第二章 第1話:水に滴る奴隷紋。
──あらすじ──
王都での生活にも慣れ始めたルミナスは、
豊かになりつつある畑を見て喜びを感じていた。
ある雨の日、農場で倒れていた謎の女性を助けたことから、
彼女の新たな日常が静かに動き出す。
その出会いは、やがて物語の運命を大きく変えていくことになる――。
――ルミナス邸
朝の光が差し込む食卓にて、ルミナスは深く感慨に浸っていた。
「す、すごい……! お野菜にお肉に、あと果物まで……!?」
(完全にいちごにしか見えないけど、“トウゴの実”って言ってたな……)
この世界に転生してから最初に口にしたのは、小麦を水に浸して膨らませた粥のようなものだった。
あの時の記憶を思い返せば、今目の前の食事はまさに革命的だった。
「来たばっかの時はベチャベチャの小麦だったのが、こんなに……!」
「いただきます……!!」
目を潤ませながら、一口一口を噛み締める。
「ごちそうさまでしたっ!」
食後、ルミナスは早速農場へと足を運ぶ。
「ふんふふ〜ん♪ おっはよ〜!!」
「おっ! ルミナス様、今日も機嫌がいいなぁ! こっちまで元気になるわい」
「ルミナス様!! おはようございます!!」
農民たち、そして王宮魔道士のグランツが元気に挨拶を返す。
そして畑には、さらなる変化が訪れていた。
「……!! グランツさん!! 見て見て!! とうも…クゥクゥモロコが発芽してる!!」
それは、とうもろこしに似た作物。長らく瘴気に汚され、芽すら出なかった種が、ついに生命の息吹を見せたのだ。
「ルミナス様!! こ、これは……これは大きな一歩ですよ!!」
「これ、どうしたらいい!? 確か……間引きとかするんだよね!?」
グランツは慌てて資料本を取り出し、ページをめくる。
「どれどれ……間引きは発芽後2〜3週間、本葉が3〜5枚、もしくは苗の高さが15〜20セルが目安とのことです!」
「ほぇ〜……その資料本、めちゃくちゃ便利ね。」
「え!? わ、私は!?」
「そうね!グランツさん“も”ねっ!」
「私はおまけですかぁ〜!?!」
「ハハハハハッ!」
和やかな笑いが畑に広がる。
──ぽつ、ぽつぽつ……
「……あ、雨だ」
突然の雨に、ルミナスたちは慌てて小屋へ駆け込む。
「わ、わっ!! 資料本が濡れてしまう!!」
「グランツさん!! みんな向こうの小屋に行くってさ!!」
ぱらぱらと降り続く雨の中、ルミナスは濡れる畑を静かに見つめていた。
(……ん?)
身体強化の影響により強化された視力が、遠くのあぜ道に何かが倒れたのを捉える。
(……人?)
「っ……!?」
ルミナスは一瞬も迷わず、雨の中へと駆け出した。
「え!? ルミナス様!?」
グランツの声が背後で響くが、彼女の足は止まらない。
――あぜ道の先。
そこにいたのは、泥と雨にまみれたボロボロの服を着た、
ひとりの女性だった。
「君……大丈夫……?」
優しく声をかけると、女性の身体がわずかに震える。
「立てそうかな……? ……っ!?」
手を差し出そうとした瞬間、ルミナスの表情が凍りつく。
(……爪が、全部……剥がされてる!?)
微かに反応したが、それきり動かなくなる女性。
「ちょっと、ごめんね……」
そっと身体を抱き起こすと、さらに酷い状態が露わになった。
顔には幾重もの打撲、胸元には鞭打ちの跡、脚は青あざだらけで、
左目は潰されているように見えた。
そして肩には、焼印のような跡が刻まれていた。
(こんな身体で……ここまで……!? 意識は……ないけど、呼吸はある……!)
