナスさんって、きっとこういう細かい飾りが似合うのよね……ふふふ……」
スピナの出す糸は柔らかい絹糸のような質感のものから、やや硬質な糸まで幅広く、用途に合わせて自在に操られる。
ニードルを使い、型紙に沿ってレースを刺繍していくレシェナの姿は、まさに芸術家のそれだった。
「ほぇぇぇ……レシェナさんの手際もすごいけど……こんな綺麗なものが、目の前で作られていくなんて……!」
目を輝かせるルミナスの言葉に、レシェナの頬がわずかに染まる。
「そ、そう……? へ、へんなこと言わないでよ……見られてると……恥ずかしいじゃない……」
それでも彼女の手は止まらない。むしろその頬の紅潮は、今まさに“創作”に心を燃やしている証だった。
──チンッ!
奥で乾燥魔具の完了を告げる音が響く。
「ん、乾燥が終わったわね」
そう呟いたレシェナは席を立ち、いよいよ縫製作業へと取りかかろうとしていた──。
そして遂に完成した衣装を、レシェナはそっとマネキンに着せて見せた。
上半身は白を基調とした襟付きのドレスシャツ。
襟や袖には、花や星をかたどった紫の繊細な刺繍が施されており、
見る者に優美で幻想的な印象を与える。
襟元には控えめながらも可憐なフリルが添えられ、
清楚さと少女らしさが絶妙に共存していた。
ドレスの裏地には淡い水色が差し込まれており、
動くたびにちらりと覗くそれは、まるで氷の精霊の吐息のような、
美しいコントラストを描いている。
腰には、実用性を兼ね備えた二本のベルトが巻かれていた。
一つは落ち着いた茶色のレザー製、もう一つは深海のような青色を湛えた、
スピナの糸で編まれたベルト。
それぞれにポーチや小型武器用のホルダーが付属しており、
戦場でも即座にアクセス可能な工夫が凝らされている。
スカートは視線を奪うアシンメトリーな多層フリル仕立て。
白と藍色の生地が交互に重なり合い、波のように広がるその形状は、
見る者に舞踏の幻想を思わせる。
裾は右が短く、左へ行くにつれて優雅に長く伸びており、
歩くたびにひらりと軽やかな音を立てた。
それはまるで、戦うための幻想舞踏衣。
美しさだけでなく、確かな実用性と力強さが備わった、
戦場を舞う者の装いだった。
「あたしのドール服のこだわりはね? 布を使わず、全部スピナの糸だけで仕立てることなの」
レシェナが胸を張って語る。
「それと、ミレイユの手紙にあった通り、動きやすさにも徹底的にこだわってあるわ」
「わぁ……!! 可愛い!! それに……冒険者っぽいっ!」
ルミナスは目を輝かせながら、マネキンの周りをくるくると回った。
その様子に、セシリアとフェリスも感嘆の声を漏らす。
「これは……! ルミナス様の神々しさがより一層際立ちます……!」
「うん、すっごく可愛いけど……目立ちすぎるくらいね……」
そんな中、レシェナが紫色の宝石のような丸いブローチを差し出してきた。
「これは……?」
「最後の仕上げよ。ルミナスさん、ここにあなたの血を一滴垂らせば、この服はあなただけのものになるわ」
作業台にブローチを置きながら、レシェナが説明を続ける。
「スピナの糸は特殊な魔力で編まれていて、所有者の魔力を受けて初めて本来の性能を発揮するの」
実演として、余った糸を使った生地に魔力を流すと──
──ぐぐぐっ……
レシェナが生地に魔力を流すと、余った布がうねるように動き出し、滑らかに形を変えていった。
「この糸でできた生地は、所有者の魔力に反応して自在に伸縮するの。小さくなっても、勝手にサイズを合わせてくれるわ」
そう言ってレシェナは衣装の背面に回り、背中の構造を指差しながら説明する。
「それと──羽根が出ると服が破けるって話、あったでしょ?」
パッと見は普通の縫い目に見える部分に指をかけると、そこには巧妙に隠された開閉可能なスリットがあった。羽ばたく瞬間に自然と展開し、干渉しないよう設計されている。
「この部分、スリット構造になってて、羽根が干渉しないようになってるの。見た目にも影響ないでしょ?」
「……すごい……!!」
感動に目を潤ませながら、ルミナスは思わずレシェナの手をぎゅっと握る。
「ありがとう!! 本当にありがとう!! こんな素敵な服を作ってくれて……!」
「う……うん。そ、そう言ってもらえると……嬉しいかな……」
照れたように頬を染めつつ、レシェナは視線を逸らす。
そして話は再び、仕上げのブローチへと戻る。
「さて、ルミナスさん。このブローチにあなたの血を一滴垂らせば、魔力で織られた衣装があなたの魔力にだけ反応するようになるわ」
そう言いながら、レシェナは引き出しから細い針を取り出してブローチの前に差し出した。
「わかった!!」
──ズブッ!!
