第四章 第12話:天使のような子どもは女神
──あらすじ──
オアシスでの戦いを終え、ルミナスたちはザハール国への帰路につく。
翼を得た少女が初めての空を舞う中、思わぬ“異変”が彼女の身に起こる。
──オアシス・早朝
夜が明け、朝の陽光が静かに砂漠を照らしていた。
ルミナスたちは、オアシス地下の大広間を後にし、ザハール自由連邦国へと戻るべく、ケルベロス部隊の待つ荷馬車へと向かっていた。
「ケル! ベロ! スーッ!」
ルミナスが声をかけると、三匹のケルベロスが勢いよく駆け寄り、全身で喜びを表すようにじゃれついてくる。
「ワンッ!! ワンッ!!」
「ふふっ、元気だねぇ、よーしよーし!」
「それではルミナス様、ザハール国に戻りましょうか」
セシリアが穏やかな声でそう言い、フェリスも荷馬車の中から顔を覗かせる。
「そうそう、ザハール国の王様もあんたが来るのを首を長くして待ってるんだから!」
荷馬車には既に皆が乗り込み、出発の準備も整っていた。だが、ただ一人、ルミナスだけが外に立ち尽くしていた。
「ルミナス? 何やってんの? 早く乗りなさいよ」
フェリスがいぶかしげに尋ねると、ルミナスはにっこりと笑って言った。
「まぁまぁ、フェリス。ちょっと見てて~……」
──ゴゴゴゴゴ……
ルミナスの全身から、純白のオーラがふわりと立ち上る。
「神芽顕現!」
──ファサァァァッ……
ルミナスの背中、衣服の裂け目から、真っ白な翼がふわりと広がった。
「ちょっ……! あんた、それで帰るつもり!? ザハールに飛んで行く気!?」
驚くフェリスに、ルミナスは首をかしげて当然のように返す。
「え? うん、そうだけど?」
「セシリア!! あれ止めてよ! あんなのザハールの空飛んでたら騒ぎどころじゃ済まないわよっ!!」
必死に助けを求めるフェリスだったが、セシリアはうっとりとした表情のまま、ぽつりと呟いた。
「……美しい……」
「あ、こりゃダメだ……」
フェリスはため息をつき、最後の希望とばかりにハキームへと視線を送る。
「ハキーム! あんたも何か言ってよ!」
しかし──
「ありがたや……ああ……この目で見られるとは……」
感動のあまりひれ伏しそうなハキームを見て、フェリスは天を仰いだ。
「まともなのは私だけ……? いや、私が間違ってるのか……?」
──バサァッ!! ──バサァッ!!
ルミナスは翼をゆっくりと広げ、地面を蹴ってふわりと浮かび上がる。
「おお……結構難しいかも……!」
翼はまるで自分の手のような感覚。左右をばらばらに動かすのはまだ難しかったが、両方を一斉に動かすことはできた。
──ふわっ……
「おっとっと……!」
低空をふらふらと漂うように飛び始めたルミナスを見て、セシリアは目を輝かせて拍手を送る。
「ルミナス様、お上手です!」
「えへへっ、あとちょっとでコツ掴めそう!」
──バサァッ!! ──バサァッ!! ──バサァッ!!
「と、飛んでるぅぅぅ!!」
ついにルミナスは滑らかに宙を舞い始め、旋回や小さな上昇下降を繰り返していた。
──パチパチパチ!
感動の拍手を送るセシリア。その隣でフェリスは複雑な表情でぽつりと呟いた。
「……楽しそうね」
──十分後
──ビュオォォォォ……!
「ひゃっほーうっ!!」
空をくるりと宙返りしながら荷馬車へと戻ってきたルミナス。その姿にセシリアも感嘆の声を上げる。
「もうそんなに上手く!? 本当にすごいです、ルミナス様!」
「えへへっ、」
(空飛ぶ系のゲームいっぱいやっといて良かったぁ~!)
ルミナスは鼻歌交じりに飛行を続け、ザハール国の城壁が見えてくる。
「ルミナス!! そろそろ降りてきなさいよ!! 街に入る前に普通にしてっ!!」
「はーい、解除っと──」
──すたっ……
地面に軽やかに着地したルミナスだったが──数歩歩いたそのとき。
「よーし、ザハールに着いたらお風呂入って、いっぱい食べて……そのあと……」
「わっ……? な、なんか歩きにく──」
──ドサッ!
