第四章 第17話:堕ちた貴族の成れの果て
──あらすじ──
囚われた仲間たちを救い出し、セシリアの過去と向き合うルミナス。
だがその最奥で、過去の罪にまみれた男が“禁断の果実”を口にした――。
──ザハール砂漠・隠れアジトの一室。
ルミナスの脳裏に、セシリアと出会ったあの瞬間がよみがえる。
奴隷として打ち捨てられ、心も身体もボロボロだった彼女──。
そして今、目の前にいるのがその元凶。
辺境伯バルネス・グロスヴァルト。
セシリアを、魔族に変えようとしたその暴挙に、
ルミナスの怒りが限界を超えて噴き出した。
「な、なんだ貴様!! その翼は! そしてそのオーラは……!!
まさか、神にでもなったつもりか!?」
ルミナスは静かに、しかし確かな怒りを込めて答えた。
「私は神なんかじゃない……。
でもね、家族のためなら――神にだって、なんだってなってみせる!!」
そのまま、手を前へとかざし、鋭く告げる。
「覚悟して。バルネス・グロスヴァルト。……あなたはもう、逃げられない。」
「な、なにをするつもりだ!? 私はエルディナ王国の辺境伯、バルネス・グロスヴァルトだぞ!!」
「だから何? そんな肩書き、私には関係ないよ。」
ルミナスの手のひらから、純白の茨が咲き誇るように伸び、
バルネスの胸を貫き、心臓に絡みつく。
「《原罪の荊》!!」
──グサッ!! グサッ!! グサッ!! グサッ!!
「う、うわああぁぁ!! うぐっ……!? ……ん? なんとも……ない……?」
身体をまさぐるバルネスは、外傷がないことに気づき、ニヤリと笑う。
「この……脅かしやがって! 不発じゃねぇか!!」
そのまま腰の剣を抜き、ルミナスに向かって構えた。
「ふはははっ!! 奴隷にならんというのなら――ここでお前を殺してやる!!」
バルネスは剣を振りかざし、走り出す。
──バッ!!
「ル、ルミナス様っ!!」
思わずセシリアが声を上げたその瞬間――
──ドクンッ!!!
「……はぅっ!?」
バルネスの身体が、急に硬直する。
振り下ろそうとした剣が、空中でピタリと止まった。
──ドサッ!!
「な……何をした、この小娘がぁぁぁ!!」
そのまま膝をつき、胸を抑えてうずくまるバルネス。
そんな彼を見下ろし、ルミナスはゆっくりと説明する。
「苦しいでしょ。それ……あなたが今まで傷つけてきた人たちの“魂の叫び”だから。」
「た、魂の……叫び……!?」
「ええ。今あなたに巻きついているその荊はね、
あなたが踏み躙った魂の数だけ、痛みを与える。
その苦しみは――あなたが死ぬまで、ずっと続くよ。」
「こ、この……ぐあああああっ!!!!
解けぇ……ッ!! 今すぐ……!! ぐうっ……!! 解除しろぉぉぉぉぉ!!!!」
バルネスは仰向けに倒れ、手足をバタバタと暴れさせる。
しかし、痛みは止まらず、汗と涙、そして血走った目が全身の苦悶を物語っていた。
ルミナスはクルリと振り返り、セシリアの方へ微笑む。
「セシリア。あいつはもう何もできない。
……あの荊はね、死んでいった人たちの“重さ”を背負わせるものなんだ。」
セシリアは深く頭を下げる。
「ルミナス様……ありがとうございます……」
ルミナスはふわりと優しく笑い、セシリアの頭を撫でる。
「安心して?セシリアは、私が絶対に守るからね。」
「……はいっ!」
だがその直後、後ろでのたうち回るバルネスが、息も絶え絶えに何かを叫んだ。
「こ……こんなところでぇぇぇぇっ!! 終わってたまるかぁぁぁっ!! ぐおおおおっ!!」
そして、よだれと汗を垂らしながら、バルネスは転がるように手を伸ばす。
「──まさかっ!! ルミナス様!! あれを……瘴果の実を食べようとしています!!」
セシリアが叫ぶ。
「瘴果の実……?」
「はい! あの実は……食べた者を“魔族”に変えてしまう、禁忌の果実です!!」
ルミナスが振り返った瞬間──
──ガツッ!! ガツッ!! ガツッ!! ガツッ!!
