第一章 第4話:畑の土と瘴気と浄化。
――あらすじ――
王都の南西に広がる農地を訪れたルミナス。
そこで彼女が目にしたのは、ある異変と、懸命に働く人々の姿だった。
“ちょっとした手助け”のつもりが、思いがけない変化を呼び起こすことに――。
それはやがて、人々の未来を変える第一歩となる。
──王都・南西の共同耕作地。
「……ここかぁ」
ルミナスは、腰に手を当て、目の前の広大な畑を自慢げに見下ろしていた。
「なるほど。……わからん」
畑を一望して放った感想は、それだった。
彼女は一度も、まともに農作物を育てたことなどなかった。
畑には何人かの農民たちがいた。鍬を使って土を返し、葉についた虫を払う作業をしている。
そのうちの一人がルミナスに気付き、慌てて帽子を脱ぎながら駆け寄ってきた。
「お、おお……! あ、あなた様は……もしや女神様!?」
声が上がると、他の農民たちも気付き、次々と集まってくる。
「ルミナス様……! 本物だ……!」 「命の恩人じゃ……!」
「いやいや、そんな……畑の見学に来ただけなんだけど……」
次々に頭を下げられ、戸惑いの笑みを浮かべるルミナス。
あまりに目立つ容姿と噂の広がりの早さに、本人は困惑していた。
(どうしよう……農作業したことないし、何をどう言えばいいか……)
気まずくなったルミナスは畑の方へ視線を向けた。
そこで——ふと、異変に気付く。
「……ねぇ? あれ……って……」
地面から、ぼんやりと赤紫色の“もや”のようなものが立ち上っている。
「あれ……って、もしかして――」
だが、周囲の農民たちは首を傾げる。
「はて? 何も……私らには見えませんが……?」
見えていない。
ルミナスだけに、それははっきりと見えていた。
(瘴気……これが、瘴気の正体……?)
使用人の話を思い出す。
魔族神ザル=ガナスによって、大地が毒され、作物の質が落ちたという話。
「《創造魔法》……やってみるか」
ルミナスはそっと地面に膝をつき、手をかざす。
「この世界の“癒し”を……」
想像したのは、日本にある猫カフェでふわふわの子猫を膝に乗せて撫でる、あの温かな空間。
柔らかな毛並みと、くすぐったい吐息――その全てをイメージし、魔力を練る。
「──《ホーリー・クレンジング》」
彼女の掌から、きらめく光の粒子が土へと浸透していった。
静かに、優しく、しかし確かに——腐った瘴気を浄化していく。
「う、うおお……!? なんじゃこの光は……!」
農民たちが驚きの声を上げる中、畑がゆっくりと、輝き始める。
黒ずんでいた土がふっくらとした色に戻り、
しおれていた苗が次々と立ち上がり、葉を広げていく。
(……やった)
それだけではなかった。
黒く変色していた作物の実が膨らみ、色つやのある立派な野菜に変わっていく。
小麦に似た“ウィット”、芋に似た“ヤモ”、赤く実った果実、青く艶のある実……
この世界での正式名称はわからないが、日本で目にしていた野菜によく似ていた。
「聖女じゃ……!」
「おおお……! なんたる光景……!」
「わし……生きててよかったわい……!」
次々に湧き上がる感嘆と、感謝の声。
その中心で、ルミナスは静かに手を下ろし、小さく息を吐いた。
「ふぅ……これで、ここは大丈夫かな」
農民たちが手を振りながらルミナスを呼ぶ、
ルミナスもそれに答えるように手を振り返し農民のところへ向かう。
だが、次の瞬間。
「……あ…れ?」
視界が歪む。頭がふらつく。
「う、わ……ちょ、まっ……」
がくん、と膝が崩れ──
「ルミナス様っ!!」
使用人の叫び声が遠のく中、彼女は畑の土の上に倒れ、そのまま深い眠りへと落ちていった。
──翌朝。神殿の屋敷、寝室。
「ん……あれ……? 私……畑で……」
ふかふかのベッドの上で、ルミナスはまどろみの中、昨日起きた出来事を反芻する。
「──あっ!!」
飛び起きて、部屋のドアを勢いよく開ける。
「畑! あのあとどうなったの!?」
その声に驚いた使用人が、すぐに駆け寄ってくる。
「ルミナス様……! ご無事で何よりです! 昨日は畑で突然お倒れになられて……」
「え、あれって……魔力切れ……?」
「いえ、念の為魔道士に確認させましたが、魔力量には異常なかったとのことです。ただ……とても深い眠りに」
(疲労、でもない……なんだろ……)
「ぐぅぅぅ〜……」
お腹が鳴った。間の悪いタイミングで。
「あ……」
使用人がクスッと笑う。
「どうぞ、ダイニングへ。お食事の用意がございます」
案内された先の食卓には、彩り豊かな野菜料理が並んでいた。
グリル、煮込み、スープ、サラダまで。見ただけで胃袋が喜ぶラインナップだ。
「こ、これ全部……?」
「はい。昨日、畑の農民たちが、ルミナス様に是非と……感謝の品を届けてくださいました」
ルミナスは席に着き、フォークを手にした。
「……ありがと」
一口、野菜を口に運ぶ。
その味は、確かに──優しく、力強かった。
「……よし。次は、もっと本格的に……やるか」
ルミナスの目に、またひとつ小さな決意の光が宿っていた。
次回:「女神、種を蒔く」