第79話 蚊帳の外の当事者 城之崎光哉の場合
大学から帰ってきた俺は、自室の椅子に座っては立ち上がってはまた座るという無意味な行動を繰り返していた。
そわそわと、全く落ち着かない。
芝浦は、あれからどうしているだろうか。
母さんは芝浦とどんな話をしているのだろうか?
何か変な事を言ったりしていないだろうか?
芝浦もだ。
母さんに余計なことを言っていない事を祈るしか無い。
PINEを送ってみようか。
いやスマホは母さんに渡してしまった……。
そんなことを考えていると、不意にがちゃりと玄関のドアが開く音がした。
びくりと肩を揺らす俺の耳に、聞き慣れた明るい声が届く。
「光哉、いるー?」
咲良だ。
「ああ、いるぞ」
俺がリビングから顔を出すと咲良は、
「やっほー」
といつもの軽い調子で部屋に入ってきた。
そして俺の顔をじっと見つめると、すぐに眉をひそめた。
「……なに光哉、なんかあったの?」
「え?」
「顔に書いてあるよ、『俺は今めちゃくちゃ悩んでます』って」
さすが、長年の付き合いは伊達じゃない。
「実は……母さんが帰ってきて」
俺がそう言うと咲良は、
「え?」
と素っ頓狂な声を上げた。
「おばさん来てるの? どこに?」
「朝急に帰ってきて、今は芝浦と居る」
「え?芝浦君と?」
「ああそれが、説明が難しいと言うか……」
俺は言葉に詰まる、昨日の夜のことをどう説明すればいい?
泣いていた芝浦を見て思わず抱きしめて、そのまま寝てしまったこと。
朝同じ寝室で二人でいるところを、母親に見られたこと。
支離滅裂で誤解しか生まないであろう、この状況を。
俺が口ごもっていると咲良が何かを察したように、にやりと意地の悪い笑みを浮かべた。
「もしかして、昨夜は芝浦くんとお楽しみだった?」
「はあ!?」
「それで二人で仲良く同じベッドにいたところを朝、おばさんに見つかったとか?」
「ち、違う! 断じて違う!」
俺が顔を真っ赤にして全力で否定するが、咲良はけらけらと声を上げて笑った。
「あはは! ごめんごめん! でも、その否定の仕方はもっと誤解されるやつだよ、光哉。」
誂われているのはわかっている。
だがこの咲良の軽口のおかげで少しだけ、冷静になれた気がした。
俺は観念して、正直に話すことにした。
昨夜芝浦が部屋で一人、声を殺して泣いていた事。
それを見て芝浦と始めて会った時に『綺麗な涙』だと思った事を思い出して、どうしようもなく心を惹きつけられた事。
そしてほとんど無意識のうちに、夢の中でしていたのと同じように彼を抱きしめてそのまま眠ってしまった事。
俺のとりとめのない告白を咲良は、茶化すでもなくただ静かに聞いていた。
全てを話し終えると彼女は、
「ふーん、なるほどねー」
とだけ言って、にやけていた。
「なんだよ、その顔」
「別にー?まさか私が光哉と映画行った日に芝浦君と会ってたなんてね、運命だったりして」
「五月蝿い」
咲良は、楽しそうに続ける。
「で、その感動の一夜を過ごした翌朝、おばさまに見つかったってわけね」
「まあ、そういうことになる……」
「それで?」
俺が肯定をすると、咲良は先を促す。
「それで芝浦は先に会社に行って、俺は母さんと朝食を食べたんだ。だが母さんに根掘り葉掘り聞かれているうちに、芝浦と一緒に住んでいる事を言わざるを得なくなってな」
「え!?言ってなかったの!?」
「……ああ、そうだ」
今思えば、友達に部屋を貸すくらいは言っておくべきだった。
「それで母さんが芝浦と話したいと言い出してな。何とか阻止しようとはしたんだが、このままだとこの部屋を引き払って実家から大学に通ってもらうしか無いかしらと殆ど脅迫みたいな事言われてしまった。それで母さんの言う通りスマホを渡した」
俺は溜め息を吐いて続ける。
「母さんは俺のスマホでPINEを使って、俺の振りをして芝浦を呼び出して話をしている様だ。」
「え!?じゃあ芝浦君はおばさまと二人きりで話すって知らずに会ったってこと!?」
俺は頷く。
「スマホが無いから、俺には芝浦に伝える術がない」
「あらら、芝浦君も気の毒だね」
咲良はけたけたと笑っている、酷い奴だ。
「それで光哉あたふたしてたってことね」
俺は何も言えなかった。
がちゃり
玄関のドアが開いた。
母さんか?
芝浦か?
「ただいま」
「芝浦君お疲れ様ー!」
芝浦だった。
「すまない、大丈夫だったか?母さんは?」
質問する俺に芝浦は、
「何とかね、はいスマホ」
そう言って、俺のスマホを渡してきた。
「城之崎のお母さんはもう帰ったよ、宜しくってさ」
「そうか……」
ほっと胸を撫で下ろしていると、スマホが『PINE』と通知音を鳴らす。
「母さんから?」
PINEを開いて中を見ると、そこには一言だけメッセージが届いていた。
『好きになさい』
芝浦と母さんとの間で何があったのだろうか。
ふと芝浦に目を遣る。
目の周りが薄っすらと赤くなっていて、涙の跡があることに気がついた。