「くっ……くっ……くっ……。
どうせこのままじゃ終わりだ……なら……
俺は――悪魔にだって魂を売ってやるぞぉぉぉぉ!!!!」
瘴果の実を噛み砕くバルネスの体から、
見る見るうちに禍々しい瘴気が溢れ出していく──。
バルネスの身体から、黒い瘴気が噴き出した。
「ぐぅっ!? おおぉぉぉぉぉぉっ!!?」
──バギッ!! ボギッ!! ボゴンッ!!
鈍く、嫌な音を立てて骨が軋む。
全身が異形に歪み、皮膚が膨張して裂け、肉の塊が増殖していく。
腐った魂と共鳴するかのように、身体はみるみる膨れ上がっていった。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!!!」
──バキバキバキバキッ……!!
その巨躯が暴れた衝撃で、周囲の木箱や棚が次々と押し潰されていく。
――カランッ。
崩れた棚の中から、ひとつの小さな鍵が転がり落ちた。
それは、首輪の解除鍵。
「──っ!!」
ルミナスはすぐさま鍵を拾い上げ、セシリアへと叫ぶ。
「セシリア! 脱出するよ!!
このまま大きくなり続けたら、ここ全部潰れる!!」
「わかりましたっ!!」
──ゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!
地響きのような振動がアジト全体を襲う中、
ルミナスはセシリアを抱え、通路を一気に飛ぶように駆け抜けた。
その途中──
「た、頼むぅ……!! 助けてくれぇ!! もう悪さしねぇ!! 足洗うからぁ~!!」
遠くから、懇願するような叫び声が聞こえてくる。
目を覚ましたナリ兄弟は、水の鎖に拘束されたまま転がっていた。
「あ、あ、兄貴っ!! なんか揺れてないですか!?」
「うおっ!? な、なんだ!? どうなってやがる!!」
崩れかけた通路を抜け、ルミナスとセシリアは彼らの前に現れる。
「あっ、カーレムのおじさん! 起きたんだね!!」
ルミナスがそう声をかけると、カーレムが目を細める。
「あ? おめぇ……どっかで見たような……」
すかさず、セシリアが説明した。
「この者たちが、ルミナス様を攫った張本人です」
「えっ!? そうだったの!?」
ナリ兄弟は全力で命乞いを始める。
「た、助けてくれぇ!! 俺たちが悪かった!!
もう金輪際、悪さはしねぇ!! 頼むから!!」
「兄貴がそう言うなら、俺も足洗います! もうこんな仕事やめますんで!! だから、どうかっ!!」
セシリアはじっと彼らを睨みつける。
ルミナスは、少し考えてから――
「……いいよ。許してあげましょう!」
「……! よろしいのですか、ルミナス様?」
「うん。悪いことしないって言ってるし、
それに……助けられる命があるのに、見捨てるわけにはいかないよ」
セシリアは少し驚いたように目を見開き、そして微笑んだ。
「……そうですか。では──」
彼女は詠唱する。
「《アクア・バインド》!!」
──しゃららららっ!!
水の鎖が音を立てて伸び、ナリ兄弟を引き寄せる。
「うおっ!?」「なんだぁ!?」
「ルミナス様、これで大丈夫です」
「オッケー! じゃあ――飛ばしていくよ!!」
ルミナスはナリ兄弟をまとめて引っ張りながら、通路を突っ走った。
──ずざああああああっ!!
「うおおお!! た、助けてくれって言ったけど!!」
「扱いがあんまりじゃねぇですかぁぁぁぁぁ!?」
そして、引きずられながら彼らが足元を見たとき――
『ゔ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛……』
ぐにゃりと歪んだ、異形の巨大な手が、ルミナスたちを捕らえようと通路へ伸びてくる。
「ぎゃああああああっ!?!? なんじゃありゃああああああ!?!?」
「あ、あ、あ、兄貴ぃぃぃ!! やべぇよこれ!! 超やべぇやつだって!!」
その声に気づいたセシリアが、即座にルミナスへと声を飛ばす。
「ルミナス様……!! あれを……!!」
ルミナスはすぐさま下を確認し、青ざめる。
「わわっ!? どこまで大きくなるの、あいつっ!!」
「ルミナス様!! オークション会場を突っ切れば、その先に出口があります!!」
セシリアの指示を受け、ルミナスは速度をさらに上げる。
『ゔ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!!』
巨大な手は、オークション会場に突き出たところで限界を迎え、
その場で床をドンドンと叩き、悔しげに咆哮を上げた。
そして、ついに――
破壊された扉の先、外の光が見え始める。
「外だ!!」
──ビュウゥゥゥゥゥッ!!!
