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本当に大事なものは  作者: 城井龍馬
社会人・大学生編
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第62話 それに何と名付けよう 城之崎光哉の場合

言ってしまった。


部屋の中が静まり返っている。


俺が放った、『そんなことはない』という言葉。


それがまるで部屋の全ての音を吸い取ってしまったかのように、耳が痛いほどの静寂が訪れる。


心臓の鼓動だけが、やけに大きく頭に響いていた。


目の前の芝浦は、ただ驚いたようにその瞳を見開き俺をじっと見つめている。


その視線から逃れるように、俺はテーブルの上のティーカップに目を落とした。


やがて芝浦の唇が、ゆっくりと開かれる。


「……じゃあ城之崎にとって、僕ってどういう存在なんだよ?」


静かだが有無を言わさぬ響きを持った、当然の疑問だった。


芝浦山手は俺にとって、どういう存在なのだろうか。


思考が渦を巻く。


俺は、鷲那の事が好きだ。


彼のことを考えると、今でも胸が温かくなる。


この気持ちは、一切揺らがない。


咲良のような、呼吸をするのと同じくらい当たり前に隣にいる幼馴染とも明らかに違う。


では芝浦は?


ただの友達、というにはあまりにも心がざわめきすぎる。


もっと危うくて、目が離せない。


……放っておけないのだ。


そうだ、一番近いのは。


『気になる存在』


だが、これをどう説明すればいい?


友情なのか、信頼なのか。


それとも。


どの言葉も合わないパズルのピースのように、ぴたりと嵌まってはくれなかった。


「……すまない」


やっとの思いで俺は、か細い声を絞り出した。


俯いたまま、続ける。


「うまく言葉にできない、少し……時間をくれないか?」


それが今の俺にできる、最も誠実な答えだった。


芝浦は何か言いたげに見えた。


だがやがて仕方ないなと言うような優しい息遣いが聞こえ、


「……わかったよ」


そう言って俺の言葉を静かに飲み込んだように見えた。


だが次の瞬間。


芝浦はふっと失笑し、まるで悪戯を思いついた子供のように口元を緩めた。


「なんだか僕が告白して、返事を待ってるみたいだね」


そのおかしそうな声に、張り詰めていた空気は何処かへ失せていた。


俺もつられて、


「確かにそうだな」


と返す。


ようやく強張っていた顔を上げて、笑顔になれた。


「そう言えば、芝浦も話があるって言っていたな。勝手に俺から話してしまってすまなかった、聞かせてもらえるか?」


俺は勝手に自分だけ話をしてしまった事を恥じて、芝浦に詫びた。


「いや大丈夫大丈夫!部屋の修理が終わるらしくて、だから明後日には自分の部屋に戻るってだけだよ」


洗い物をしながら何でもないことのように告げられたその言葉に、俺は少なくない衝撃を受ける。


だが引き止める理由など、俺にはなかった。


それが当たり前のことなのだから。


「……そうか、わかった」


そう返すのが、精一杯だった。


その後、二人で食卓を囲む。


テレビの音をBGMに、他愛もない会話を交わしながら食事を終える。


ごくありふれた、穏やかな時間。


それぞれの部屋に戻り、一人になる。


俺は胸に冷たい靄が掛かったような、漠然とした淋しさがこみ上げてきた。


その正体が何なのか、俺は漠然と思い当たる物があった。




翌日も、朝の時間は平和に過ぎていった。


俺は大学へ、芝浦は会社へ。


別々の日常へと向かう。


広い講義室の硬い椅子に身を沈める。


教授の単調な声を聞きながらも、俺の頭は同居生活の終わりについて考えていた。


別にもう二度と会えなくなるわけではない。


家だって電車ですぐの距離だ。


いつでも会える。


そう頭では理解している、だと言うのにこの胸にある寂寥感はなんなのだろうか。


昨夜から続く問いが、また頭をもたげる。


芝浦の存在は、俺にとってなんなのか。


鷲那と一緒にいると、心が陽だまりのように温かくなる。


咲良がいるのは、呼吸をするのと同じくらい当たり前のことだった。


では、芝浦は?


友情?


信頼?


それとも――恋愛?


思考の海に浮かぶ言葉を一つ一つ手にとっては違う、と腑に落ちない感覚に首を振る。


ただどうしようもなく『気になる』。


その事実だけが確かな輪郭を持って、俺の心を占めていた。


はっと我に返ると、黒板の文字は全く知らない数式に変わっていた。


俺は慌てて思考を中断し、ノートに意識を集中させた。




その日の講義を終え夕暮れの茜色に染まる構内を歩いていると、見覚えのある人影が目に入った。


金田教授?


一瞬声を掛けるのをためらった。


何故ならその雰囲気が、以前とあまりにも変わっていたからだ。


『家庭の事情』で無期限の休講との事だったが、もう大丈夫なのだろうか。


俺の知る金田教授はがっしりとした体格で、胸を張って歩く自信に満ち溢れた人物だった。


だが今人混みの中にぽつんと佇む教授は、ほんの数日しか経っていないのに一回りも二回りも痩せ衰えて見えた。


背中を丸めている様が何とも痛々しい。


顔色も悪く落ち窪んだ目の下には隈が深く深く刻まれ、その疲労は全く隠せていなかった。


ただそんな消耗しきった姿の中で、その両の眼だけが以前のように。


……いや以前にも増して、ぎらぎらとした執念のような常軌を逸した光を宿していた。


声を掛けるべきか。


逡巡したその数秒の間に、教授はふらりと覚束ない足取りで人混みの中へ消えてしまった。


声を掛けられなかったことに残念な気持ちを抱く。


その反面あの異様な雰囲気の人物と話さずに済んだことに、少しだけほっとしている自分もいた。


そんな奇妙な気持ちを抱えたまま、俺は大学を後にした。

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