第四章 第20話:宿屋の店主と魔石の力。
──あらすじ──
遠征の帰路、立ち寄った宿屋で思わぬ再会がルミナスを待っていた。
騒動の中に隠されていたのは、古代の魔石が持つ驚くべき力。
ルミナスと仲間たちが選ぶ“その後”とは──?
ルミナスたちは、魔馬車に揺られて宿屋へと向かっていた。
御者席にはセシリアが座り、後部座席にはルミナスとフェリス。静かな車内が心地よく揺れる。
だが、ふと──
「ん……? なんか聞こえない……?」
ルミナスが耳を傾け、後方の荷物置き場に目を向けた。
「あっ……」
その瞬間、思い出す。そう、ナリ兄弟の存在を。
荷物の奥、縄でぐるぐる巻きにされたふたりが、気持ちよさそうに大きな寝息を立てていた。
「ぐおぉぉぉ〜……」
「くかぁぁぁ〜……」
あまりにも無防備に眠るその姿に、ルミナスは困惑の声を漏らす。
「フェリス……この人たち、どうする……?」
「あ。完全に忘れてたわ……セシリアが“衛兵に突き出す”って言ってたけど……」
ふたりが顔を見合わせているうちに、魔馬車は目的地へと到着してしまう。
──ザハール自由連邦国・宿屋前
魔馬車が静かに停まり、御者席からセシリアが顔を覗かせる。
「ルミナス様、フェリス。宿に到着しました」
ルミナスは、荷物置き場を振り返ってセシリアに呼びかけた。
「セシリア、この人たち……どうする?」
無防備に眠るナリ兄弟を指さすルミナスに、セシリアは「はっ」として答える。
「あ……あまりにも静かだったので、完全に忘れておりました」
そう言って、彼女は手のひらに水の塊を作り出し──
──バシャッ!!
「ぶへっぶふぁっ!!」
「ごぼっ!! えはぁっ!!」
目を覚ましたナリ兄弟は、魚のように飛び跳ね、びしょ濡れになって咳き込む。
「な、な、なんだぁ!?」
「み、水ぅ!?」
戸を開いたセシリアが、冷ややかな目でふたりを睨みつける。
「よく眠れましたか? これからあなたたちを衛兵に突き出します。女児誘拐の罪で」
「ちょっ、ちょっと待てって!!」
「確かに誘拐はしたけどよ、俺たち初犯だぜ!? 見逃してくれよ!」
「簡単に稼げるって話に乗っただけなんスよぉ……!」
言い訳を始めるふたりを、ルミナスがじっと見つめる。そしてぽつりと呟いた。
「……女児って。うーん、まぁ……この見た目じゃ、そうなるか……」
その声を聞いた兄弟は、驚いたようにルミナスを見て声を上げた。
「えっ!? 天使の嬢ちゃんじゃねぇか!!」
「うわ、カーレム大好きっ子じゃねぇですか!!」
「あはは〜……さっきぶりだねぇ〜」
ルミナスは苦笑いを浮かべながら、手を小さく振る。
「おう! お前の姉ちゃんに会ったぞ! まさか、女神様だったとはな!」
「俺も見ましたぜ! 絶世の美女でしたねぇ〜……」
「お、お姉ちゃん……?」
ルミナスは首を傾げて小さく呟く。
するとセシリアが小声で説明した。
「おそらく、ルミナス様の元の姿を“姉”と勘違いしているのかと……」
「あ〜……なるほどね……」
納得するルミナスをよそに、セシリアはふたりに鋭い視線を向けて話を戻す。
「話を逸らさないでください。あなたたちはルミナス様を誘拐しました。このまま衛兵に引き渡します」
「そ、そんなぁ!! なぁ、天使の嬢ちゃんよぉ! 見逃してくれって!」
「カーレムもあげたじゃないっすかぁ〜!! そこをなんとか!」
必死に懇願するナリ兄弟。つぶらな瞳でルミナスを見つめるふたりの姿に、ルミナスは思わず視線を逸らした。
「う……まぁ、カレー食べさせてもらったし……」
ちらりとセシリアの表情を伺う。
「流されてはダメです、ルミナス様。このままでは、また同じことを繰り返します」
「そんなぁ〜!!」
「どうか、どうかぁぁぁ!!」
騒がしいやり取りに、ついに宿屋のドアがギィと開き、中から一人の人物が顔を覗かせた──
──キィィィ……。
静かに開かれた宿屋の扉。その隙間から、柔らかそうな声が漏れる。
「な、何事ですか……? もしかしてお客さん……?」
その声に、ルミナスが目を見開いて反応した。
花の刺繍があしらわれたエプロンを身につけ、栗色の髪をサイドテールにまとめた女性が扉の向こうに立っていた。
ふわりとした笑顔と優しい瞳。その姿は──
「えっ!? ミレイユさん!?」
「えっ!? えっ!? ルミナスちゃん!?」
互いに驚き、言葉を重ねるふたり。次の瞬間──
──だだだっ!