──バッ!!!
風が吹き抜ける中、ルミナスたちはそのままアジトの外へと飛び出した──。
眩しい日差しの下、ルミナスたちが飛び出したその先に──
フェリスとミレイユたちの姿があった。
「おーい! ルミナスぅぅ!!」
「フェリスー! おまたせぇー!!」
ルミナスはそのまま滑空して地上に降り立ち、セシリアとナリ兄弟をそっと下ろす。
「待たせたね、フェリス!」
「……あんた、身体戻ってんじゃない! で、また飛んでるわけ?」
フェリスは笑いながらも、やれやれといった顔をする。
「まぁ〜、これにはね。いろいろ深ぁ〜い事情が……」
その時、後ろにいたミレイユがルミナスに気づき、慌てた様子で声を上げた。
「えっ、ええっ!? 女神様……!? ど、どうしてこのような場所にっ!?」
「っ!? ミ、ミレイユさん!! 私だよっ! ルミナスだよ!!」
「あ、えっ!?……ルミナス……ちゃん!?」
驚いたまま硬直するミレイユに向かって、ルミナスは小さく手を振って駆け寄る。
「遅くなってごめんね。はい、これ──首輪を外す鍵だよ!」
「こ、これで……! やっと……解放されるのね!!」
首輪の鍵を手にしたミレイユの目が潤む。だがすぐに、再び驚いた顔でルミナスを見上げた。
「って、そうじゃないわ! ルミナスちゃん!? どうしたの、急に大きくなっちゃって!? それにこの翼は!?」
「あはは……それもね、ちょっとした事情があってさ……」
ルミナスが気まずそうに笑う中、ミレイユは仲間の女性たちの首輪を外していく。
「……ああ……助かったんだわ……!!」
「これでザハールに……帰れる……!」
「本当に……夢みたい……!」
女性たちは次々と涙を浮かべて抱き合い、声を上げる。
その様子に、ミレイユの目からもぽろりと涙がこぼれた。
「良かった……本当に良かった……。これも、何もかもルミナスちゃんのおかげよ……」
「ううん、みんなが諦めなかったからだよ」
ルミナスは優しく微笑み返す。
──その光景を、少し離れた場所から見つめていたセシリアが、フェリスに声をかけた。
「フェリス。あの者たちは?」
「ああ、彼女たちはね、ルミナスと一緒に攫われていた人たち。被害者よ」
セシリアは「なるほど」と納得したように頷いた。
──その時、水の鎖にぐるぐる巻きにされたままのナリ兄弟が、恐る恐るセシリアに声をかける。
「あ、あのぉ……この拘束って、そろそろ……外してもらえたりしないっすか……?」
「俺たち……もしかしてこのまま放置ってことは……?」
振り返ったセシリアは、ニッコリと微笑む。
「ええ、ちゃんと外しますよ? ザハールの衛兵に突き出してからね」
「そ、そんなぁ~~……」×2
落胆の声を上げる兄弟をよそに、ルミナスたちは次の準備を進めていた。
フェリスがアジトから見つけてきた魔馬車に、ケルベロス部隊が繋がれている。
まずはミレイユたちを乗せ、安全な岩場へ向かって先行させる段取りだ。
「ルミナス? 魔馬車には乗らないの?」
そう問うフェリスに、ルミナスとセシリアは同時に首を横に振る。
「うん……まだ、終わってないんだ」
「……ええ。おそらく、もうすぐ──」
──ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ!!!!!!!
突如、地面が轟音を上げて震え出した。
「な、なに……!?」
振り返ると、地下にあったはずの隠れアジトが、完全に崩壊し──
その入り口すら音を立てて潰れていく。
──ドゴオォォォォォォォン!!!!!!
土煙が舞い上がる中、崩れた地面の奥から、何かが這い出してくる。
「う……腕!?」
そこから現れたのは──
大木のように巨大で、醜悪に捻じ曲がった、黒く脈打つ“腕”。
ルミナスは、その腕を見つめながら、静かに息を飲んだ──。