第四章 第10話:片目のメイドは結晶の中で──
──あらすじ──
暴走する水と対峙するルミナスたち。セシリアの不在の中、
仲間たちは迫る脅威に力を尽くすが、状況は悪化の一途をたどる。
そんな中、光の中から現れたのは──。
────オアシス・地下二階:精霊結晶の間
広間の水位はすでに床の七割近くに達していた。
荒れ狂う黒水の中で、ルミナスとフェリスは必死にリーネ・カースと戦っていた。
その先、水底には、まだセシリアが沈んでいる。
「フェリス!! 私があいつを凍らせる! その隙に《紅蓮剣》でトドメを!!」
ルミナスは鋭い水刃を避けながら、リーネ・カースの正面へと回り込んでいく。
その表情には、焦燥と決意が混じっていた。
「はぁ、はぁっ……わ、わかったわ!!」
──バチバチ……
「《紅蓮剣》……」
──ボウッ……!
フェリスの剣が赤く光り、炎の気配を帯び始める。彼女はコクンと小さく頷き、タイミングを見計らう。
──フォン! フォン! フォン! フォン! フォン!
「くっ、このっ……!」
形状を自在に変える水刃をかわしながら、ルミナスはじりじりと距離を詰めていく。
その胸の奥には、ただ一つの想いが渦巻いていた。
(早く……早くこいつを倒さないと……! セシリアがっ!!)
──ブオォォン!!
「今だぁぁぁっ!!!」
叫びとともにルミナスは突進する。肩に深い斬撃を受けながらも、彼女はリーネ・カースの身体へと手を伸ばした──
──ジャキンッ!!
「ぐっ……ああっ!!」
触れた瞬間、リーネ・カースの身体から槍のような水のトゲが突き出し、ルミナスの手のひらを貫通。そのまま肩まで突き刺さる。
「っ……!? ルミナス!!」
フェリスの叫びが広間に響く。
しかしルミナスは、痛みに耐えながらも歯を食いしばって叫ぶ。
「っ……ま、負けるかぁぁぁっ!! 《フリーズ・インパクト》!!!」
──ガキィィィィンッ!!!
瞬間、彼女の掌から放たれた氷の衝撃波が、リーネ・カースの身体を凍てつかせた。
『……』
凍りついた邪精霊は、わずかに揺れることさえ止められる。
「フェリス!! 今!!」
「……《紅蓮剣・灼葬》!!!」
──ゴウッ!!
フェリスの剣が真紅の炎を帯び、唸りを上げる。
──ダダダッ!!!
「これでぇぇぇ……!! 砕けろぉぉぉぉっ!!!!」
その瞬間だった。
──ブクブクブクブッ……!!
「……!?」「!?!?」
──ジャキィィィィン!!!
「ぐっ……!! うあああああっ!!!!」
──ドシャッ!!!
氷が割れ、突如としてリーネ・カースの身体から熱湯が吹き上がる。
その内部から放たれた鋭利な水圧の刃が、フェリスの脇腹を貫いた。
──ジュゥゥゥ……ッ!!
「フェリスっ!!!!」
倒れた彼女のもとへと駆け寄るルミナス。すぐさま回復魔法を施す。
「フェリス! 大丈夫!?」
「くっ、そ……あと少しだったのに……っ!! こ、このままじゃ……セシリアが……っ!」
フェリスの目に、悔しさの涙が浮かぶ。歯をギリリと噛み締め、拳を握りしめる。
ルミナスもまた、思考を巡らせていた。
(斬っても……凍らせても……効果がない……なら、どうすれば……!?)
──水底──
その頃、セシリアはまだ深い闇の中に沈んでいた。
『……きて……起きて……』
(……だ、れ……?)
どこからか聞こえてくる、微かな呼び声。
セシリアの意識が、ゆっくりと戻り始める。
彼女の胸元にある、精霊核の欠片が淡く、点滅するように光り始めた。
『その精霊核を使って……』
(……この、精霊核……を……?)
『きっとあなたなら出来る……』
その声は、不思議とあたたかく、優しく響いていた。
『強く願って……』
セシリアはふらつく手で、そっと精霊核の欠片を両手で包み込む。
(ルミナス様を……みんなを……救うためなら……わたしは……!)
──キィィィィィィィン……!!
