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本当に大事なものは  作者: 城井龍馬
社会人・大学生編
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第95話 笑顔の裏側を垣間見る 城之崎光哉の場合

部屋に入ってきた人物は、俺の反応を待たずいきなりその腕の中に俺を閉じ込めた。


甘く優しい石鹸の様な匂いが、鼻腔をくすぐる。


「城之崎君、久し振り! 元気だった!?」


太陽のように明るい声が、耳元で弾けた。


え?


え?


何が起きている?


俺は混乱の極みにあった。


腕の中でされるがままに固まっていると、金田教授の静かな声がした。


「芝浦さん、城之崎君が驚いていますよ」


その言葉で腕の力が少し緩む、教授は続けて尋ねた。


「舞さんは?」


「小澤先生はお子さんと銭湯に行くそうですよ、『二人によろしく』って言ってました」


女性――芝浦さんと呼ばれた彼女は、にこやかにそう答えた。


「そうか、今日もそんな時間か」


何かに納得して頷く金田教授。


いきなりの情報量に、俺の頭はさらに混乱する。


だが目の前の女性が誰なのか、ようやく思い出した。


あのクリスマスパーティーで会った、芝浦のお母様だ。


「ご無沙汰しております、芝浦さん」


俺がそう挨拶をすると、彼女は俺から身体を離す。


「あらあら、ご丁寧にどうも。」


そう言って、上品に微笑んだ。


そしてもう一つ、どうしても気になる事があった。


「あの……お二人は小澤舞先生と、お知り合いなのですか?」


俺がそう質問すると芝浦さんと金田教授は、少しだけ気まずそうに目を見合わせた。


「小澤先生は息子、博満の奥方なんだよ」


「え!?」


小澤先生の旦那さん、あの時の疲れた雰囲気の先生が金田教授の息子さん!?


「驚いたかい?」


金田教授はそう言いながら、芝浦さんに椅子を勧め珈琲を用意し始めた。


芝浦さんは用意された珈琲に、なんの躊躇もなくミルクと角砂糖をこれでもかというほど注ぎ込む。


そのあまりの量に、流石に入れすぎではないかと思う。


俺も入れたが流石に限度があると思い、ちらりと金田教授の反応を伺う。


教授の表情が少しだけ悲しそうに見えたのは、気の所為では無いだろう。


「それにしても驚いたわー」


芝浦さんが、カラカラと明るく話し出す。


「だってあのクリスマスパーティー振りでしょう? いきなりお声掛けいただくなんて、何事かと思ったのよ」


その言葉に、俺の頭に疑問符が浮かぶ。


「芝浦さん、城之崎君は何も聞かされていなかったらしい」


金田教授が、そう助け舟を出してくれた。


「あらあら、過保護なのかスパルタなのか……複雑な方なのね」


芝浦さんは、楽しそうに笑っていた。


一頻り笑った後、彼女はその笑顔のままで話し始めた。


「私ね、昔電車で痴漢に遭ったことがあるのよ」


ん?


一体何の話だろうか。


俺が再び混乱している中、彼女は続けた。


「その時助けてくれたのが、夫なの」


その言葉に、一つの仮説が浮かぶ。


「……もしかしてその電車が、山手線?」


俺がそう聞くと、


「よくわかったわね!」


と芝浦さんは嬉しそうだ。


「それで山手君、という名前なんですね」


芝浦の命名の理由らしい。


「そうなの!あの子は気に入っていないみたいだけどね」


芝浦さんはそう言って、少しだけ寂しそうに笑った。


「明るくて、人当たりの良い子に育ってくれたわ」


彼女はそう誇らしげに言った後、ふと少し間を置いた。


俺が芝浦さんを見ると、その笑顔には僅かな翳りが差していた。


「あの子が高校一年生の冬、目を真っ赤にしてボロボロになって帰ってきたことがあったわ。部屋に籠もってずっと泣いていてね、あの時は何があったのか分からなかった。」


『綺麗な涙』を見た、あの日だ。


「でもさっき、小澤先生……舞さんから全てを聞いたの」


彼女は一度息をついた、その目には当時の芝浦を思う痛みが浮かんでいる。


「あの子、大津先生と交際していたのね。思えばあの頃のあの子は毎日きらきらと輝いていて……」


「だが……息子はある日突然、山手君の前から姿を消した。何の説明も、別れの言葉もなく」


金田教授が重い声で付け加える、芝浦さんが痛ましげに顔を歪める。


「山手君は博満の部屋で逢瀬を重ねていたらしいのだが、ある日部屋には博満と舞さんの名前が書かれた結婚式の招待状だけが残されていた。彼は何が起きたのかも分からず、一方的に関係を断ち切られた」


言葉を失う俺に、今度は芝浦さんが更に続けた。


「そしてあの子にとって、最もショックだったのが」


芝浦さんは言葉を選ぶように、ゆっくりと語った。


「別れることになる直前の夜に、博満さんから『俺の子を、産んでくれないか?』と言われたそうなの」


その瞬間、俺は息を呑んだ。


全てのピースが、恐ろしい形で繋がっていく。


「あの子は思い込んでしまった。『自分は男だから子供を産めない、だから捨てられたんだ』って……」


頭を鈍器で殴られたような衝撃だった。


俺が、あいつに投げつけた言葉。


『お前はバイだから、いつか女性と結婚して子どもが出来るかもしれないだろう!』


それが芝浦にとって最も触れられたくない、最も深い傷を抉るものであったことに俺は漸く気付いたのだ。


『無知は免罪符では無い』


母さんの言葉が、脳内で何度も木霊した。


「改めて、申し訳ありませんでした」


金田教授が芝浦さんに深く、深く頭を下げた。


芝浦さんは、


「頭を上げてください!」


と慌てている。


だが俺は、正直それどころでは無かった。


自分が如何に芝浦に酷い事をしてしまったのか、今この瞬間思い知らされたのだ。


「……芝浦さん」


気付けば、俺は声を掛けていた。


「ここ数日、俺は芝浦君を探したのですが見つけられませんでした。芝浦君が何処にいるか、教えて頂けませんか?」


俺の必死の問いに、芝浦さんは優しく微笑みながら言った。


「今日は、自分の家に居ると思うわよ」


「……俺行きます!すみません、ありがとうございました!」


俺は椅子から立ち上がると、二人に向かって頭を下げて部屋を出ようとする。


「城之崎君」


金田教授の声に、足を止めた。


「ご母堂によろしく」


教授はそう言って、意味深に笑っていた。


俺は首を傾げながらも、


「……わかりました」


と答え、研究室を飛び出した。


芝浦の部屋へと走る。


只管走る。


母さんの顔が思い浮かぶ。


……いやまさかなと考えた後、俺は思考を振り払う。


そして更に先を急ぐのだった。

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