ミレイユが駆け出してくると、そのままルミナスをぎゅっと抱きしめた。
「また会えたねっ!! ルミナスちゃん!!」
「おふっ……! ミ、ミレイユさん……く、苦しい……!」
ミレイユは涙ぐんだような笑顔で、愛おしそうにルミナスを抱きしめる。嬉しさが伝わってくるその強さに、ルミナスの白い髪が揺れた。
その様子を見て、セシリアが声を上げる。
「そうでしたか。……私たちがこちらに最初に着いたとき、店主の姿が見当たらなかったので、
厨房を勝手にお借りしていたのですが……まさか、ミレイユ様の経営されている宿屋だったとは」
「あらまぁ! じゃあ、厨房にある野菜はセシリアさんのだったのね!」
ミレイユが笑顔で応える中、ルミナスがミレイユを見上げて問いかけた。
「そういえば、ミレイユさんって……どうやってあの牢屋に連れて行かれたの?」
その質問に、ミレイユはルミナスを抱いたまま、静かに過去を振り返るように語り出す。
「確か……オアシスの水に異変が起きてから、宿屋の従業員たちはどんどん出ていっちゃって、最後は私ひとりだけになったの。
それでも何か役に立ちたくて、せめてベッドの貸し出しや、急病人の看病くらいならできないかって、宮殿に相談しに行ったのよ」
ミレイユは苦笑いを浮かべながら続ける。
「その道中で、男の人に声をかけられてね。“今、住民たちに無料で飲み水を配ってます。お姉さんも一杯どうぞ”って……。
あの頃は誰もが喉を乾かしてて、私もつい、断れなくて飲んじゃったのよ。……それで、気づいたら牢の中だったの」
その話を聞いたセシリアは目を鋭く光らせ、ナリ兄弟を睨みつけた。
「……まさか、あなたたち。ルミナス様にも同じ手を?」
淡く揺れる水の刃が、ナリ兄弟の喉元へと突きつけられる。
「ひぃぃぃっ!! つ、使いましたっ!! けどっ……!」
「カ、カーレムに混ぜて食わせたんスけど……効かなかったんスよぉぉっ!!」
びびりながら答えるふたりに、ルミナスが申し訳なさそうに口を開く。
「……あー、ごめんね。私、そういう毒とかまったく効かないんだ。あの時寝ちゃったのは、ただ疲れてただけで……」
キョトンとするナリ兄弟。その瞬間、セシリアの表情が鬼神のように変わる。
「効かないとはいえ……ルミナス様に毒を盛るとは……」
「ひぃぃぃっ!! お許しをぉぉ!!」
「お、お助けぇぇぇっ!!」
水の刃が今にも喉元を裂かんと迫る、その刹那。
「……あ、じゃあさ」
冷静な声が響いた。フェリスだった。
「さっき貰った“縛魂の魔石”、こいつらに試してみたらどう?」
その一言に、ルミナスとセシリアの動きがぴたりと止まる。
「え……?」
「なっ……」
ふたりが思わずフェリスの方を見つめる中、彼女はふんっと鼻を鳴らしながら、腰に手を当てる。
「なるほど……それならば、もう二度と悪事を働くことは不可能ですね」
フェリスの提案に、セシリアが目を細めて頷いた。
それを聞いて、ルミナスもふと思いついたように声を上げる。
「あ、じゃあさ、ミレイユさんの宿屋で働いてもらうのはどう? さっき従業員がいなくて困ってるって言ってたし」
「えっ……!」
驚いたように目を丸くしたミレイユだったが、少し不安そうに眉を下げた。
「た、確かに従業員が増えるのは嬉しいんだけど……」
そう言いながら、ちらりとナリ兄弟の方を見る。
「……ちゃんと働いてくれるかが、ちょっと不安かなぁ……」
「ま、そこは――」
ルミナスはミレイユの腕からスルリと抜け出し、先ほど受け取った赤い箱に手を伸ばした。
「この魔石の力が本物なら、きっと大丈夫だと思うよ!」
そう言って箱の中から布を取り、魔石を包んでいたそれをそっと剥がす。
姿を現した縛魂の魔石は、粗削りな外見ながら、中心に向かってゆっくりと砂を吸い込むような構造をしており、まるで蟻地獄のような動きを見せていた。
「なんだか……引き込まれそうな魔石ですね……」
「布の中って、こんなふうになってたのね……」
セシリアとフェリスが、魔石の前に立ちすくむようにして見入っていた。
「わぁ……不思議な感覚……」
ミレイユまでが、吸い寄せられるように魔石へと近づいていく。
(……まさか。もう力が漏れ出してる!? 私に効かないのは、“呪い無効”のスキルのせいか……)
魔力の流れを察知したルミナスは、ハッと気づいて両手で魔石を包み込み、光を遮った。
「はっ……! な、なんで私……今、そっちに……」
「……あれ? 身体が勝手に動いて……?」
「あら? つい、ふらっと引き寄せられちゃったわ……」