「へぶっ……!」
突然倒れ込んだルミナスに、セシリアが慌てて荷馬車を止め、駆け寄る。
「ル、ルミナス様っ!?」
──ダダダッ!
「な、なに!? どうしたの!?」
フェリスも驚き、荷馬車から飛び降りて駆け寄るが──そこでセシリアが動きを止め、固まる。
「なっ……」
ルミナスも、倒れたまま自分の体に違和感を覚えていた。
「あれ……? 服が……ぶかぶか……?」
おそるおそる顔を上げ、セシリアを見上げる──すると、視点がまるで低くなっていた。
「ちいちゃくなってるぅぅぅっ!!!!」
小さな体に変化したルミナスを見て、フェリスが驚きつつも歩み寄る。
「なに? なんか──あっ……ぶはっ!!」
思わず吹き出し、肩を震わせて笑い始めた。
「あ、あんたっ! ふっ……ふふっ……!」
「わ、笑うなぁぁぁ!!」
ぶかぶかの服を翻しながら、ぷんすかと怒るルミナスがフェリスへとじりじり迫っていく。
「セ、セシリア……助けて……。……セシリア……?」
ふと助けを求めたその先で、セシリアは固まっていた。真剣な面持ちで、目を潤ませながら、ひとこと。
「……て……」
「て?」
「天使……!!」
──ぎゅっ!!
セシリアは小さくなったルミナスを、愛しそうに、全身で抱きしめた。
「わわっ……!」
「ここにいたんですね……私の天使は……!」
うっとりとした瞳のまま、ルミナスを離さないセシリア。
そんな様子を見て、フェリスは深いため息をつきながら言った。
「あー……はいはい、イチャつくなら他所でやってねー……」
「フェ、フェリス!!ち、違うって……!」
そこへ遅れてハキームが駆け寄ってきた。
「皆様方! どうかなさいましたかっ!?」
そして視線をルミナスに向けた瞬間、目を見開いて驚愕する。
「こ、これは!? ま、まさかルミナス様ですか……!?」
「はいぃ……空飛んでたら、なんか小さくなっちゃいました……」
ルミナスはしょんぼりとしながら答え、原因を推測する。
「たぶん、今までの疲れが溜まってたのと、神芽顕現を長時間使いすぎたせいかな……」
「じゃあ、時間が経てば戻るってこと?」
「おそらく、そうだと思う……」
セシリアは正気を取り戻すと、ルミナスを抱えたまま冷静に対策を考え始めた。
「なるほど……となると、戻るまでの間、着替えをどうにかしないといけませんね」
今のルミナスの服はサイズがまるで合っておらず、あちこちに破れもあり、ひどく汚れていた。
「あー……そうね……ザハール国のどこかに服屋があればいいんだけど……」
そうフェリスが言ったところで、ハキームが提案を口にする。
「それなら、私の娘の服はいかがでしょう? ちょうど同じくらいの年頃でして……サイズも合うかと」
「え……わたし、子供服着るの……?」
ルミナスは渋い表情になるが、ハキームは笑顔で続けた。
「ご安心ください。娘がもう着なくなった服ですので……」
「い、いや……そういう問題じゃ……」
それを聞いたフェリスが即断即決。
「よし! 決定ね!! さっさとハキームの家に行きましょ!!」
こうして一行は、宮殿へ向かう前に、ザハール西区にあるハキーム邸を目指すこととなった。
──ザハール自由連邦国・ハキーム邸
立派な門構えの屋敷は、王の側近を務めるハキームの名に相応しい威厳があった。
「おーい、帰ったぞー!」
玄関を開けた先に現れたのは、ハキームの奥方と、小さな娘だった。
「あなた! 無事だったのねっ! ……あら? あなたたちは昨日、炊き出しをしていた──」
「カーレムのお姉ちゃんたちだぁ!」
娘が無邪気に声を上げる。
セシリアとフェリスが軽く一礼すると、ルミナスは首をかしげた。その様子に気づいたセシリアがそっと説明する。
「昨日ザハール国に訪れた際に炊き出しを行って……かくかくしかじか……」
「あっ、そっか! なるほどなるほど。さすがセシリア!」
ルミナスが嬉しそうに頷くと、ハキームの娘が近づいてきて声をかけた。
