第一章 第3話:異世界に場違いな佇まい。
――あらすじ――
異世界に降臨し、圧倒的な力で魔族を退けた少女・ルミナス。
だが彼女が次に直面したのは、あまりにも質素で味気ない“この国の食文化”だった。
「……これはもう、戦う前にごはんをどうにかしないと」
思わぬ方向に覚悟を決めたルミナスは、王より与えられた豪邸で暮らすことに。
そして、住民たちが抱える飢餓と農業の現状を知り――
神託の御使いとしてではなく、ただのひとりの転生者として。
彼女は、この世界に“豊かさ”を取り戻すため、畑へと向かう。
——王都、食堂。
「……まっずぅぅぅ……」
粥のような白い液体をすすった瞬間、ルミナスの顔がしかめられる。
見た目はまだマシだったが、味はとにかく薄く、出汁も塩も効いていない。素材の旨味はすべてどこかへ旅立ったらしい。
「これ、病院食ってレベルじゃない……」
一口、また一口と飲み込みながら、彼女の脳裏には日本の食文化がフラッシュバックしていた。
(おにぎり、味噌汁、卵かけご飯……カツ丼!牛丼!ラーメン!)
思わず涎が垂れそうになり、慌てて拭う。
この国の食事がこうも味気ないとは想定外だった。
戦う以前に、まずは生きるための楽しみが貧しすぎる。
「……なんとかしないとな。まずは飯から、だよ」
そう呟いた瞬間、食堂の扉が重々しく開いた。
「ルミナス・デイヴァイン殿、お許しを」
銀と紫を基調にした礼服に身を包んだ壮年の男が、重々しい足取りで近づいてくる。
エルディナ王国の王、ヴェルクス=エルディナである。
「あれ……王様?どうしてここへ?」
ルミナスが思わず呟くと、王は恭しく膝をつき、深々と頭を垂れた。
「神の御使い様よ。かくも尊き力で我が国をお救いいただいたこと、王として、そして一人の人として、心より感謝いたします」
その声には真摯な敬意と畏怖が込められていた。
「えっと……まあ、倒したのは事実だけど……」
粥の器を持ったまま返答に困るルミナスを前に、王はふと顔を上げると、柔らかく言った。
「差し出した食事だけでは、礼に足りませぬ。改めて、我が国として正式な褒賞をお渡ししたく参った次第です」
「褒賞、って……?」
「金、地位、城、家臣、城下町ごと……望むものはすべて差し上げましょう。もちろん、王位さえも」
「え、ちょ、待って……」
ルミナスが勢いにたじろぐと、背後の侍従たちが「まさか王位まで…!」「聖女様が女王に!?」とざわついた。
(……こりゃまずい何か言わないとほんとに差し出されそうだ)
「じゃ、じゃあさ。住む場所……もらえない? 一人で暮らせる家。あとは、それだけでいいよ」
「……それだけで良いのですか?」
王は本気で困惑しているようだった。
「うん。欲しいって言ったら全部もらえそうで怖いから、それだけで」
「ルミナス殿がそう仰るのでしたら……では、一軒家を用意いたしましょう。使用人も最低限でよろしいですか?」
「あ、それともう一つ、私が困ったときは王様に頼る。その代わり、王様が困ったときは、私を頼ってよ」
一瞬の沈黙。そして、王は満面の笑みを浮かべた。
「……良き約束ですな。しかと、承りましたぞ、ルミナス・デイヴァイン殿」
——同日、夕刻。王都の高台。
案内役の騎士に連れられ、ルミナスはその“家”とやらを訪れていた。
「……ここ?」
「はい。こちらが、女神様のお住まいとなります」
騎士が扉を開ける。ルミナスは唖然とした。
白亜の壁に金装飾の窓。中庭には噴水。門の奥には従者たちが整列している。
「いやいやいやいや……これ、家じゃなくて豪邸じゃん……!」
あまりのスケールに、さすがのルミナスも絶句した。
(しかもなんか、全員私の方見て頭下げてるし……)
「……やば。これ、庶民生活のハードモード始まったかも……」
豪奢な内装の屋敷の中を、ルミナスは使用人に案内される。
寝室にはふかふかの天蓋付きベッド。棚には銀細工の調度品が並び、窓からは庭園が一望できる。
「そしてこちらが浴室になります」
扉の奥には大理石の大浴槽。湯気が立ち昇り、まるで高級温泉旅館のよう。
「……え、これ一人用……じゃないよね……?」
さらにエントランスでは使用人がキャンバスを持ってきた。
「こちら、ルミナス様の肖像画でございます。王宮の画家に手配しております。飾る位置のご確認を——」
「い、いらないいらないいらないっ!! 肖像画とか飾らないでぇぇぇ!!」
必死に手を振るルミナスに、使用人は「ご謙遜を……」と微笑むだけだった。
(これは……完全に豪邸。っていうか、一人暮らしって言ったよね私!?)
ルミナスはソファに崩れるようにもたれかかる。
「……こんなんじゃ庶民スローライフ送れないよ……」
だが、ふと視線を上げる。
(でも屋敷へ来る途中わかったことがある。飢餓や病気。それに生きるための希望が住民に無かった……)
近くにいた使用人に声をかけた。
「ねえ。この国の……エルディナ王国の農業って、今どうなってる?」
少し驚いた様子の使用人は、丁寧に答えた。
「200年前までは、“ムー”や“ホグ”、“レグゥ”などの家畜が存在しておりました。しかし……」
(知らない動物の名前だけど特徴を聞く限り牛や豚、鶏のことだろうか……?)
使用人は言い淀み、静かに続けた。
「魔族神ザル=ガナス様が、神々の均衡を崩されてから……あらゆる生物が“魔獣”と化しました。今では、動物も、森の生き物たちも、人の管理できぬものばかり……」
「……じゃあ、農業は?」
「作物は……辛うじて育ちますが、瘴気の影響で味は悪く、実も小さく……飢えを凌ぐので精一杯の状態です」
ルミナスは目を伏せ、思考を巡らせた。
魔獣の家畜化——それは現時点では現実的ではない。
安全性、扱いやすさ、なにより“食べられるかどうか”の保証がない。
(となると、まずは……畑か)
彼女は立ち上がる。
「ねえ。この国に、いちばん大きな畑ってどこ?」
使用人は少し驚いた顔で答えた。
「ええと……王都の南西にある、共同耕作地でございます。今は民たちが細々と“ウィット”や“ヤモ”を育てておりますが……」
「よし、案内して。ちょっと見に行きたいの。神の名にかけて、ちょっと本気で飯を変えてやる」
その瞳には、どんな魔王よりも強い意志が宿っていた。
次回:「女神、畑を癒やす」