第二章 第4話:仄暗い井戸の巣から。
──あらすじ──
畑で穏やかな朝を過ごしていたルミナスのもとに、緊急の知らせが届く。
突如として住民が消えた村の調査に向かうことになり、彼女はその謎に迫る──。
──ルミナス邸
ルミナスがダイニングに入ると、そこには香ばしい朝食が並んでいた。
「えっ!? これ、セシリアが作ってくれたの!?」
セシリアはルミナスより早く起き、朝食を用意したという。
「はい、ルミナス様のお口に合えばいいのですが……」
席につき手を合わせ「いただきます」と一声。
パクッと一口つまんだルミナスの表情が、ぱっと明るくなる。
「う、うまっ! お肉柔らかっ!!」
その味に驚きを隠せない様子で、ルミナスは頬を緩ませた。
「ルミナス様、もしよろしければ……これからのお食事のご用意は、私にお任せいただけませんか?」
「うん! 是非っ!」
首をコクコクと縦に振りながら、ルミナスは夢中で朝食を頬張った。
朝食を終えた二人は、いつものように農場へ向かう。
「セ、セシリア!! 見て! スイ……じゃなくて、レッドメロウが発芽したよ!!」
ルミナス専用の畑では、スイカ──通称レッドメロウが芽を出し、順調に育っていた。
「順調ですね、ルミナス様。後でグランツさんに報告しに行きましょう。」
ちょうどその時、組合長レオナールが険しい顔でやって来た。
「ルミナス様…!緊急事態です!!」
真剣な眼差しに、ルミナスはすぐさま表情を引き締める。
「レオナールさん…!?緊急事態ってどういうこと!?」
「詳しい説明は組合本部でいたします……!!」
ルミナスはセシリアとともに討伐組合へ向かう。
移動の最中、レオナールはセシリアに目を留めた。
「そういえば……こちらのご婦人は?」
セシリアは一歩前に出て、スカートの端を摘みながら優雅に一礼する。
「ご挨拶が遅れました。メイド長のセシリアと申します。」
「メイド長……ですか?」
不思議そうな顔で見つめるレオナールに、ルミナスが胸を張って答える。
「セシリアは、私の新しい家族。そして、私の屋敷のメイド長を務めているの!」
その凛とした立ち居振る舞いに、レオナールはようやく納得したように頷いた。
──王国民間討伐組合
三人が討伐組合に到着すると、受付にいたリゼットがぱっと顔を輝かせる。
「ルミナス様!」
そして彼女もまた、隣に立つセシリアに目を留める。
レオナールが簡潔に紹介した。
「こちら、ルミナス様のメイド長のセシリア殿です。」
「は、はぁ……メイド長、ですか。」
「それで、リゼット。状況は?」
レオナールの問いに、リゼットは手元の調査報告書を広げる。
「本日、組合員がいつものように近くの村落を警備していたところ、異変に気づき、全家屋を調査した結果──全住民が姿を消していたとの報告が入りました。」
「き、消えていた……!?」
ルミナスとセシリアが同時に息を呑む。
「はい。そして争った形跡は一切なく、調理しかけの鍋や干される前の洗濯物がそのまま残されていました。……強力な催眠か幻惑系の魔族による犯行と見られています。」
レオナールがふと右を向いて声をかける。
「ヴィス。これをどう見る?」
その言葉と同時に、そこにはいつの間にかヴィスが立っていた。
セシリアは驚き、反射的にルミナスの前に出て腕を広げる。
「ルミナス様……っ! 私の後ろに! こいつ、一体どこから……!?」
「だ、大丈夫よセシリア! この人はヴィス。味方だから安心して!」
ルミナスが慌てて制止するも、セシリアはじっとヴィスを睨みつけたまま動かない。
「……ルミナス様がそう仰るなら……」
ようやく警戒を解き、セシリアはルミナスの隣に戻ったが、その表情はまだ険しい。
「ですが……ルミナス様を見るその目が、少し気にかかります。」
「よしよし、だいじょうぶだって。」
ルミナスは苦笑しながら、セシリアをなだめるように肩に手を置いた。
「……話してもいいか?」
ヴィスがレオナールに目を向ける。レオナールは無言で頷いた。
「……おそらく、グブリンの巣が近くにある。」
「グブリンの巣……!」
「その中でも“グブリンメイジ”が、広範囲を対象とする幻惑魔法を使うことがある。」
レオナールが眉間にしわを寄せながら呟く。
「つまり──村人たちは“餌”か……」
だが、ルミナスは一つの疑問を口にした。
「でもさ、村の警備って朝昼晩で交代してるんでしょ? そんな幻惑魔法、急に使われたら誰かしら気づくんじゃ……?」
一同、言葉を失う。
静寂の中で、セシリアがぽつりと呟いた。
「……もしかして、内通者……」
リゼットは即座に手元の資料を確認し始める。
「……基本的には、D〜Cランクの組合員が担当していたはずですが……」
リゼットが魔導石の記録を覗き込みながら、眉をひそめた。
「……記録が、ちょうど一時間分だけ消されています。連続記録式の魔導石では、本来こんな途切れ方はありえません」
