第四章 第4話:メイドと炊き出し
──あらすじ──
セシリアとフェリスは、ルミナス不在のまま混乱するザハールの街に到着する。
そこで二人が取った行動は、ただの炊き出しでは終わらなかった――。
異国の王との邂逅、そして伝承の扉が静かに開かれる。
──ザハール自由連邦国・中心街
宿の前に荷馬車が止まり、セシリアたちは静まり返った街を見渡していた。
「これは……酷いですね……」
ザハールの中心街は、まるで活気を失った廃墟のようだった。人影はまばらで、通りの片隅ではやせ細った子どもが地面に座り込んでいる。
「セシリア……早くなんとかしないと、本当にザハールが滅んでしまう……」
フェリスが眉をひそめ、不安げに呟く。セシリアは黙って荷馬車に積まれた大量の野菜へと目を向けた。
「……」
そして、静かに決意を口にする。
「フェリス。これから炊き出しを行います」
「え? これから!? 今すぐ!?」
フェリスが驚いて聞き返すも、セシリアはすでに行動を開始していた。宿の厨房へと野菜の袋を運び込みながら、問いかける。
「フェリス、水魔法は使えますか?」
「使えるけど……」
フェリスが不安げに厨房を見回すと、セシリアが宿主のハキームに尋ねた。
「ハキーム様。こちらの厨房を使わせていただいてもよろしいでしょうか?」
「え、ええっ。もちろん……ご自由にお使いください」
セシリアは寸胴鍋を取り出し、フェリスに頷いてみせる。
「フェリス、水をお願い」
「わ、わかったわ……。水の精よ、我が声に応え湧き出でよ──
《アクア・サージ》!」
──じょぼぼぼぼぼ……
魔法によって生み出された清らかな水が鍋に注がれていく。
「では、私は──」
セシリアは包丁を手に取り、次々と野菜の皮を剥き、手際よく刻み始めた。
──シャリ、シャリ、シャリ、シャリ、
──トンットンットンットンットンッ!!
その音は、どこか清々しくすら感じられた。
カットされた野菜を手早く炒め、鍋へ投入する。
──ジュウゥゥ……
その香ばしい音に誘われて、フェリスの表情がほころぶ。
そこへハキームが香辛料の瓶を持ってきた。
「セシリア殿、こちら……ザハール名物のカーレムの粉です。ぜひお使いください」
セシリアは蓋を開け、香りを確かめた。
「これは……! とても食欲をそそる香りですね。ありがとうございます、使わせていただきます」
煮込まれた野菜にカーレムの粉を加え、全体を丁寧に味付けしていく。
「クンクン……うわぁ……美味しそうな匂い……」
フェリスは思わず涎を垂らしそうになり、慌てて口元を拭う。
「フェリス。もう少しで完成です。器の準備をお願いします。そして、ハキーム様。住民の方々をお呼びください」
「了解! まかせて、セシリア!」
「わ、わかりましたっ!」
ハキームは表に飛び出し、町のあちこちへと声を張り上げる。
「皆さん! 炊き出しが始まりますぞー!! 食事を配りますぞー!!」
その呼びかけに応じて、やせ細った住民たちがぞろぞろと集まってくる。今にも倒れそうな者、亡骸を背負っている者までいた。
セシリアは風の魔法で声を響かせる。
「みなさん、私たちは隣国エルディナ王国から参りました。今から炊き出しを行います。子どもたちから順番に並んでください。たくさん用意しておりますので、慌てずゆっくりと受け取ってください」
配膳を担うフェリスが器を並べ、セシリアが丁寧によそい、ハキームも手伝って一人ひとりに手渡していく。
その食事には、ほんのひと匙の希望が込められていた。
──すると。
「おいおいおい! そんなんじゃ日が暮れちまうよ!!」
「おいそこの姉ちゃん!! 早くこっちにくれよっ!!」
子どもたちが並ぶ列の後方から、粗野な怒号が響く。
声の主は、モヒカン頭の大柄な男と、目の下に濃いクマのある小柄な男。
