第三章 第10話:女騎士と女神
──あらすじ──
戦場に混乱が広がる中、仲間の危機にルミナスが駆けつける。
交錯する意志と絆、そして迫る巨獣。
女神の力が今、誰かを救うために振るわれる。
──南東・エルディア湿地帯・中域
フェリスが連れ去られたことで陣形は崩れ、アレクシアは部隊の統率に苦戦していた。
「くっ……! 前衛は盾で後衛を守って! 後衛は下がりながら魔法を!」
必死に指示を飛ばしながらも、前衛の立て直しが間に合わず、魔族たちが一斉に襲いかかる。
「う、うわぁぁっ!!」
咄嗟にアレクシアが大剣を振り、仲間を守る。
──ザンッ!!
「しっかりなさいっ!」
「ア、アレクシア様……助かりました……!」
しかし、陣形の乱れは魔族の勢いを増すばかりだった。
「ぐ、わっ……!!」「こ、こいつ……!」「うわっ!!」
「く、来るなっ……!!」
焦りに飲まれ、アレクシアは心の中で己を責める。
(フェリスなら、きっとこんな時……うまく対処していたはず……)
混乱の中、背後から叫び声が上がる。
「ア、アレクシア様っ!!」
振り向いた瞬間、ハイグブリンが棍棒を振り上げて迫っていた。
「しまっ──」
──ドガッ!!!
アレクシアは反射的に目を閉じる。しかし、痛みは来なかった。
「……」
ゆっくりと目を開けると、そこに立っていたのは──
「おまたせ、アレクシア」
──ズワァッ!!
──パァンッ!!
ハイグブリンを拳一閃で吹き飛ばすルミナスの姿があった。
「ル、ルミナス様……!」
アレクシアは安堵から涙を浮かべかけるが、すぐに表情を引き締めて叫ぶ。
「ルミナス様!! フェリスが……フェリスが!!」
ルミナスは辺りを見渡し、フェリスの姿が見当たらないことに気づく。
「フェリスに何があったの!?」
アレクシアが険しい面持ちで答える。
「フェリスは、両翼を持つ大型の魔獣 《レイヴォルク》に連れ去られました……。わたくしを庇って……」
その言葉にルミナスは息を呑む。
だが──
「……まだ生きてる」
ルミナスは胸元のペンダントを見る。フェリスに渡したそれと共鳴するように、淡く光っていた。
「アレクシア、フェリスがどっちに連れて行かれたか分かる?」
「あちらの方角ですわ!」
東の森と湿地帯の境界──。ルミナスはすぐに駆け出したい衝動を抑え、目の前の魔族たちに視線を向ける。
(行く手を阻むなら……)
その時、背後から車輪の音が鳴り響く。
──ガタンッ! ガタガタガタッ!!
「ルミナス様ァ!!」
セシリアが魔馬車を駆り、魔族の群れへ突入した。
──ドガッ!! バキャッ!! バキィッ!!
魔族をなぎ倒しながら、馬車が急停止する。
「お待たせしました。状況は?」
ルミナスがフェリスの件を伝えると、セシリアは真剣な表情で頷いた。
「それなら、ルミナス様はフェリスの救出へ。こちらは私たちが引き受けます」
「えっ、でも──」
「ご安心を」
セシリアは無数のキッチンナイフを宙に放る。
「踊れ、沈黙の刃たちよ。我が意思と共に舞い、罪を断て──
《ダンス・オブ・フェイルノート》」
空中で静止した刃が、魔族たちに狙いを定める。
「行きなさい」
──ヒュンッ! ヒュンッ! ヒュンッ!
ナイフたちは宙を舞い、まるで意志を持つかのように敵を切り裂いていく。
ルミナスはその魔法に驚きを浮かべる。
「セシリア……!」
「ルミナス様。ここは私たちに任せて、フェリスを──」
「これは負けていられませんわね!」とアレクシアも構え直す。
ルミナスは力強く頷いた。
「ありがとう……! 必ずフェリスを連れ戻してくる!」
そして、ルミナスは戦場を駆け抜け、フェリスが連れ去られた方向へ向かった。
──東の森と湿地帯の間
ルミナスは険しい顔つきで、足跡や転がる巨岩の痕跡を追っていた。
(この足跡……大きい。魔獣のものか? ……まさか)
その時、低く呼ぶ声が聞こえる。
「……ルミナス」
振り向けば、ヴィスの姿があった。
「ヴィス!? いつからそこに……」
「お前たちが東の森へ向かった頃から、ずっとだ」
彼は無言で足元を示す。
「血……。まさかフェリスの!?」
「……おそらく」
その時、遠くから唸るような咆哮が響いた。
──グオアァァァァ……!!