羽織っていた上着を彼女にかけ、ルミナスはそのまま抱きかかえて走り出す。
――農場・小屋前
「ルミナス様!! 一体どちらへ……!? ……ん? そ、その女性は……?」
駆け戻ってきたルミナスに、グランツが戸惑いながら目をやる。
そして、女性の肩に刻まれた印を見て、目を見開いた。
「その焼印は……奴隷紋!? ルミナス様、この女性は一体……!?」
「向こうのあぜ道で倒れていたの……。意識はないけど、呼吸はある。まだ助かる……!」
――農場・小屋内
ルミナスは女性を抱えたまま小屋へ入り、男性陣には一度外で待ってもらうよう指示を出す。室内には女性農民たちだけが残り、応急処置に取りかかった。
藁を詰めた布を敷いて簡易的なベッドを作り、その上に女性を優しく寝かせる。
服は雨で濡れ切り、もはや布切れ同然だったため、丁寧に脱がせて破棄。代わりに乾いた布で身体を拭いていく。
「よし……」
(外傷はなんとかなりそうだけど……左目は……)
見るに耐えない傷跡に、ルミナスは息を飲む。
「今は……まず衰弱状態をなんとかしないと……」
ルミナスは女性の手をそっと握り、目を閉じて集中する。
(通常の回復魔法は傷を癒やすだけ……だったら……!)
「……《ヴィータ・シェア》」
ルミナスの手から光の粒子が舞い、女性の身体へと静かに流れ込んでいく。
しばしの沈黙。
そして、女性の手がピクリと動き、わずかにルミナスの手を握り返した。
「……あっ……たかい……」
かすかに唇が動き、今にも消えそうな声が漏れる。
生命力を分け与えたおかげで、衰弱死の危機は脱した。
「よ……よしっ……!」
その瞬間、外で待っていた農民の女性たちが声をかけてくる。
「ルミナス様、私たちにできることはありますか!?」
「この女性に合いそうな服を用意してもらえますか?私はこのまま治療を続けます!」
「わかったわ! すぐ持ってくるから!」
一人の女性が小屋を飛び出し、服を取りに走る。
(さて、次は外傷の治療……)
ルミナスは女性の顔色を確かめ、再び手を掲げる。
「《セラフィムブレス》……!」
温かで優しい光がふわりと女性の全身を包み込む。細胞の再生力を高めるこの魔法により、顔の打撲や身体の傷、肩の焼印――奴隷紋さえも、少しずつ癒されていく。
(もう少し……あと少しだけ……!)
やがて女性の呼吸が落ち着き、安らかな眠りへと沈んでいく。
「ふぅぅぅぅ〜……!!!!」
額の汗を拭い、大きく息をつくルミナス。
「とりあえず……これでもう大丈夫……!」
服を持って戻ってきた女性農民が手際よく着替えさせてくれた。
「グランツさん!! 終わりました!!」
ルミナスが小屋の外へ呼びかけると、グランツが戻ってくる。
「す、すごい……。奴隷紋まで、きれいさっぱり……」
「でも、左目は……損傷が酷すぎて、私の魔法じゃ……」
「いいえ、ルミナス様。あの状態からここまで回復出来たのは、もはや奇跡そのものです。どうか、胸を張ってください」
「グランツさん……」
グランツは、穏やかに頷いたあと、問いかける。
「それで、彼女をどうなさるおつもりですか?」
ルミナスは眠る女性をじっと見つめ、しっかりとした口調で答える。
「彼女が望むなら、元いた場所に返してあげたい。けれど……もし帰る場所がないのなら。その時は、私が最後まで責任を持って彼女を守ります」
その言葉に、グランツは打たれたような面持ちで一歩下がり、膝をついた。
「……わかりました。このグランツ、何かあればすぐに駆けつけます。必ずや、お役に立つと誓いましょう」
農民たちも次々に声を上げる。
「俺たちにも何かできることがあったら、何でも言ってくれ!!」
「そうだ! ルミナス様、あんたの覚悟、応援するよ!!」
「みんな……ありがとう!」
こうしてルミナスは女性を再び抱きかかえ、自宅であるルミナス邸へと向かうのだった。
――ルミナス邸・寝室
大きなベッドに女性を寝かせ、ルミナスは傍らの椅子に腰かけて彼女を見守っていた。
(金色の髪に、整った顔立ち……どこかのお姫様みたいな……)
「ちょっと……今日は魔力、使いすぎちゃったかも……」
最上級魔法レベル
を続けて行使した反動で、睡魔に襲われたルミナスは、そのままベッドの端に伏せて眠り込んでしまった。
――数時間後。
(……ここは? ……私は……確か……)
女性がゆっくりと目を覚ます。記憶はおぼろげだが、雨の中を逃げていたことだけは思い出せた。
(……誰か、寝てる……?)