三人とも、自分の意志で動いたつもりだったが、魔石に引き込まれていたことには気づいていなかった。
(これは……グランツさんに渡す前に、強力な呪い除けをかけておかないと……)
ルミナスは魔石を手で覆ったまま、ナリ兄弟の前に立つ。
「セシリアたちは、ちょっと後ろを向いてて。私がいいって言うまで、見ちゃダメだよ?」
「──……? わかりました」
セシリアたちが目をそらすのを確認し、ルミナスはゆっくりと手を開いた。
「ほえ~……なんスかい、その石はぁ……」
「兄貴……なんか、目が離せないっス……」
ナリ兄弟の目が魔石に釘付けになる。
ルミナスは静かに魔力を流しながら、魔石に語りかけるようにして口を開いた。
──ズズズズ……
「いい? あなたたちはもう、悪さをしない。優しい、善良な人間になるの。
困ってる人がいたら、手を差し伸べて助けてあげるんだよ?」
「──はい」「──はい」
ふたりは素直に頷いた。
「それと、ここの宿の店主、ミレイユさん。今、人手が足りなくて困ってるの。
あなたたちが、力になってくれるかな?」
「──はい」「──はい」
ルミナスは満足そうに頷き、魔石を布で包んで箱に戻す。
「はい! これでおしまいっ!」
手をパンッと叩くと、ナリ兄弟はまるで夢から覚めたように首をかしげた。
「あれ……俺たち、今なにか……?」
「あ、兄貴……なんか、変な夢見てたような……」
ルミナスはセシリアに振り返る。
「セシリア、もう大丈夫だよ。拘束、解いてあげて?」
「──! かしこまりました」
セシリアが拘束を解くと、ナリ兄弟は静かに立ち上がる。
「………」「………」
ふたりは無言のまま周囲を見回し──そしてミレイユの姿を見つけるや否や、すぐさま駆け寄った。
「店主ミレイユ! ここで精一杯、働かせていただきやす!!」
「俺たち、もう二度と悪さはしやせん。兄貴と一緒に、この街を守っていきやす!!」
表情はキラキラと輝き、まるで別人のようだった。
「あれ? ちょっと……効きすぎたかなぁ……はは……」
「“ちょっと”どころじゃないわよっ!? 完全に別人になってるじゃない……!」
あまりの豹変ぶりに、ミレイユは戸惑いながらもお礼の言葉を口にする。
「あ、ありがとうございます……? え、えーと……ルミナスちゃん、どうすればいいの……?」
困り顔のミレイユに、ルミナスは笑顔で近づく。
「こういうときはね、こう言うの! 二人とも、今日からよろしくね!
それじゃあこれから晩ご飯にするから、ミレイユさんのお手伝いお願いねっ!」
「「わかりやしたっ!! 任せてくだせぇ!!」」
元気よく返事をすると、ナリ兄弟は厨房に駆け出し、手際よく料理の準備を始めた。
「ふふっ、ね? これでまた宿屋、続けられそうでしょ?」
ルミナスがにっこりと笑うと、ミレイユは目を潤ませながら彼女を抱きしめた。
「うぅ……!! ルミナスちゃん、ありがとうっ!!」
──ぎゅぅぅぅっ!!
「おふっ!? ミ、ミレイユさんっ!! わ、わかったから!! 胸で息できな……!」
「セシリアさんが持ってきてくれたお野菜で、美味しい料理作ってあげるからねっ!」
その言葉に、セシリアも微笑んで口を開いた。
「でしたら、私もお手伝いします。こちらのお肉も、ぜひ使ってください」
そう言って宿屋に停めてあった荷馬車から取り出したのは、布に包まれた新鮮な魔獣の肉だった。
「まぁまぁっ!! これが噂の魔獣肉ね!? 待っててね、ルミナスちゃん! すぐ用意するわ!」
そう言って、セシリアとミレイユは意気揚々と厨房へと消えていった。
「はぁ……苦しかった……」
地面に座り込んで髪を整えるルミナスに、フェリスが手を差し出す。
「ん……」
「あ、ありがと」
その手を取って立ち上がると、ルミナスは小さく腰を叩きながら一言。
「でも……まさか縛魂の魔石があんなに強力だったとはね……」
「ええ……もはや人格すら変わってたわよ……」
ふたりの視線の先では、箱に戻された魔石が静かに眠っていた。
「……エルディナ王国に戻って、解析が終わったら、この魔石は砕いて処分しよう」
ルミナスの決意を込めた言葉に、フェリスは静かに頷く。
「せっかくグラン王から頂いたものだけど、これ、下手すれば争いの火種になる」
「……ま、あんたがそう言うんなら私も賛成。
もし悪人に盗まれたら、それこそ世界の滅亡に繋がるわ」
ふたりはふっと微笑み合った。
「ほら、行きましょ。私もお腹すいたし」
「うんっ! よーし! お腹いっぱい食べるぞぉぉぉ!!」
こうして魔石の効果は本物であると証明され、
ルミナスたちはようやく、穏やかな晩餐を迎えるのだった――。