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本当に大事なものは  作者: 城井龍馬
社会人・大学生編
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第76話 開かれた蓋 城之崎光哉の場合

久しぶりの、母さんが作った朝食。


湯気の立つ味噌汁と絶妙な焼き加減の鯖、それとふっくらとした黄色が美しい出汁巻き卵。


食卓に並んだのは、懐かしいあの頃の朝ごはんだった。


俺はその一つ一つを丁寧に味わおうと努めた。


だが残念な事に、味なんてほとんどわからなかった。


向かいに座る母さんは、優雅な所作で箸を進めている。


今何を考えているのだろうか。


着替えもせずに同じ部屋で、俺と芝浦が一晩過ごしたというあの状況をどう解釈したのだろうか。


泣いている友達を抱きしめながら、一緒に眠っていた。


それはそれ以上でも、それ以下でもないただの事実だ。


だがこの状況を正しく説明する言葉を、俺は持ち合わせていなかった。


何か話したほうがいいだろうか?


いや、そもそも俺はいつも母さんと一体何を話していた?


思えば昔から、会話が弾んでいたわけではなかった。


当たり障りのない近況報告をして、当たり障りのない相槌を打つ。


ただ、それだけだった様に思う。


その『いつも通り』を今この状況で、俺は演じられるのだろうか。


螺旋状に巡る思考に頭を抱えたくなった、その時だった。


「光哉」


不意に母さんが顔を上げる。


心臓が喉から飛び出しそうなくらい、大きく跳ねた。


「……何?」


「咲良ちゃんは、元気にしているの?」


そのあまりにも予想外の質問に、俺は一瞬虚を突かれた。


「え? ああ、うん。元気だよ」


「そう」


母さんはそれだけを言うと、また静かに食事に戻った。


何だったんだ、今のは。


芝浦の話ではなく、咲良の話?


何故今?


意図を測りかねる。


だが母さんの真意は、その先にあった。


「咲良ちゃんもあのお部屋に、よく来るの?」


「え?」


咲良があの部屋に?


前はたまにあったけど、芝浦が住むようになってからは無いな。


「いやそんなには……、たまにかな?」


俺がそう答えると母さんは、


「そう」


とだけ呟いた。


俺は気になり尋ねる。


「どうしてそんなことを聞くんだよ?」


「いえね、さっきのお部屋や溜まっていた洗濯物を見たのよ。そうしたら、あなたがあまり着ないようなお洒落なお洋服がたくさんあったから。てっきり、咲良ちゃんのものかと思って」


母さんはそこで一度、言葉を切った。


「でもよく考えたら男物だったわね。まあ最近は女の子でもああいう男物の服を着たり、男の子が女物の服を着たりするのが流行っているとも言うじゃない?『ユニセックス』だったかしら? でも咲良ちゃんの物でもあなたの物でもないのなら、誰の物なのかしら」


心臓が、嫌な音を立てて脈打つ。


「そう言えば……あなたや咲良ちゃんのお洋服にしては少し大きかったかしら? そうね」


母さんは、花が綻ぶように微笑んだ。


「ちょうどさっきの、芝浦くんくらいの大きさかしらね」


――こわい。


背筋を冷たい汗が、つうっと伝った。


これは完全に、分かってて言っている。


母さんは俺と芝浦が一緒に住んでいることを完全に理解した上で、俺自身の口からそれを言わせようとしているのだ。


ここで下手に誤魔化したところで、家の中を少し見れば証拠などいくらでも出てくる。


観念した俺は、渋々ながら白状した。


「……芝浦とは、一緒に住んでいる」


「まあ、そうなのね」


母さんは少し大袈裟に驚いた様子を見せたが、絶対に本心ではない。


その反応がさらに俺を追い詰める。


「あいつの家でちょっと事故があって、それがきっかけで……」


嘘はない。


だが、全てでもない。


「それならその修理が終わるまで、ということね? いつ頃、終わりそうなの?」


畳み掛けてくる母さんの言葉に俺は、逃げ道を完全に塞がれた。


「……修理は、もう終わっている」


「まあ、それじゃあ今はお友達同士でルームシェアをしているということね」


俺は母さんの目を、ただ黙って見つめ返す。


それが、肯定の代わりだった。


すると母さんは、心底不思議そうに首を傾げた。


「それならあなたも芝浦くんも言ってくれればいいのに、別に『やましいこと』があるわけじゃなし」


その言葉に、俺は黙り込むしかなかった。


やましいこと。


何を持って、やましいとするか?


俺を好きだと言う、芝浦。


そんな芝浦のことが気になる、俺。


そんな俺たちが、母さんのお金で借りているこの部屋で同居している。


やましくないと、果たして言い切れるのだろうか。


沈黙する俺を見て母さんは、さらに問いを重ねてきた。


その声はどこまでも穏やかで、だからこそ恐ろしかった。


「光哉。あなたまさか、何か法に触れる様なことをしたのかしら?」


「……していない」


俺は絞り出すように、そう答えた。


嘘は、ついていない。


俺は何か犯罪をした訳ではない。


……ただ。


…………。


すると母さんは、


「なるほどね」


と、深く頷いた。


「そう、罪を犯した訳ではないのね。一先ず安心したわ」


そして逃げ場のない一撃を、静かに放った。


「……でも私には、言いにくい事があるのね?」


俺はもう、何も答えることができなかった。


その問いは、母さんが俺に対して持っていたであろう同じく一つの推測。


『息子はゲイなのではないか?』


そして俺が、母さんに対して持っていた一つの推測。


『母さんはゲイに強い嫌悪感があるのではないか?』


互いに触れない様にしてきた疑問。


否応無しに、それに触れる事となった。


ーー俺は何も語らない、何も語れない。


そんな俺を見て母さんは静かに、そして小さく溜め息を吐いた。

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