彼らは我先にと子どもたちを押しのけ、炊き出しの場に割り込んできた。
「お、こりゃべっぴんさんじゃねぇか。嬢ちゃん、今夜俺とどうだ?」
「けけっ、俺でもいいんだぜぇ~?」
フェリスが眉をひそめ、剣に手をかけようとした、その瞬間。
「やれやれ……ん…?」
背後から、背筋が凍るような気配が走る。
思わず隣を見ると、セシリアが鬼気迫る気配を放っていた。
「う、うわっ……わ、私しーらないっ……」
フェリスはそそくさと宿の扉の陰に隠れる。
セシリアは男たちを、まるでゴミにたかる蠅を見るような冷たい目で睨みつけた。
そして、小さく呟くように独り言をこぼす。
「……こっちはルミナス様の安否もわからず、今すぐにでも探しに行きたい気持ちをこらえて、ルミナス様ならきっとこうすると思い、炊き出しの準備をしているというのに……」
男たちは耳に手を当て、茶化すように笑う。
「んん? 聞こえなかったからもう一回言ってくれねぇかなぁ~?」
「けけっ、もっと大きい声で喋らないとわからねぇぜ~??」
「……愚者が……」
──その瞬間。
セシリアが手にしていたキッチンナイフを素早く振りかぶると、回転するようにして空中へ投げ放った。
ナイフは音もなく宙を旋回しながら、目にも止まらぬ速度で男たちをなぞるように切り裂いていく。
──シュッ…
──シュンッ!! シュンッ!! シュンッ!! シュンッ!!
──ビリリッ!! ──ファサッ……
「……お?」「……へ?」
男たちの髪、そして衣服がまるで幻のように断ち切られ、砂の上に崩れ落ちる。
セシリアは手元に戻ってきたナイフを片手に、ギラリと片目を光らせた。
「次、何か発言しましたら……今度はその粗末なものを、このナイフで刻んで差し上げますね」
その声音に、冗談の色は一切なかった。
「ひぃぃぃぃ!! こ、こいつはやべぇ!! おい、ずらかるぞ!!」
「な、ちょっと待ってくれよぉぉぉ……!!」
二人の男は逃げ出し、砂煙を上げて街の通りの奥へと消えていった。
「全く……」
セシリアは呆れたように肩をすくめると、再び子どもたちに向き直って丁寧にカーレムを配り始めた。
扉の陰から顔を出したフェリスが、小声で呟く。
「今回は……あれだけで済んで良かったわね……」
その言葉に、ハキームが恐る恐る尋ねた。
「え、以前にも……あんなことが……?」
「前にね、ルミナスのスカートをいたずらで捲った組合員がいて……」
フェリスは遠い目をしながら語り始めた。
「風魔法で壁に吹き飛ばされて、ナイフで壁に貼り付けにされて……」
「な、ナイフで壁に……!? そ、それで……?」
「脳天にナイフを──ってところで、ルミナスが止めに入ったけどね……。あの時のセシリアは、本当に……やばかったわ……」
その瞬間、セシリアが静かにフェリスの方を向いた。
「フェリス。サボってないで早く器を持ってきて頂戴。」
「はいっ!! かしこまりましたっ!!」
フェリスは反射的に敬礼し、素早く器を運び始める。
「も、もしかして……魔王より恐ろしいのでは……?」
ハキームは、セシリアを怒らせまいと、密かに心に誓ったのだった。
──オアシス・地下
一方その頃、ルミナスは石造りの階段を警戒しつつも足取り軽く下りていた。
「やばい……ダンジョンっぽくてワクワクするぅ~!!」
目を輝かせながら、古びた地下空間を進むルミナス。
壁際のランタンが、彼女の歩みに呼応するように青白く灯る。
「す、凄いよここ! 歩くと勝手に点く青い炎のランタン!」
「なぜか置かれてる棺桶! そして謎に配置された檻!」
「上から垂れ下がる鎖に、かつて使われてたであろう拷問器具まで……!」
「石畳のタイルに、迷路のような間取り……」
「そして──見るからに壊してって言わんばかりのこの細長い樽っ!」
「えいっ!」
──バキッ!