「あれぇ? 君はだぁれ?」
「えっ……あ、どもっ……」
続けて、奥方にも不思議そうに見られた。
「まあ……初めて見るお子さんね。どちらのお嬢さん?」
「実は──」
「まぁ!ではこの方が!?」
ハキームが事の事情を説明すると、奥方は納得したように微笑む。
「お話は分かりましたわ。すぐお着替えをご用意しますので、こちらでお待ちくださいませ」
通された客間には、ハキームの娘・アーシャもついてきた。
「ねーねー、お名前なあに? 私はアーシャって言うの!」
どう見ても、同じ年頃にしか見られていないことに、ルミナスは困ったように笑う。
「あー……アーシャちゃん、ね。私はルミナス……よろしくねぇ~……」
その様子を見て、フェリスが肩を震わせながら吹き出す。
「ぶふぅっ……! くふっ……ふふっ……!」
「ふふ……微笑ましい光景ですね……ふふ……」
セシリアも、ほんのりと頬を緩めた。
やがて、ハキームの奥方が着替えを持って戻ってくる。
「こちらでいかがでしょう? 少し大きめの白いローブでして、元に戻られてもこちらの紐で調整できますのよ」
奥方の持ってきた服は子供服なので動きやすい作りでローブだがワンピースのような見た目だった。
スカート部分に紐が括られていて少しドレスのような見た目になっている。
「ありがとうございます……! これ、すっごく助かりますっ!」
ルミナスは仕切りの裏に隠れ、服を着替えた。
「どう? 似合ってる?」
両腕を広げて現れたその姿は──まさに天使のようだった。
「くっ……今すぐ抱きしめたい……なんという可愛さ……!!」
「ふん、結構似合ってるじゃない」
「あらあら、とってもお似合いですわよ!」
「ルミナスちゃん、かわいい~!」
口々に褒められて照れるルミナス。
そこへノックの音と共に、ハキームが部屋に入ってくる。
「お着替えはお済みかな? おおっ……なんともよくお似合いですな、ルミナス様!」
そして言葉を続ける。
「ちょうど良いですし、皆さまで朝食を召し上がっていかれますかな?」
──スッ……
「いただきます……!」
一番に手を上げたのは、もちろんルミナスだった。
子ども椅子にちょこんと座り、ぷくっと頬を膨らませながらパンをかじるルミナスを、フェリスが笑いを堪えながら見つめる。
「くっ……ふふっ……に、似合ってるわよ、ルミナス……!」
子どもになった女神は、今朝も元気に、もぐもぐと朝ごはんを食べるのだった。
──ザハール自由連邦国・宮殿 謁見の間。
ハキーム邸で朝食を終えたルミナス一行は、一路宮殿へと向かった。
──ガチャッ!
「グラン王! ただいま戻りました!」
扉を開け、謁見の間に入ったハキームが声を張る。
「おおっ、戻ったかハキームよ……! 報告は聞かずとも構わぬ。皆、よくぞ無事で戻ってくれた……!」
王の手には透明な水が注がれたガラスの杯があった。
「オアシスから引いた水もこの通り透き通っております……。心より感謝申し上げます……!」
グラン王は満足そうに微笑み、深々と頭を下げる。それを見てルミナスたちも嬉しそうに顔を綻ばせた。
ふと、王はセシリアに視線を移し、表情を引き締める。
「そして……セシリア殿。申し訳なかった……リーネ殿の願いとはいえ、貴家がローゼリッタ家と知りながら精霊核の欠片を託してしまった……」
その謝罪に、セシリアは静かに首を振った。
「いえ、むしろ感謝しております。あの精霊核の欠片のおかげで、皆こうして無事に戻ることができたのですから……」
言葉に偽りはなく、セシリアは真摯な眼差しで王を見返した。
それを聞いたグラン王は深く息を吐き、改めて礼を述べた。
そのとき、王の目にひときわ小柄な少女の姿が映る。セシリアの隣に、白いローブをまとった子ども──ルミナスが立っていた。
「して……そちらの、可憐な少女は……?」
ルミナスはやや気恥ずかしそうに、手を上げて応える。
「あー……どうも。ルミナス・デイヴァインです……」