精霊核が突如として、まばゆい光を放つ。
その光が水底全体を照らし、セシリアの身体を包み込む。
『あなたなら出来るよ……だって、あなたは……わたしの…………』
精霊の声が、穏やかに、確かに語りかけたその瞬間──
精霊核の欠片は光となって、セシリアの胸元へと吸い込まれていった。
──水面では今なお、激しい戦闘が続いていた。
「フェリス……。今度は炎魔法で蒸発させられないか試してみる……!」
「もう、なんでも試すしかないわ! やりましょう!」
満身創痍の二人は立ち上がり、魔力を溜める。
フェリスは剣を構え、詠唱を始めた。
「紅炎よ、我が矢となりて──敵を貫け!
《スカーレット・ショット》!!」
それに合わせて、ルミナスも魔力を解放する。
「《インフェルノ・レイ》!!」
──ヒュンッ! ヒュンッ! ヒュンッ! ヒュンッ!
──ゴオオオオオォォォッ!!!
フェリスの魔法が連続で飛び、ルミナスの炎が燃え盛るようにリーネ・カースを包む。
だが──
──ブクブクブク……ッ。
炎は、まるで何かに吸い込まれるように、リーネ・カースの身体へと沈み込んでいった。
「こ、これもダメなの……!?!?」
「……精霊相手だと、やっぱり……魔族よりはるかに厄介か……!!」
そのとき、リーネ・カースの両腕が二人へと向けられた。
「……!? フェリスっ!!」
──ドンッ!!
「ル、ルミナス!?!?」
──グサッ!!
──グサッ!!
鋭く放たれた水の槍が、ルミナスの肩と胸を貫いた。
「ごふっ……ごぽっ……!」
──ビチャッ、ビチャビチャビチャ……!!
血を吐いたルミナスは、そのまま膝をつき、崩れ落ちる。
──ドサッ……。
「ルミナスっ!!! そんな……っ!!」
慌てて駆け寄るフェリスの腕の中で、ルミナスは手をゆっくりと持ち上げる。
「だ、大丈夫……私なら平気……」
彼女の身体は、たちまち再生していく。けれど、その様子はどこか不安定で──。
「ははっ……こりゃ参ったな……」
自嘲気味に笑うルミナス。そんな彼女の弱気な姿を見て、フェリスは一瞬、目を見開いた。
「なによ……珍しく弱気じゃない……」
「でも……絶対に倒す……! それで、また三人で……一緒に美味しいご飯食べようよ……」
「……いいわね、それ。絶対だからね……!」
肩を支え合い、ふらふらと立ち上がる二人。その背後で、リーネ・カースが再び殺気を帯びて襲いかかってきた。
「くっ……!」
──ズワァァァァァァァァァッ!!
その時──
──ブクブクブク……。
──ザパァァァァンッ!!!
「……!?」「な、なに!?」
濁った水面が突然弾けた。飛び出してきたのは、まばゆく輝く結晶のような存在。
その姿を見たフェリスは思わず叫ぶ。
「今度は何!? 新手なの!?」
だが、ルミナスはただ静かに、その姿を見つめていた。
「……セ……セシリア……?」
それは、確かにセシリアの気配を宿していた。
結晶体となった彼女──精霊セシリアは、ルミナスとフェリスに一瞬視線を送り、すぐにリーネ・カースへと向かって突進する。
──ズワァァァァァッ!!!
『……ッ!?』
──バゴォッ!!!
突然の一撃に、リーネ・カースが大きくよろめいた。
「当たった……!? 攻撃が……通ったの!?」
次の瞬間、セシリアの周囲にナイフのような水の刃が無数に生成される。
それらは一斉にリーネ・カースへと向かって放たれた。
──ビュンッ! ビュンッ! ビュンッ! ビュンッ!
その鋭く的確な動きに、フェリスの目が見開かれる。
「……まさか……その攻撃の仕方……」
隣で同じく見つめていたルミナスが、コクンと頷く。
「うん……たぶん、間違いない。セシリアだよ……」
「でも、なんで……? まさか神に祈ったとか……?」
「たぶん違う。リーネの本名は──リーネ・ローゼリッタ。彼女は……セシリアの先祖なんだ」
「なっ……!?」
「おそらく、セシリアは“精霊になる資格”を、最初から持ってたんだと思う……」
ルミナスの言葉を噛み締めるように、フェリスは黙って結晶体を見上げた。
セシリア──いや、精霊セシリアは、その手に無数の水の刃を収束させ、なおもリーネ・カースへと容赦なく攻撃を繰り出す。
──ズガガッ! ズガッ! ズガガガッ!!
『…………ッ!!』
リーネ・カースは完全に押されていた。
けれど──
──ブクブク……。
リーネ・カースの身体が、一瞬震える。そして、怒りと憎悪の塊のような叫びと共に、全身から水刃と槍を同時に生み出す。
──ズワァッ!! シュンッ!! シュンッ!!!
