第75話 水の中と雲の中 芝浦山手の場合
僕は深い深い水の中を
ゆっくりと沈んでいた
このまま沈むとマズいよな
でもそう思いながら
水底に目を向けると
あの人が
切なそうな目をして
こちらを見ていた
ーーそんならしくない表情で見ないでよ
泣きそうな顔して
泣きたいのはこっちだよ
あーあ
冷たい水のせいで
体が思う様に動かない
……仕方ないか
僕は目を瞑って
水の流れに身を任せた
まぁ
これはこれで悪くないかも
そんなことを考えていると
体が温かいものに包まれた
あぁそうか
僕はまだ
ここじゃ終われないんだね
ごめんね
身体の下で何かがモゾモゾと動き、優しく揺らされる。
心地よい、人の体温に包まれている感覚。
ゆっくりと意識が浮上していく。
「ん……」
「悪い、起こしてしまったか?」
城之崎の声だ。
何か夢をみていた気もする。
僕はゆっくりと目を開けた。
視界に映ったのは、至近距離にいる城之崎。
そうだ、昨日泣いていた僕をコイツが……。
昨日のこと。
思ったより平常心でいる自分にちょっとビックリする。
……あれ?
てかこれ、添い寝?
そこで自分が、城之崎の腕を下敷きにして眠ってしまっていたことに気づく。
「うわ!僕の方こそゴメン!……腕大丈夫?」
「ちょっと、感覚が無いな」
城之崎は淡々と言った。
「本当にゴメン!」
そっか。
僕は一晩中、城之崎に抱きしめられながら寝ていたのか。
その事実を認識した瞬間、カッと顔に血が上るのがわかった。
「……大丈夫だ」
そう言う城之崎はいつもと変わらない、涼しい表情だ。
こいつ、もしかして何とも思わなかったのかな。
そう思ったけどよく見ると、城之崎の耳だけが隠しきれないほど真っ赤に染まっていた。
……やっぱカワイイな、コイツ。
その事実に僕の心も、ちょっとだけ軽くなった気がした。
その甘く気まずい空気を引き裂いたのは、玄関のドアがガチャリと開く音だった。
「マズいな」
城之崎が、焦ったように小声で呟く。
「たぶん、咲良だ」
ちょっと待ってよ!
それは本当に、マズいって!
心の中で叫んだ。
言ってしまえば昨夜泣いているところを城之崎に抱きしめられて、そのまま添い寝しただけだ。
……『だけ』って言うのもちょっと違う気もするけど、それはこの際置いとくとして。
ベッドが1つしか無い寝室に朝2人で、しかも城之崎は私服で僕はシワシワのスーツ。
どう考えても、言い訳のしようがない。
足音がこちらに近づいてくる。
一度、リビングの方へ遠ざかった。
誰もいないことを確認したんだろう。
すぐにまた、こっちに戻ってくる。
「ヤバい、どうしよう?」
こんなの、変な誤解をされかねない。
僕はほとんど声にならない声で、城之崎に尋ねる。
足音が近づいてきて、一度少し遠い位置で止まった。
コンコンと、軽いノックの音。
そのあと、ドアが開く音。
どうやら、向かいにある城之崎の部屋に入ったらしい。
「……正直、どうしようもないだろう」
城之崎が、諦めたように言った。
確かにこの狭い部屋に、隠れられそうな場所なんてどこにもない。
足音がさらにこっちに近づく、ついにこの部屋のドアがノックされた。
その音に城之崎が、
「ん?」
と首をかしげる。
「……咲良が、ノックなんかするか?」
確かに、と僕が思ったところでゆっくりとドアが開いた。
そこにいたのは、大庭ではなかった。
優雅で知的な雰囲気を纏った、美しい女性。
その人は、城之崎とよく似ていた。
「母さん……」
城之崎が、呆然と呟いた。
城之崎のお母さんはベッドの上にいる僕たち二人を見てちょっとだけ、本当にちょっとだけ固まった。
でもすぐに、フワリと優雅な笑みを浮かべた。
「あら光哉、お友達が来ていたのね」
「母さん、来るなら言ってくれれば……」
そんな城之崎に、お母さんは少しだけ不満げに言った。
「連絡はしたのよ?」
聞けば仕事の都合で近くまで来たけど、すぐに別の予定があって寄れないはずだったらしい。
でもその後の予定が急にキャンセルになって、寄れることになった。
それで昨夜のうちに連絡を入れていたらしい。
城之崎が自分のポケットを探って、
「あ」
と声を上げた。
城之崎は気マズそうに部屋を出て、すぐに戻ってきた。
「ゴメン、スマホ部屋に置きっぱなしだった……」
「仕方のない子ね。」
お母さんは、クスクスと笑っている。
さらに、それにしてもと続けた。
「2人とも本当に仲がいいのね、同じ部屋で寝るなんて」
ヤバい。
そして僕たちの服装を見て、
「しかもそんな格好で。」
さっきも思ったけど、城之崎は私服で僕に至っては皺の寄ったスーツ姿だ。
これはパジャマですなんて言い張るのは、どう考えてもムリだった。
……やっぱり、怪しまれてるよね?
僕と城之崎が何も言えずに固まっているのを見てお母さんは、
「そう言えばあなた」
と、僕の方に向き直った。
「ご、ご挨拶が遅れてすみません!城之崎くんの高校時代の同級生の芝浦山手と申します。」
慌てて、頭を下げる。
「こちらこそいきなりごめんなさいね、光哉の母です。……芝浦くんはスーツを着ているということは、会社にお勤めなんでしょう?お仕事の時間は大丈夫なの?」
「あ!そ、そうですね!そろそろ出ないと!」
会社に行くにはかなり余裕のある時間だったけ。
けど僕はあまりの気マズさに、早めに出ることにした。
……久しぶりに自分の部屋に寄って、シャワーでも浴びていこう。
「……俺も大学に行こうかな」
もちろん城之崎も、大学に行くにはかなり早い時間だ。
僕と同じことを考えたんだろう、でもお母さんに呼び止められた。
「あなたは今日の午前中、必修の講義はないでしょう? 少しくらい私に付き合いなさいな、久しぶりに朝ごはん作ってあげるわ」
そう言われた城之崎はさすがに断れないらしく、
「……わかった」
と頷いた。
「それでは、失礼します」
僕がそう言って荷物を持って部屋を出ようとすると、お母さんはにこやかに言った。
「芝浦くん、これからも光哉をよろしくね」
「……はい、こちらこそ」
僕はそう答えるのが精一杯だった。
城之崎にまたと声をかけると、アイツはちょっと気まずそうに軽く手を振った。
久しぶりに帰った自分の家のシャワーを浴びながら、僕はさっきの出来事を思い出していた。
僕、なんか変なこと言わなかったかな。
同居してることは結局、言えなかったな。
勘違い、されていないだろうか。
勘違い?
いや……そもそも。
僕は城之崎が好きで、バイセクシャルで。
昨夜は、あいつの腕の中で眠っていた。
もし誤解されても、勘違いとも言い切れないよね。
そんな僕でも城之崎のお母さんは、
「これからも光哉をよろしくね」
そう本当に心から言ってくれるのかな。
ふと、大庭が言っていた言葉が頭の中で蘇る。
『うん、同性愛とかそういうの。本人が言ってた訳じゃないけど、きっと生理的に受け付けないんだと思う』
シャワーの音が、やけに大きく響いていた。