グラン王は目を大きく見開いた。
「セ、セシリア殿!? そ、それは真実か!?」
「はい。こちらにおられるのがルミナス様、まさしくご本人です」
セシリアがはっきりと断言すると、グラン王は愕然としながらも頷いた。
ルミナスはオアシスの地下での出来事、魔王幹部との戦闘、そして自らの縮小化の原因について端的に説明した。
「なるほど……魔王幹部に寄生水、そして“神芽顕現”なる神の力……。その代償としての幼児化、か……」
「うん。で、魔王幹部の一人、シェレーヌって奴は倒したんだけど──」
「……精霊核を、ザリオスという者に盗まれてしまったと……」
グラン王は険しい面持ちで思案を巡らせた。
「うーむ……だが、魔族に精霊核を扱えるとも思えぬ。……精霊でなければ適合しないはずだが……」
王が考え込むなか、セシリアが一つの疑問を口にする。
「……あの、ひとつ伺ってもよろしいでしょうか?」
「うむ、なんなりと」
「リーネ様と会話した際、彼女は“本当にあの人の言う通りになった”と仰っていました。……“あの人”というのに、何か心当たりはございますか?」
その言葉に、グラン王は目を細め、記憶を辿るように語り始めた。
「……あの人、ですか。確かに、精霊核の欠片を預かったとき、私も尋ねました。“なぜ私に託すのか”と──」
──オアシス・地下二階:精霊結晶の間・回想
あの日、グランは大広間でリーネに向き合っていた。
「リーネ殿、なぜ私に? このような貴重な欠片を……?」
『……声が聞こえたの』
「……声?」
『ええ。女性の声で──』
──リーネ……
──リーネ……
──リーネ……
──これから予言を託す。
今のザハール国の王に、精霊核の欠片を渡して……
きっとこの国を救う“無敗の星”が現れる……。
『そう言って……声はすっと消えてしまったわ。だけど、どこかあたたかくて、やさしくて、
胸の奥を包み込むような──そんな声だったの。だから……信じてみたくなったの』
回想から戻ったグラン王は肩をすくめた。
「と、まぁ……そんなことがあったのだが、私にはいまだに意味が分からず……」
そのとき──ルミナスの目が大きく見開かれる。
(……無敗の……星!?)
「グラン王っ!! 本当に“無敗の星”って言ったの!? 絶対に間違いない!?」
「う、うむ……! 間違いない。“無敗の星”と、確かに……!」
その名は、かつて前世でルミナス──那須瑠美が呼ばれていた通り名だった。
ゲームの大会、ランキング、そして戦績。それをすべて極めた者に贈られた、ただ一つの称号。
さらに──その声の特徴にも、聞き覚えがあった。
(……まさか……あの時の……?)
──魔族領・瘴気の渦巻く黒岩山地
──バサバサバサッ……!!
黒雲と雷に包まれた岩山の上。そこに佇むのは魔王幹部・ザリオスだった。
「クックック……またもや阻止されてしまいましたね……」
肩に留まるコウモリ型魔獣が、偵察の報告を伝える。
ザリオスは懐から一つの卵を取り出し、呟くように笑う。
「……ほら。もう領地に着きましたよ? 起きたらどうなんです?」
卵が震え、亀裂が走る。
──パキッ、パキパキパキ……
「ぷはっ……ひどいよザリオス……僕を置いていくなんて……」
現れたのは小さな、だが不気味な姿の蜘蛛。間違いなく、それは《分霊卵》によって蘇ったシェレーヌだった。
「いいじゃないですか、こうして回収して差し上げたんですから」
「うーん……でも不覚だったなぁ。まさかあんなに強い人間がいるなんてね」
「ククク……だが、終わりの時は近い。これさえあれば……」
ザリオスが手にするのは、淡く輝く精霊核。
「そうだね……これで、魔王様の復活に一歩近づいた……ふふっ……」
「行きましょう、ザル=ガナス様へ捧げに」
「うん……ルミナス……次は──コレクションにしてあげるからね……きひゃひゃひゃ……!」
そして不気味な笑みを浮かべながらザリオスとシェレーヌはその場から去っていった。