第63話 名前を付けられない 芝浦山手の場合
『そんなことはない』
城之崎が放った、たった一言。
その言葉が、僕の心の中で何度も何度も響いてる。
まるで静かな水面に投げ込まれた石のように、波紋がどこまでも広がっていく。
ただの同級生で、ただの居候。
そうやって自分に言い聞かせて、このどうしようもない気持をおさえてきた。
なのにアイツはそれを強い瞳で、いとも簡単に否定してみせたのだ。
驚きと、胸の奥からジワリと込み上げてくる熱い何か。
それに突き動かされるように僕の口からは、ずっと聞きたかったけど聞くのが怖かった疑問が勝手にこぼれ落ちていた。
「……じゃあ城之崎にとって、僕ってどういう存在なんだよ?」
言ってしまった、と思った。
城之崎にとって、自分は何でもない存在なんだ。
そう思っていた。
でも城之崎の反応は、そうではなかった。
何かを探すように視線を彷徨わせた後、諦めたようにひとつ息を吐く。
「すまない」
城之崎はそう詫びた後、言葉を選ぶようにゆっくりと続けた。
「うまく、言葉にできない。少し……時間をくれないか?」
それ以上、どんな言葉を返せるんだよ。
「わかったよ」
言葉を飲み込むのが精一杯だった。
重たい沈黙が、かなり気マズい。
ヤバい、このままじゃまたあの壁のある関係に逆戻りだ。
照れ隠しとこの空気をどうにかしたい一心で、僕はわざとおどけてジョークを言った。
「なんだか僕が告白して、返事を待ってもらってるみたいだね」
その言葉に城之崎が、固くしていた表情をゆるめた。
「確かにそうだな」
その笑顔に、心の底から安堵する。
「そう言えば、芝浦も話があるって言っていたよな。勝手に俺から話してしまってすまなかった、聞かせてもらえるか?」
そう話を振られて僕は、
「いや大丈夫大丈夫!」
と大慌てで手を振って、できるだけ何でもないことのように明るい声で伝える。
「部屋の修理が終わるらしくて、だから明後日には自分の部屋に戻るってだけだよ。」
「……そうか、わかった」
城之崎の短い返事を聞いてから、2人で食卓を囲んだ。
今の僕は、ちゃんと気まずくない空気を作れているだろうか。
アイツ本当はどう思ってるんだ?
城之崎にとって、僕ってどういう存在なんだろ。
そんな考えが頭の中をグルグル回って止まらない。
食事を終えて、自室のベッドに潜り込む。
ひんやりとしたシーツに体を預けて、天井を見つめながら今日の出来事を思い出す。
僕にとって、城之崎は好きな人だ。
その事実はあの頃から、一日だって変わらない。
でも城之崎にとって僕は、一体なんなのだろう。
ただの同級生で、居候。
そう思っていた。
でもあんなに強く否定されたら、どうしても期待しちゃうじゃないか。
長い間心の奥底で凍りついていた何かが、ゆっくりと溶け出していくような感覚。
城之崎は、どんな答えをくれるのだろう。
その答えにほんのちょっとだけ、でも確かな希望を抱きながら。
僕はゆっくりと眠りについた。
翌日の朝も、何事もなかったかのように過ぎていく。
僕は会社へ、城之崎は大学へ。
それぞれの日常へ。
仕事中も、頭の片隅にはずっと城之崎のことがあった。
PCのモニターに映る無機質な数字の羅列を眺めながら、早く答えを聞きたいとそればっかり考えてる。
その一心で、何とか目の前の業務をやり過ごす。
壁の時計の秒針が、やけにゆっくりと進んでいるように感じる。
部屋に戻ると、フワリと食欲をそそる良いにおいにつつまれた。
リビングを覗くと、城之崎が夕食の支度をすませたところだった。
テーブルの上にはデミグラスソースの深い香り、じっくり煮込まれたビーフシチューと温かいパンが並んでいる。
今日は、手の込んだ洋食だ。
「おかえり」
そう言ってこっちを向いた城之崎が優しく微笑んだように見えたのは、僕の気のせいかな。
「ただいま、うわスゴい美味しそうじゃん!」
席について、早速いただく。
とろとろに煮込まれた牛肉と、野菜の甘みが溶け出したソースが口の中に広がる。
思わずほほがゆるんだ。
「……どうだ?」
様子を伺うように、城之崎が尋ねてくる。
その期待と不安が混じったような表情が、なんだか可愛く見えてしまう。
「うんめちゃくちゃ美味い!やっぱり城之崎は料理上手いよな」
素直にそう伝えると、城之崎ははにかんだように笑った。
その笑顔だけで、今日の疲れが吹き飛んでいくみたいだった。
当たり障りのない話題で、穏やかに食事を終える。
今日は昨日の返事はないのかな。。
食事が終わっても、アイツがその話題に触れる気配はない。
諦めて部屋に戻ろうと席を立った、その時だった。
「芝浦」
城之崎の声が、僕の背中を引き留める。
「ちょっと、いいか?」
ゆっくり振り返ると城之崎は真剣な眼差しで、まっすぐに僕を見つめていた。
心臓が、大きく高鳴った。