リーネ・カースが怒りに任せて放つ水刃と槍の嵐。
だが、精霊セシリアはそれをものともせず、片手で弾き飛ばしていく。
──びしゃ!! びしゃしゃっ!!
水のナイフが舞い、鋭い水槍が飛ぶたび、セシリアは舞うような動きでそれを交わし、反撃へと移る。
『……!』
セシリアの手が、リーネ・カースの首元をしっかりと掴む。
その掌に、精霊の力が収束していく──。
しかし。
──グニャンッ!!
《……!?》
リーネ・カースの身体が溶けるように歪んだ。
そのままセシリアの腕に絡みつき、結晶ごと締め上げる。
──ギギギギ……ッ!!
巻き付いた水の爪が、セシリアの結晶体を締め付けていく。
まるで、結晶ごと粉砕しようとしているかのように。
「まずいっ!! フェリス!! セシリアを援護するよ!」
「わかったわっ!!」
ルミナスはすぐに詠唱へと移る。
「《サンダーバインド》!!」
雷の鎖がリーネ・カースを捕らえ、動きを制限する。
同時にフェリスは瓦礫の足場から跳躍し、剣を構えてリーネ・カースの体を分断させる。
──ダダダッ!!
──ズバッ!! ズバァッ!!!
結晶を締め付ける水の塊が裂け、セシリアはそこからするりと抜け出す。
そして──今度こそ、とどめを刺す。
──キュイィィィィィィンッ!!!
全身に力を集めたセシリアが、光と共に解き放つ一撃。
──ズガアァァァァァァァッ!!!
『……!!!!!!』
凄まじい光線がリーネ・カースを貫き、その場に釘付けにする。
断末魔のような呻き声を上げながら──
『!!!!!』
──バシュウゥゥ……ッ……
水の身体が蒸発するように崩れ落ちていく。
最後には、静かに、何も残さず──消えた。
──……
「や、やったわ……」
「ふぅ……なんとかなったね……」
力を抜いて、その場にへたり込む二人。
だが──
──ザアァァァァァァァァッ!!!
「ル、ルミナス!! でも、水が止まらないわっ!!」
「くっ……! 瘴気の根源は断ったはずなのに……! 精霊核が失われた今、力を制御する術がない……!」
「このままだと──たとえ寄生水の影響が消えても、ザハールが洪水で壊滅するっ!!」
フェリスの顔が青ざめる。
「ど、どうすれば……っ!!」
そのとき──
精霊セシリアが、静かにルミナスの前へと歩み寄ってくる。
「セ、セシリア……!?」
──ルミナスの思考へ、直接“声”が響いた。
《ルミナス様……私が止めてみせます》
「……え? 止めるって……なにをする気っ!?」
《私が、精霊核の一部になります。リーネ様とともに、この水を──止めます》
「精霊核になるって……セシリアは!? セシリアは、戻ってくるんだよね……!?」
フェリスにはその“声”は届いていなかったのか、ただ不安げに問いかけてくる。
「な、なに言ってるの!? ルミナス!! セシリアはなんて……!?」
「セ、セシリアは……リーネと一緒に、水を止めるって……」
「な、なんですって!? セシリア!! グラン王の伝承は聞いたでしょ!? 何千年も──何千年も眠りにつくかもしれないのよっ!!」
そして今度は、フェリスの心へもセシリアの思念が届く。
《フェリス……ルミナス様のこと、お願いします……》
「お願いって……っ! そ、そんなの、勝手すぎるわよ……っ!!」
それでも──セシリアは静かに、微笑むように近づき、
そっと、ルミナスを抱きしめた。
《ルミナス様……心から、お慕いしております》
「セ……シリア……?」
その温もりを一瞬だけ残し、セシリアはふわりとルミナスから離れ、
まるで水に還るように、結晶の柱の中へと吸い込まれていった。
「セシリアっ!!!!」
「セシリアっ!!!!」
叫び声とともに、柱が輝き始める。
──ザアァァァァァァァッ!!!
──ザアァァァァッ!!
──ザアァァ……!
──ザァァ……
……そして。
水の奔流は、嘘のように止まった。
さらに、濁っていた水はキラキラと輝き、澄みわたっていく。
空気さえも清らかになったようだった。
フェリスは、震える声でつぶやいた。
「……やった……のね。セシリアが……助けてくれたのね……」
そのままぺたんと座り込み、目に涙を浮かべ、大粒の涙が頬を伝う。
「うん……セシリアがいなかったら、ザハールはきっと……壊滅してた」
ルミナスは、ゆっくりと結晶の柱に手をかざす。
静かに、目を閉じて──
その頬から、一滴の涙が、そっと落ちた。