ルミナスとヴィスは目を合わせ、無言のうちに頷く。
そして、音のした方角へと駆け出した。
──東の森と湿地帯の間・中域
──ザッ! ザッ! ザッ! ザッ!
フェリスは木々の間を駆け抜けながら、背後から迫る巨体――オルグ・フルネスの攻撃を必死にかわしていた。
「はぁ……はぁ……くそっ……!」
『グオアァァァァァァ!!!』
──ズドォォォン!!
獣が振るった大木の棍棒が地面をえぐり、激しい振動が周囲を揺らす。
「……!! 《アイギス・シールド》!!」
風圧と共に飛び散る石や砂利が防御障壁に叩きつけられ、フェリスの体を揺さぶる。
「うぅっ……!!」
(防御魔法も、あと三回──いや、二回が限界……)
すぐさま大木の陰に身を隠し、フェリスは胸元のペンダントを握りしめた。
(……悔しいけど、今はこれに頼るしか──)
その時だった。
──ブォォンッ! ──ブォォンッ!
──ブォォンッ!!
「……!?」
オルグ・フルネスが狂ったように周囲の木々をなぎ倒し始める。
『グオアァァァァァ!!!』
(まずい……! この場に留まれば巻き込まれる……!)
──ボゴォォンッ!! ──バキバキバキッ!!
──ズドォンッ!!
──ドガァァッ!!
巨体が森を薙ぎ払う中、フェリスは必死にその場を離れようと駆け出す。
──ズワァァッ!!
だが、鋭い音と共に、巨大な手が彼女に伸びる。
──ガシィッ!!
「ぐあぁぁぁっ!!」
防御魔法は発動していた。だがそれをも貫く握力が、全身を締め上げる。
「はなせ…!このっ……!」
──ミシミシミシッ……!
「ごぷっ……」
握られたフェリスの身体から骨の砕ける音が鳴る。
「ゴボッ……ヒュ……っ、ヒュー……ヒュウゥッ……」
肺も潰され呼吸もままならない。フェリスはかすれた声で喋る。
「こ…ここで……死ぬくらいなら……!」
「っ…ア……《アーク・シュート》……!」
フェリスは渾身の力で魔力を収束し、中級魔弾をオルグの眼へと撃ち放つ。
──ギュンッ!!
『グィアアアアアアッ!!!!』
「ふ、ふん……ざ、ざまぁ……み──」
だが、その反撃も届かず、フェリスはそのまま地面へと叩きつけられた。
──ドシャァッ!!
「──か……はっ……!!」
衝撃で剣を手放し、泥の中に崩れ落ちる。
──ポトッ
震える手の前に、ペンダントが転がり落ちた。
「………」
(こ……こんなことなら……もっと……素直に……なっていれば……よかっ…た……)
残された力を振り絞り、フェリスはペンダントへと手を伸ばす。
「ル……ルミナ……ス……」
一方、オルグ・フルネスは怒りに燃え、負傷した眼を恐ろしい速度で再生させていく。
『グオアァァァァァァ!!!』
そして、呻きながら棍棒を振り上げ──
──ズワァァッ!!
──ズドォンッ!!!
それを、死を覚悟していたフェリスの真上に振り下ろす。
「………」
恐怖に目を閉じたフェリス。だが、何も起こらない。
──パラ……パラ……
頬に触れたのは、砕けた木くずの欠片だった。
「フェリス。遅くなってごめん」
優しく、けれど毅然とした声が降ってくる。
「もう大丈夫。あいつは、私が倒す」
片手で棍棒を受け止め、そのままオルグ・フルネスを睨み据えるルミナスの姿がそこにあった。
「ヴィスッ!! お願いっ!!」
その声に応え、姿を現したヴィスが即座にフェリスを抱き上げ、安全な場所へと跳躍する。
フェリスはその腕の中、遠ざかるルミナスを見つめながら、そっと手を伸ばす。
(……来て、くれたんだ……やっぱり……あなたは……)
そして、彼女はそっと意識を手放した。
ルミナスはその背を見送り、再び巨獣に向き直る。
「お前……絶対に許さない……!!」
ルミナスはオルグ・フルネスの棍棒を軽く蹴り飛ばす。
「──邪魔。」
──ドゴォッ!!!
宙を舞った棍棒が吹き飛び、ルミナスは一気に踏み込むと、そのままオルグの顔面に拳を叩き込んだ。
──ボゴッ!! ──バギッ!!
──グシャッ!! ──ゴギッ!!
