第四章 第11話:片目の精霊は主を想う
──あらすじ──
崩壊寸前の地下神殿。残された仲間たちは、静かに時を待っていた。
涙と祈りの中、思いがけない再会が訪れる。
そしてルミナスの中で、眠っていた力がついに──芽吹く。
──オアシス・地下二階:精霊結晶の間
大広間に溜まっていた水は、静かに、そしてまるで吸い込まれるように結晶の中へと戻っていった。
水が完全に引くまでのあいだ、辺りには言葉も音もなく、ただ沈黙が広がっていた。
──三十分後
黒き精霊の攻撃を受けて気を失っていたハキームは、額に落ちてくる水滴の感触にわずかに顔をしかめ、やがてゆっくりと目を開ける。
──ぴちゃっ……
──ぴちゃっ……
「うーん……はっ!! 私は一体……!?」
反射的に体を起こしたハキームは、辺りを見回して状況を把握しようとする。
「水が……それに……」
視界に入ったのは、結晶にもたれかかり、静かに座るフェリスの姿だった。
「起きたわね……」
「フェリス殿! 一体、何があったのですか!?」
動揺する彼に、フェリスは落ち着いた声で答える。
「あの黒い精霊は、セシリアが倒したわ。そして……暴走していた水の精霊の力も、セシリアが止めてくれたの」
「セシリア殿が……!?」
驚くハキームは辺りを見渡し、彼女の姿を探す。
「では……セシリア殿は? ルミナス様も、どちらに?」
フェリスは言葉を発さず、静かに視線だけを結晶の柱へと向ける。
「あっちよ……」
その先には──結晶の前で膝をつき、まるで祈るように両手を合わせ、頭を垂れるルミナスの姿があった。
「…………」
その光景を見たハキームは言葉を失い、ただ立ち尽くす。
「……ずっと、ああしてるの。セシリアは……精霊になって、私たちを助けてくれた。そして……結晶の中に入ってしまったの」
「……精霊に……。そうですか……伝承と、同じ……ということですか……」
フェリスは黙ってうなずき、静かにルミナスのもとへと歩いていく。
──ぴしゃっ……ぴしゃっ……ぴしゃっ……ぴしゃっ……
「ルミナス……」
声をかけると、ルミナスの肩がわずかに震えた。しかし、顔は上げようとしない。
「……もう行くわよ」
「…………」
沈黙。フェリスは、少しだけ眉をひそめて言葉を重ねる。
「セシリアは、もう──」
「いやだ……」
ぽつりと洩れたその言葉に、フェリスの顔が歪む。
「ほら、ザハールに戻りましょうよ……」
「……いやだ……戻らない……」
まるで子どものように駄々をこねるルミナスに、フェリスは思わず声を荒げた。
「っ……! あんたね……! 子どもみたいなこと言ってんじゃないわよっ!」
「…………」
「セシリアは……精霊になったのよっ……!」
その言葉を聞いた瞬間、ルミナスの頬を伝って涙がこぼれ落ちた。
「わ……わたしが……わたしが弱かったら……もっと強かったら……なんで……なんで、セシリアが……っ」
その姿に、フェリスも思わず涙を流す。
「そんなの……わかんないわよっ……! ……あんたが泣いてたら……私まで……っ、うぅっ……」
静かな大広間に、二人の嗚咽だけが響いていた。
そしてそれを、ハキームはただ黙って見守ることしかできなかった。
──しばらくして
涙が乾いた頃、フェリスはもう一度ルミナスに声をかけた。
「……ほら、行きましょ。ルミナス……」
「…………」
ルミナスはゆっくりと立ち上がる。が、その足は再び結晶の柱へと向き、膝をついてうずくまった。
「やっぱり無理……!!」
フェリスは深いため息をつき、あきれ顔で言った。
「はぁ……ったく……あんたね、いい加減に──」
その瞬間、フェリスの視界に映った人影に、言葉が途切れた。
「……え、うそ……」
──スタッ……スタッ……スタッ……スタッ……
「……やっぱりルミナス様は、私がいないとダメみたいですね……」
柱の奥から歩いてきたのは──
精霊となったはずのセシリアだった。
「っ……!!」
聞き慣れた声に、ルミナスが顔を上げる。
──ダッ!!