「誰かが意図的に、記録を消したってことか……」
レオナールが低く呟いた。
ルミナスは腕を組み、村の構造を思い返すように視線を上げる。
「でもさ……いくら幻惑魔法があっても、たった一時間で村の住民全員を消すなんて無理がない? 一人ひとり連れてくとかだと、時間足りないよね?」
その言葉に、沈黙が落ちる。
──と、レオナールが目を見開いた。
「……いや、可能性はある。もし……村の地下に“巣”があったとしたら」
「地下……!? つまり、村そのものが──!」
「そうだ。連れ去ったんじゃない。“落とした”んだ。住民を、底へ」
ヴィスが記憶を探るように口を開く。
「……五年前、その村では地盤沈下が発生したという記録がある。だが、被害が軽微だったとして詳細調査は行われていない」
ルミナスは眉をひそめた。
「つまり……最初からグブリンたちは、この村を“餌場”にするつもりだったってこと?」
レオナールが頷く。
「……ええ。長期的に人間を育て、育ったところで巣へと引きずり込む。まるで家畜のように…」
その瞬間、ルミナスが踵を返す。
「よし、行こ。私が確かめてくる」
すぐにでも村へ向かおうとしたルミナスを、セシリアが慌てて呼び止めた。
「ル、ルミナス様が自ら出向くのですか……!? だ、ダメです!! そんな危険な……!!」
心からの叫び。だが、彼女の腕をそっと制したのはレオナールだった。
「セシリア殿……ルミナス様は、あなたが思っている以上に、強いお方です」
「……で、ですがっ……!」
「魔獣ヴァルクルスを、単騎で討伐されました。そして、あの魔王をも打ち倒したのです。もはや彼女を止められる者など、我々には──いません」
セシリアは言葉を詰まらせたまま、ルミナスの背中を見つめる。
──その背中は、まるで“希望そのもの”のように見えた。
ルミナスが振り返り、優しく笑う。
「セシリア、大丈夫。私は負けないよ」
ほんの一言。それだけで、セシリアの不安がふっと和らいだ気がした。
「……なら……それなら、私は屋敷へ戻って、お食事の準備をしておきます」
「うん! 待っててセシリア! ちょちょいっと解決して、一緒にご飯食べようね!」
手を振りながら、ルミナスは軽やかに歩き出す。
その後ろ姿に、セシリアは胸の奥がほんのり温かくなるのを感じていた。
──そして、ルミナスはヴィスと共に、静かに村の方角へと向かっていった。
──村への道中
ルミナスとヴィスは並走しながら森道を駆ける。
「ヴィス! いる!?」
声をかけると、少し前方の木陰からひょいと姿を現す。
「……あぁ」
「あとどのくらい!?」
「……このままの速度なら、あと10シルほどだ」
(10シル……ってことは、あと10分!)
木々の間を抜けたその先、視界が開ける。
「──見えてきた…!」
村の外れ。そこには組合員の姿があった。
「ルミナス様ー!! こちらです!!」
手を振る組合員の元に駆け寄る。
「状況は?」
「え、えぇ……ここからずっと見張っていましたが、怖いくらい静かで……。風の音しかしないんです」
張り詰めた沈黙の中、まるで時間が止まったかのような村の風景が広がっていた。
「──そしたら、ヴィス。巣穴を探そう!」
ルミナスとヴィスは素早く視線を交わすと、村内を二手に分かれて調査を開始した。
(どこだ……!? 道にも、家屋の影にも……穴なんて見当たらない……!)
ルミナスは地面に意識を向けながら走り続ける。
だが、手がかりはなかなか見つからない。
──ピタッ。
突然、足を止めた。
視界の端に、ぽつんと佇む井戸が映る。
(……まさか)
井戸へと近づき、縁から中を覗き込む。
(暗くて、よく見えない……)
「《ライトショット》」
指先に小さな魔力を集め、光の弾を井戸の奥へと撃ち込む。
淡く井戸の底が照らされた、その瞬間──
(っ……!? あった……!!)
底に散らばる布切れ、くすんだおたま、ちぎれた人形。人の暮らしの痕跡が、そこにあった。
「ヴィス!! あったよ!!」
駆けつけたヴィスが、井戸を覗き込む。
「……なるほど。ここか、井戸とはな」
「私はこのまま中に入る。ヴィスは、すぐにレオナールさんへ伝えて!」
「……わかった。ルミナス、あまり無理はするなよ」
その静かな忠告に、ルミナスはニッと笑って親指を立てる。
「うん! ありがと、ヴィス!」
井戸の縁に手をかけ、ルミナスは深呼吸を一つ。
「よし……それじゃあ、行きますか!」
その声とともに、彼女の白銀の髪がふわりと揺れ、井戸の中へと消えていく。
──そして。
その様子を、少し離れた木陰からじっと見つめる影が一つあった。
組合の制服を身に纏い、先ほどルミナスを出迎えていた男。だがその顔には、もう歓迎の色はなかった。
瞳は冷えきっており、口元だけがにやけている。
風に紛れて、誰にも届かぬように、男はぽつりと呟いた。
「……女神様、お一人ご案内〜♪」
その声音には、底知れぬ悪意が滲んでいた。