──ボガッ!!
『グゴ…ゴボ……!!』
連打によって顔の形が崩れていく。オルグ・フルネスは膝をつき、手で顔を覆った。
「まだ終わってないよ。」
ルミナスは投げ捨てられていた棍棒を拾い上げ、両手で構える。
──ブォォンッ!!!
そのまま振り下ろし、巨体の頭部を叩き潰す。
──グシァャッ!!!
『グギギギ……!!』
──ドオォォンッ!!!
立ち込める土煙の中、ルミナスは敵を鋭く睨んだ。
しかし、オルグ・フルネスの傷ついた顔と頭部は、再生の魔力によって瞬く間に修復されていく。
「……なるほど。私と同じ、再生持ちってわけね。」
次の瞬間、怒り狂ったオルグが拳を振り上げ、ルミナスに迫る。
──グワァァァッ!!!
「──《マナエンチャント:ソード・シフト》」
地面に落ちていたフェリスの剣を手に取り、瞬時に付与魔法をかける。
構えた剣で、迫る拳を細かく斬り刻んだ。
──ブォンッ!! ──ブォンッ!! ──ブォンッ!!
連撃の末に、オルグ・フルネスの拳は引くよりも早く断ち切られ、手首が消失する。
『グ…オアァァァッ!!!』
再生しようと、手首の断面から蠢く細胞。
「……再生なんて、させない。」
ルミナスは剣を、まるで鞘に納めるような仕草をとると、疾風のように踏み込んだ。
「──奥義。」
──キィィィィン……
──チッ……
「──紫電・一閃」
──静寂。
──スゥーー……
『グ……オ……??』
ズシャァ──ボドンッ……!
オルグ・フルネスは、自らが斬られたことに気づかぬまま、その巨体から肩より上が崩れ落ちた。
ルミナスは剣を振り、付いた血を払い落とす。
──ビッ……
「フェリスっ……!!」
すぐに駆け寄り、倒れた少女を抱く。
「ヴィス!! フェリスの状態は!?」
「……あぁ。緊急用の回復薬は飲ませたが……骨は、戻らなかった」
ルミナスはそっとフェリスに手を当て、診察魔法で状態を確認する。
「腕の骨、肋骨……肺……それに……っ、背骨まで……」
「……治せるか?」
ヴィスの問いに、ルミナスは静かにうなずく。
「治せる……でも、ただの回復魔法じゃ後遺症が残るかもしれない」
「……脊椎の損傷か」
ルミナスは一瞬だけ目を閉じ、言葉を選んだ。
「ヴィス……フェリスを抑えて。暴れても、絶対に手を離さないで」
「……何をする気だ?」
「……時間を戻す」
「っ……それが、可能なのか?」
「ええ。これなら、破損した部位を完全に修復できる。でも……」
「……痛みも、戻るんだな」
無言のうなずき。
「ヴィス、時間がないわ。……これよりフェリスを元の状態に戻します。」
ルミナスは深く息を吸い、ゆっくりと詠唱を始めた。
「時の帳よ、過ぎし傷を、過ぎたる瞬間を、ただひとときを巻き戻せ──
《リヴァルシア・クロノス》」
浮かび上がる、透明な時計の針。
──カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ、カチ。
そして、時間は巻き戻り始めた。
「っ……!! あぁっ!! いやあああああああっ!!!!」
フェリスの体が震え、声を張り上げて苦痛にのたうつ。
「フェリス!! お願い、耐えてっ!!」
暴れる体を、ヴィスがしっかりと押さえる。
「いやああああッ!!!!…ぐっ……!!ル、ルミナスっ……うぐっ……ルミナスっ……!!」
伸ばされた手を、ルミナスは力強く握る。
「大丈夫だよ……ここにいるよ……! 大丈夫、もう大丈夫だから……!!」
「ああああっ!!! うぅっ!! ぐっ……うっ……」
やがて、フェリスの体から力が抜け、穏やかな寝息が戻る。
「……成功か?」
「うん……成功したよ」
──ツー……。
ルミナスの鼻から、一筋の血が滴り落ちる。
「……ルミナス、血が出てるぞ」
「あ……うん、大丈夫……」
ルミナスは手で血を拭う。
(…あ…頭が、割れそう。でも、ここで倒れるわけには……)
「ヴィス……みんなのところへ戻ろう」
その顔色を見て、ヴィスが静かに問う。
「……ルミナス、本当に大丈夫か?」
「ん? 私? うん、大丈夫だよ……」
ルミナスは静かに微笑みながら、眠るフェリスを背負い、湿地帯へと歩みを進めた。