「セシリアっ!!!!!!」
勢いよく立ち上がると、そのまま駆け寄り、強く抱きしめた。
涙を浮かべながらも、ルミナスの顔には久しぶりの、心からの笑顔が戻っていた。
続いてフェリスも叫ぶ。
「セ、セシリア!? ど、どうしてっ!? い、いや、なんでもいいわ! セシリアっ!!!!」
彼女もまたセシリアに飛びつき、三人は固く抱き合った。
「ふふっ……二人とも……苦しいですよ……」
セシリアは少し困ったように微笑むが、その表情はどこまでも優しかった。
「でも、どうして!? 精霊になったんじゃ……」
ルミナスが問うと、セシリアはそっと語り始めた。
「ええ、私もこのまま精霊になって、長い眠りにつくのかと思いました……。でも──リーネ様が……」
────精霊結晶の柱・内部
柱に吸い込まれたセシリアは、リーネと共に暴走する精霊の力を鎮めていた。
彼女の中に生まれた精霊核の力を用い、荒れ狂っていた水はようやく静まりを取り戻す。
《……これで、もう……お別れですね……》
安堵と寂しさが混じった笑みを浮かべながら、セシリアはそっと目を伏せる。
『セシリア……ありがとう。あなたのおかげで、ザハールは壊滅の危機を逃れたわ』
《ええ……そう、ですね……》
外から微かに聞こえる、ルミナスとフェリスの泣き声。
「セシリアぁぁ……っ! ぐすっ……うぅっ……!」
「なんでよ……戻ってきなさいよぉっ……! セシリアぁぁ……!」
《ルミナス様……フェリス……》
セシリアは結晶の内側からそっと両手を合わせ、二人の呼びかけに応えるように手を伸ばす。
その頬には、きらめく雫──まるで結晶の涙のような水滴が静かに伝った。
『……本当に、素敵な仲間たちね』
《……ええ。私の……大切な家族です》
リーネは優しく微笑み、ふと真剣な表情に変わる。
『セシリア……あなたは、精霊核を創り、それを自らの中に宿してしまった……。
本来であれば、このままここで永遠の眠りにつく運命よ』
《……はい。それは覚悟しています》
真っ直ぐな瞳で語るセシリアに、リーネは小さく頷いたあと、意外な言葉を口にする。
『でもね──まだ、間に合うわ』
《……えっ?》
『あなたの精霊核を、私に移しましょう』
《そ、それは……そんなこと、できるのですか……?》
驚きに目を見開くセシリアに、リーネは安心させるように柔らかく笑う。
『ふふっ、最初からそのつもりだったのよ。あなたが戻れるように、準備しておいたの』
セシリアは胸を撫で下ろし、ふと問いかける。
《で、でも……リーネ様は……?》
『私はもう十分よ。精霊としてここに長くいたもの。
それに、グランがいつも来てくれるから、話し相手には困らないわ』
《そうですか……それなら……》
ふたりは静かに微笑みを交わす。
『……でも、ごめんなさいね。あなたにばかり、負担をかけて』
《いえ……この精霊核の力があったから、私は皆を守れたんです。だから……感謝しているんです》
セシリアはそっと自らの胸に手を当て、温もりを確かめるように目を閉じた。
『……グランに精霊核の欠片を渡しておいて、本当に良かったわ。
本当に“あの人”の言った通りね……』
《“あの人”……? それは……》
問い返す間にも、セシリアの足元からじわじわと結晶が馴染み始め、身体を侵食していく。
『……もう時間がないわね。あなたの身体が完全に結晶と融合する前に──』
リーネは手のひらをセシリアに向ける。
『これを受け取って』
──キラッ……
現れたのは、雫のような美しい輝きを放つ水晶のような水だった。
《これは……?》
『“精霊の涙”よ』
《……精霊の涙?》
『ええ。これを、ルミナスに飲ませてあげて?』
《ルミナス様に……?》
戸惑うセシリアに、リーネは続ける。
『そして、あなたにはこれを──』
次の瞬間、セシリアの左目の空洞が、光に満ちてゆっくりと埋められていく。
《こ、これは……!?》
『精霊核の欠片よ。
大丈夫、精霊化しないようにしてあるわ。ほんの少しだけど、精霊の力を使えるようにしてあるの』
『きっとまた、ルミナスが困ったとき、あなたが助けになるはずよ』
《……はい……ありがとうございます……!》
『最後に…本当に……ありがとう。あなたたちが来てくれなかったら、私も、ザハールも……すべてが失われていたわ』
《リーネ様……》
『元気でね。私とジークが残した、未来への希望の子……セシリア……』
《はい……また、絶対に会いに来ます。リーネ様……私の……大切な──》
リーネはそっとセシリアの胸に手を当て、その精霊核を自分の中へと移していく。
眩い光が二人を包み、静かに、優しく──別れの時は訪れた。
こうして、セシリアの精霊核はリーネへと移り、
セシリアは──人間として、再び結晶の柱の中から現れたのだった。
セシリアの帰還に喜びが溢れる中、ルミナスはそっと精霊結晶の柱に手を当てた。
「そっか……リーネ……ありがとう」
静かに語りかけるその表情は、感謝と哀しみが入り混じっていた。
ひと通りの経緯を語り終えたセシリアは、ふと思い出したように眼帯に手を伸ばす。
「それと──」
──シュルッ……
左目の眼帯を外すと、そこには右目とは異なる色の瞳が現れた。
青の右目とは対照的に、エメラルドグリーンに輝くその左目は、まるで宝石のように神秘的な輝きを放っていた。
「リーネ様が、私の左目に精霊核の欠片を埋め込んでくださいました」
「え、精霊核!? それって……」
「あ、安心してください。精霊化はしないそうなので」
「そ、そっか……よかったぁ……」
ルミナスは胸を撫で下ろして安堵のため息を漏らす。
「そしてこれを……」
セシリアは左目に宿した精霊核から、小さな光の雫を取り出した。
「これは……?」
「なにこれ、綺麗ねぇ〜……」
フェリスが目を丸くして覗き込むなか、セシリアは静かに説明した。
「これは“精霊の涙”だそうです。ルミナス様に飲んでほしいと、リーネ様から……」
「えっ、私に!?」
困惑するルミナスの手に、セシリアはそっとその光を託す。
「なになに? ルミナスが飲んだら何か起こるの?」
「さぁ……私も、そこまでは聞かされていませんが……」
不安と期待が入り混じるなか、ルミナスはおそるおそるその光を口に運ぶ。
「じゃ……じゃあ、飲むよ……?」
──ゴクッ……ゴクッ……
透き通る雫を一気に飲み干した瞬間──
──ドクン……!! ──ドクンッ!! ──ドックンッ!!