勢いよく針を突き刺すルミナス。
「ちょっ!? ルミナスさん!? 刺しすぎ!!」
「ルミナス様!? 勢いがよすぎでは!?」
「ちょ、なにしてんのよ!? 血、出しすぎでしょ!!」
慌ててルミナスは、血がにじむ手のひらを全員に見せた。
「ご、ごめんごめん! ほらっ! もう治ったから!! ねっ!?」
実際、傷はすでに塞がっており、肌は元どおりになっている。
「……えっ!? 一瞬で治った!?」
レシェナは目を丸くして驚き、思わず言葉を失う。
「あ〜……私、傷の治り早いほうだから〜……」
「それ説明になってないわよ……」
「あぅ……」
フェリスの鋭いツッコミに肩をすくめながらも、ブローチはルミナスの血を吸収し、薄く紫がかった光を放った。
それを見届けると、レシェナは少しだけ黙り込んでルミナスを見つめた。
──そして、ついに衣装を身にまとう時がやってきた。
ルミナスはレシェナに用意された仕切りの裏で着替えを始める。
「あ、レシェナさん……! これ、着方がちょっと……」
「わかったわ、今行くから」
レシェナの手を借りながら、着替えを終えたルミナスが、そっと仕切りの向こうから姿を現す。
「じゃーんっ!! どう? 似合ってる!?」
──パチパチパチッ!!
セシリアは立ち上がり、思わず拍手を送った。
「素晴らしい……! 眩しすぎて直視できないのに、美しすぎて目が離せない……その矛盾に、私は今、苛まれています!!」
「おお〜……。飾ってある時は派手だと思ったけど、着てみると……いや、すっごく似合ってるわ……」
ルミナスはくるりと一回転して、ポーズを決める。
「ふふーん♪ すっごく動きやすいし、軽いの!」
「それじゃあ、レシェナさん──羽根、出してもいい?」
「ええ、もちろん!」
ルミナスは微笑みながら、静かに手を胸元へと添える。
「──神芽顕現!」
──ファァァァッ……!
純白の光が彼女を包み込み、ふぁさぁっと音を立てて背中から翼が広がる。
衣服の背面スリットが自然に開き、羽根は美しい曲線を描いて宙へと舞い上がった。
「……すごい……! やっと服を破かなくて済むんだ……!」
その様子を見たセシリアは、その場にしゃがみ込み震えながら言った。
「くっ……ここまでの破壊力とは……さ、さすがルミナス様……!」
フェリスは冷静に横目でそれを見ながら呟く。
「あー……いつものやつね」
だがその次の瞬間、レシェナが限界を迎えた。
「あああああっ……!! なんて……なんて美しいの!? 完璧すぎるわ……! くぅ〜〜っ!! あたしのコレクションにできないかしら……!?」
天井を仰ぎながら叫ぶレシェナ。
「なんなのこの人たち……!!」
そして、ルミナス専用の衣装がついに完成。
──だがその直後、レシェナの口から飛び出したのは、とんでもない一言だった。
「じゃあ今回は、スピナの糸を使った服に、染料、それからブローチも込みで──」
「ざっと、1億5千万マーニになります!」
その金額を聞いた瞬間、ルミナスたちは揃って天井を見上げた。
「ほぇ……?」
「ルミナス様……私、突然耳が聞こえなくなったようです」
「……あー……今日もいい天気ねぇ〜……」
「1億5千万マーニになりますっ♪」
「……………………」
「「はあああああああああああっ!?!?!?!?」」
セシリアは天井を見上げたまま固まり、
ルミナスとフェリスの絶叫が、店内に響き渡った。