第77話 火事場の馬鹿力 芝浦山手の場合
7/21二人のやり取りを一部修正
仕事中、スマホが『PINE』と短く鳴った。
『城之崎光哉』
いつもなら嬉しい通知も、今日は不安のほうが強い。
『仕事が終わったら話がある』
から始まって場所が書いてある。
たったそれだけの、事務的なメッセージ。
話?
やっぱり城之崎のお母さんとのこと?
期待と不安がグルグルと渦を巻く。
仕事を終えて、指定されたレストランへと向かう。
送られてきた地図が示したのは、僕が普段足を踏み入れることのない高級そうな店が立ち並ぶエリアだった。
「予約している城之崎です、もう1人はあとで来ます」
そう伝えると静かな個室、静かな個室に通された。
お店のウェイターさんに椅子を引かれて、思わずすいませんと謝ってしまう。
柔らかな間接照明が、磨き上げられたテーブルを照らしてる。
なんかふつーにお高い店だけど、なんでわざわざこんな場所に?
城之崎といい鷲那といい育ちのいいやつは違うな、なんて場違いなことを考える。
でも城之崎がこういう店を選ぶなんて、なんからしくないな。
仕事が思ったよりスムーズに終わったこともあって、約束の時間まではまだ余裕がある。
手持ち無沙汰にスマホをいじりながら、僕は城之崎の話の内容について考えを巡らせていた。
こんな店を指定してくるくらいだし、何かよっぽど大変な話なのかもしれない。
――これからはもう一緒に住めない、とか?
その可能性が頭をよぎった瞬間、心臓がキュッと冷たく縮こまるのを感じた。
今朝会った、城之崎のお母さん。
優しそうな人だった。
でも大庭が言っていた。
同性愛には偏見があるみたい、って。
もしかしたらもう、会うことすらできなくなるとか。
「はぁ……」
思わず、深いため息をついた。
よりにもよってなんで、あんなタイミングだったんだろう。
城之崎は、ただ泣いていた僕を慰めてくれただけだ。
でもあんなタイミングでお母さんに見られたら、そりゃ勘違いもされるか。
それにしても本当に、タイミングが悪いことばっかりだな。
お母さんの来訪もそうだけど、その前日の『小澤クリニック』でのこと。
そこで話した小澤先生、それと……金田教授。
頭の中がぐっちゃぐちゃになる。
考え事をしているうちに、ドンドン沈んでしまいそうだ。
その時だった。
ノックのあと、個室のドアが静かに開かれた。
城之崎が来たのかな。
「お待たせしてごめんなさいね」
え?
城之崎じゃない、女の人の声だ。
そこにいたのは、笑顔でこっちを見る城之崎のお母さんだった。
「な、なんで……?」
そう言うのが精一杯だった。
「少し、お話したいと思って」
一緒に来たウェイターさんが、椅子を引いて彼女も席につく。
「それでは始めてくださる?」
彼女はウェイターさんにそう伝えると、ウェイターさんはかしこまりましたと頭を下げて戻る。
そしてすぐにワインのボトルを持って戻ってきた。
「まずは食前酒として、クレマン・ド・ロワールをご用意いたしました。華やかな泡立ちとすっきりとした味わいをお楽しみくださいませ」
グラスに注がれた液体がシュワシュワいっている、炭酸らしい。
「お2人とも、ご準備はよろしいでしょうか?」
「さ、グラスを持って」
言われて慌ててグラスを持つ。
「それでは乾杯はごゆっくりお楽しみくださいませ」
ウェイターさんはグラスを持った僕の様子を見て、軽く会釈した。
「それでは失礼いたします」
ウェイターさんが出ていくと、城之崎のお母さんが乾杯と言ってグラスを少し上にあげた。
それを見て、僕も真似してグラスをあげる。
そしてそのシャンパンみたいな液体を口にした。
「おいしい?」
「は、はい」
「そう、ならよかったわ」
正直味なんて全然わかんない、でもそう言うしかなかった。
「あの、城之崎くんは来ないんですか?」
僕は思わず質問したけど答えは、
「そうなの、ごめんなさい」
そう言って持っていたスマホを僕に見せてきた、城之崎のスマホだ。
「私があなたをここに呼んだの、私が取りあげた光哉のスマホで」
そう言ってニッコリと笑った。
……城之崎のスマホをお母さんが取りあげた?
なんで?
いやコワすぎるんですけど。
失礼しますとウェイターさんが料理を運んできた。
「お待たせいたしました、アミューズ・ブーシュでございます。トリュフ香る小さなチーズパイをどうぞ」
え?
トリュフ?
トリュフって言った?
「一口サイズでご用意しておりますので、まずはこちらをお楽しみくださいませ」
アミューズ・ブーシュってなんですか?
誰か、助けてください……。
「ごゆっくりどうぞ」
ウェイターさんが帰っていく。
「あ、あの……僕こんなお店来たこと無くて、お金もないですし……」
慌てる僕を見て、城之崎のお母さんはまたほほ笑んだ。
「気にしなくて大丈夫よ、どうぞ召し上がって」
「あ、はい」
僕は小さなパイの乗ったスプーンを取って口に入れた。
おいしい……と思う。
ただちゃんと味がわかっているかは、まるで自信がない。
「あなたは普段、どちらにお住まいなの?」
そんなことを考えているうちに質問が飛んでくる、ヤバいなんて答えよう?
「き、城之崎くんは何か言っていましたか?」
下手なこと言うとマズいよね?
そう思って聞いたのだけど、甘かった。
「あら?質問に質問で返すのはあまり良くないわよ?」
笑顔のまま、大袈裟に首を傾げて言った。
「それに私は今、光哉の話をしたつもりはないのだけれど?あなたのことを聞いたのだから、光哉のことは関係ないでしょう」
あ、やっぱりこの人ヤバい人だ。
絶対勝ち目がない気がするのは、気のせいかな?
「すみません、朝お話できなかったんですけど実はあのお部屋に住まわせてもらっています」
「そうなのね、ご自宅よりあの部屋の方が職場に近いのかしら?」
「いや距離はあまり変わらない場所に住んでるんですけど、部屋で水漏れがあって住めなくなって城之崎くんに助けてもらったんです」
なんか綱渡りしている気分だな、質問は続く。
「あらあら大変ね、ご自宅が心配でしょう?」
「え?ええ、そうですね……」
「早く戻れるといいわね?修理はいつごろ終わりそうなの?」
……ヤバい。
家が心配と言った手前、修理は終わってますとは言いづらい。
「……」
「あら大丈夫?少し顔色が悪いみたいだけど?」
この人本当にコワいな。
「いえ、大丈夫です」
「そう?ならよかった」
城之崎のお母さんは、大げさにホッとしてみせた。
やっぱりこの人相手に下手なことはいえないと思った。
「すみません、実はもう修理は終わってるんです」
僕は下手なウソをつくのをやめて、正直に伝える。
覚悟を決めたと言っていいと思う。
「……それならば、なぜご自分の家に帰らないの?」
当然の疑問だと思う、でも答えは決まっていた。
「僕が城之崎くんのことが好きで、一緒にいたいからです」
ガチャリ
城之崎のお母さんがパイの乗ったスプーンを皿に落として、大きな音を立てる。
そして彼女が大きく目を見開いたのがハッキリと見えた。