「うっ……ち、力が……っ……!」
突如として全身に走る鼓動の波に、ルミナスは胸を抑え、その場にしゃがみ込む。
「ル、ルミナス様っ!?」
「ちょ、ちょっと!? これ毒じゃないでしょうね……!?」
セシリアとフェリスが駆け寄ろうとした、そのとき──
《人類神アルヴィリスから受け継いだ神の種の発芽条件を達成しました》
《《神の種》:神格進化の可能性 → 《神の芽》:神格進化の可能性上昇》
「ち、力が……!! 湧いてくる……!!」
ルミナスの身体から、ゆらゆらと純白のオーラが立ち上り始めた。
「ル、ルミナス様!? そのオーラは一体……」
「ま、まさか……神だけが扱えるっていう、神気……!?」
ルミナスは、脳内に直接響く言葉を感じた。
(……これを、言えば……いいの……?)
そしてルミナスは静かに唱える。
「……神芽顕現 《ディバイン・バディング》……!」
──ズワァァァァァッ!!!
爆発するように放たれる純白のオーラ。
大気を揺らし、空間を輝かせるその光は、まさに神性の具現だった。
「ル、ルミナス様っ!!」
「こ、これは……!」
そのオーラがやがて静まり、ルミナスの身体をやさしく、そして力強く包み込む。
そして、次の変化が訪れた。
「うっ……せ、背中……かゆっ……」
──びりびりっ!!
──ファサァァァッ!!!
突如として衣服が裂け、ルミナスの背中から純白の翼が現れる。
左右に広がったその翼は、まるで天使のように神々しく、美しかった。
「ええええっ!?!?」
あまりの神々しさに、セシリアもフェリスも、そして後方で見守っていたハキームも──
誰もが無言でひざまずき、頭を垂れた。
「ちょっ!? みんな何頭下げてんの!?」
ルミナスは慌てて“神纏い”の状態を解除する。
「はっ……つ、つい頭を下げてしまったわ……。い、いえ……あの姿では直視するなど、おこがましい……」
「わ、私でも……あれは流石に慣れるのに時間かかるわ……。だって、ほんとに神様だったもの……」
「このハキーム……生まれてきたことを誇りに思います……。神は……ここにいらっしゃったのですね……。ああっ……!」
そして、最初に気づいたのはセシリアだった。
「ル、ルミナス様……!?」
「ん? どうしたの?」
セシリアはじっと、ルミナスの全身を見上げ、そして言った。
「……少し……大きくなりました……?」
「えぇ……?」
ルミナスは自分の体を見下ろして確認する。
──キョロキョロ……
「……!!」
「たしかに……服、ちょっとキツいかも……!」
その言葉に、フェリスが顔を引きつらせながらルミナスに駆け寄る。
「そ、それ本当!? 本当に大きくなったの!?」
ルミナスとフェリスは背中を合わせて、セシリアにジャッジを依頼した。
「セシリア!! どっちが大きい!?」
「え、ええと……同じくらい……? い、いえ……ルミナス様のほうが、少し高いかも……」
その一言に、フェリスは膝から崩れ落ちる。
「う、嘘でしょ……! 身長だけは……私の勝ちだったのに……っ!」
──こうして、セシリアは無事に帰還を果たし。
そして“神の種”は、精霊の涙によって発芽した。
ルミナスは新たな力と、そしてわずかな成長を得ることとなったのだった。