木樽を蹴飛ばすと、中から蜘蛛や正体不明の虫がうじゃうじゃと這い出してきた。
「ぎゃあああああああ!!!!」
──ザハール自由連邦国・中心街
一方その頃、セシリアたちは子どもたちへの炊き出しを終え、大人たちへの配膳に移っていた。
「フェリス、少なくなってきたら私が追加分を作ります」
「了解! 私はこのまま配っていくわっ!」
セシリアは料理と配膳、フェリスは器の回収と洗い物を担当し、ハキームは列を整理して割り込みを防いでいた。
──ピーンッ!
セシリアが突然、小さく肩を震わせて立ち止まる。
「ルミナス様……!?」
「セ、セシリア? どうかしたの?」
「い、いえ……今、ルミナス様の叫び声が……聞こえたような……。きっと気のせいね」
そのとき──
「これはこれは! グラン様!」
ハキームの声に反応して振り返ると、群衆の向こうから優雅な佇まいの老紳士が姿を現す。
年の頃は六十代。白いローブに銀糸を織り込んだケープ、手にはエメラルドの宝石が埋め込まれた杖を携えていた。
「おお、ハキームよ。これは一体……?」
「ははっ、報告が遅れまして申し訳ございません。この方々のご厚意で、民に炊き出しをしておりましたもので……」
グランはセシリアたちを見つめ、微笑んだ。
「では、この方々が……神アルヴィリス様の御使い……?」
「はい、左様でございます」
「セシリア殿、フェリス殿。こちらザハール自由連邦国、連邦王グラン=カリフ王であらせられます」
ハキームの言葉に、セシリアとフェリスは揃って前に出て膝をつく。
「ご挨拶が遅れました。私たちは隣国エルディナ王国より参りました。セシリア・ローゼリッタと──」
「フェリス・ヴァルグレイスと申します」
二人の自己紹介を受け、グランはふと首を傾げた。
「うむ、はて……神の御使いのお一人が見当たらぬようだが?」
セシリアは小さく息を飲み、表情を曇らせた。
「……実は、ここへ向かう途中、グルザームの群れに襲撃され……ルミナス様が巨大な個体に……」
「……なんと……」
言葉を失うグランに、セシリアは強く目を見開いて言った。
「ですが……私は信じています。ルミナス様はご無事です。必ず生きていらっしゃいます」
「ええ。あいつは絶対、どこかでグルザームから脱出して、一人で砂漠を歩いてると思うわ……」
フェリスも力強く頷く。
グランは静かに目を閉じ、家臣たちに声をかけた。
「……ならば、まずは彼女のためにできることを。お前たち、炊き出しを手伝って差し上げなさい」
「はっ!」
白衣の従者たちがテキパキと動き出し、配膳と後片付けを手伝い始める。
「これでもう大丈夫でしょう。貴重な食料のご提供、心より感謝いたします」
そう述べたグランは、セシリアたちを宮殿へと案内する。
──ザハール自由連邦国・宮殿
宮殿はエルディナ王国のそれと比べて小ぶりだが、白を基調とした内部は荘厳かつ清潔で、二階への大階段が左右に伸びていた。
その先、王室の奥には巨大なステンドグラスがあり、日光を受けて神秘的な光を放っていた。
「セシリア……見て! とっても綺麗ねぇ~」
「ええ。特にこのステンドグラス……照りつける太陽に反射して、幻想的ね」
フェリスが感嘆の声を漏らすと、グランは満足げに頷いた。
「ほうほう、お気に召していただけて何より。このステンドグラスは古より伝わる『リーネの涙』の伝承を描いたものです」
セシリアは目を細め、その名に思い当たる伝承を口にした。
「リーネの涙……かつてこの地が奴隷国家だった頃、一人の少女リーネが立ち上がり、
仲間とともに自由を勝ち取った。しかしその代償に多くの命が失われ……彼女の流した涙が、枯れることのない湖となった──」
「そう……それが表向きの伝承。しかし──本当の『リーネの涙』を知る者は、王族と限られた側近のみ」
「本当の……!?」
驚きを隠せないセシリアとフェリスに、グランは静かに頷いた。
「今こそ……この混乱の時代。真実をお話しするにふさわしい頃合いでしょう」
そして彼は、色彩の光を放つステンドグラスを見つめながら──静かに語り始めた。