視線を動かすと、隣には静かに眠る人物がいた。
夕日に照らされたその姿は、まるで神話に登場する女神のよう。
「め……女神、様……?」
震える声で、彼女はそう呟いた。
「……ん……あれ…?…起きてる…?」
ルミナスはベッドがわずかに揺れたことに気づき、目を覚ます。
「……私も寝ちゃったみたい」
大きなあくびをひとつした後、ルミナスは優しく自己紹介をする。
「初めまして、私はルミナス・デイヴァイン。あなたは?」
「ルミナス……様。あ、はい…!私はセシリア…セシリア・ローゼリッタと申します」
ルミナスはにっこりと笑みを浮かべる。
「そう。セシリア……いい名前ね」
夕陽に照らされたその姿があまりにも神々しくて、セシリアは思わず問いかけてしまう。
「あの…!あなた様は女神様……ですよね?もしかしてここは天界なのですか…?私は罪を赦されたのですか……?」
ルミナスは一瞬キョトンとするが、すぐにその問いに応じた。
「残念だけど、私は女神ではないし、ここは天界でもない。そしてあなたの罪は知らないけれど、ここにあなたを害する存在はいないよ」
セシリアは少し寂しそうに俯きながら答える。
「そうですか……。私はまだ……。ですが、あなた様のようなお美しい方を私は見たこともございません。本当に女神様ではないのですか……?」
ルミナスの外見がこの世のものとは思えないことに、セシリアは驚きを隠せない。
「そうだよね。この外見だと、女神じゃないって言っても信じ難いよね」
ルミナスは、セシリアになら話してもいいと、なぜかそう思った。
「私はね?神アルヴィリスの知り合いなの。ここに来る前は別の世界にいたんだけど、神域で神様に会って、この世界の人類を守ってくれって頼まれたんだ」
「アルヴィリス様…!?あの、人の神の…!?」
「そう。だけど私は人間。この見た目も神様に与えられたものだから、女神ではないよ」
信じがたい話だったが、セシリアは疑おうともしなかった。
「あと、セシリアにつけられた奴隷紋や傷や傷跡は治したんだけど……」
その言葉を聞いたセシリアは自分の身体に手を当てて確認し、涙が堪えきれず溢れ出した。
「き、傷が……。ど、奴隷紋も……。あ…あぁ…!!わ、私はあなた様にどのような……恩義を…返したら……!!こんな…こんな…!!」
しかしルミナスは、表情を曇らせながら小さく謝った。
「だけど……あなたの左目……欠損が激しくて、私の治癒魔法では治せなかったの……本当にごめんなさい……」
セシリアは左手で顔に触れ、確認したあと、静かに言葉を返す。
「ルミナス様。むしろ感謝しております。これは私の罪の代償。この傷を背負って、私はあなた様に恩を返していきたい。」
その瞳には、すでに強い覚悟が宿っていた。
だがルミナスは、できるならば元いた場所に返してあげたいと思い、優しく問いかけた。
「でも、セシリア?あなたは元いた場所に戻りたくはないの? ご家族は?」
その言葉に、セシリアの表情は重く、暗いものへと変わる。
「いえ……私にはもう家族はいません……。……私が……殺してしまったんです……」