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本当に大事なものは  作者: 城井龍馬
社会人・大学生編
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第60話 扉の向こうに 城之崎光哉の場合

俺はなぜか、鷲那の部屋のソファに座っていた。


「どうぞ、なんか久しぶりに食べたくなって実家から色々送ってもらったんです」


そう言って目の前のローテーブルに上品な生八ツ橋と、湯気の立つ日本茶を置いてくれる。


ふわりと香る、ニッキの匂い。


その穏やかな空間だけが、俺の今の心境から切り離されているようだった。


「この間は急にすまなかったな、能田の誕生日を急遽祝う事になったものだから声を掛けさせてもらった。ところで鷲那は最近忙しそうだが体調は大丈夫か?」


目の前のその顔が、少しだけ疲れているように見えた。


俺がそう問いかけると、鷲那は申し訳なさそうに眉を下げる。


「すみません、あまり一緒に出かけたりもできなくて」


「いや……そういうつもりで言ったんじゃない、すまなかった」


責めていると捉えられたかと、慌てて詫びる。


「いえ僕の方こそ、深読みしすぎましたかね」


鷲那はそう言って、柔らかく笑った。


その笑顔を見て、俺は本題を切り出した。


「それで、話というのは何だ?」


俺がここにいるのは、鷲那に話があると呼ばれたからだ。


考え事をしながら帰路についていたところ、マンションのエントランスでばったりと鷲那に遭遇したのだ。


「先輩ちょっとお話したいことがあるんです、良いものもあるので僕の部屋へどうぞ」


そう有無を言わさぬ笑顔で誘われ、まあ少しくらいならとついてきたのが今のこの状況だった。


「まあそんな大層な話でもないんですけど」


と前置きをして続けた。


「芝浦先輩はお元気ですか?仲良くされてます? 」


予想外の質問に、俺は少し驚く。


昨日の夜の、あの重苦しい食卓が脳裏をよぎった。


だがそれは、わざわざ話すほどのことでもないだろう。


「……まあ、特に恙無く過ごしている」


当たり障りのない答えを返すと、鷲那は心から安堵したようだ。


「そうなんですね、それは良かった」


そう言った、だけだった。


「え、それだけか? なぜそんなことを気にするんだ?」


「そんなに変ですかね?」


鷲那は小首を傾げた後、


「……確かに、変かもしれませんね」


そう言って自嘲気味に笑った。


「理由をつけて先輩と話したかっただけなんですよ、きっと」


「……なんだそれ」


そう言いながら、自分の耳が熱くなるのを感じる。


この嬉しさを、俺は果たして隠せているのだろうか。


だが今は芝浦と、今日こそ話がしたい。


「鷲那、悪いが俺はもう部屋に戻るよ」


俺がそう言ってソファから立ち上がろうとした、その瞬間だった。


ぐにゃり。


視界が歪み、世界から音が消えた。




――バンッ!


鋭く、大きな音。


はっと顔を上げると、現代文の女性教師が丸めた教科書で俺の机を叩いていた。


教室中の視線が、俺に突き刺さる。


「おはよう城之崎君、あなたが居眠りだなんて珍しいこともあるのねえ」


先生はいやに嬉しそうに言った。


いつもの腹いせのような気がするのは気の所為ではないだろう。


俺はすみませんと頭を下げ、頭をはっきりさせようと顔を振った。


授業中に眠ってしまうなんて、どうかしている。


そんなことを考えながら放課後、文芸部の部室へ向かう。


そこでは能田が手帳を広げていた。


しかしペンが止まっている。


うんうんと、悩ましげに頭を抱えている。


「どうした能田」


「城之崎くん、いえちょっと……話の展開に悩んでいまして」


彼女は力なく笑う。


「もう既に決まっていることがある中で、みんなを幸せにするのは難しいなと」


その言葉に、俺は迷わず答えた。


「お前ならできる、というかやってもらわないと困る奴がいるだろう」


俺の強い口調に、能田が驚いたように顔を上げる。


「だってお前が書いている物語の登場人物の運命は、お前のペンに委ねられているのだろう?」


そう言うと、彼女の目が輝いた。


「……それもそうですね! 私、頑張っちゃいます!」


能田は再びペンを握り直し、猛然と手帳の上を走らせ始めた。


俺はその姿をどこか温かい気持ちで、ただ眺めていた。


部室の外から賑やかな声が聞こえてくる。


聞き覚えのある声、あいつの声だ。


今日もたくさんの奴らに囲まれているらしい。


部室のドアが開いていく。


開いて……。




……夢か。


ゆっくりと覚醒していく意識の中で、俺は自分が高校時代の夢を見ていたことを理解した。


掛けられた毛布の肌触り。


高いのだろう、革製のソファの感触。


そうだ、俺は鷲那の部屋で――。


「……先輩、目が覚めましたか?」


すぐ側から、穏やかな声が聞こえた。


見ると鷲那が少し心配そうな、柔らかい表情で俺を覗き込んでいた。


「急に寝ちゃうなんて、先輩お疲れですね」


「ああいや……すまん、これは持病のようなもので……」


久しぶりに、意識を失ってしまったらしい。


そう説明しようとした俺の言葉を、鷲那は遮った。


「先輩は……疲れていただけです、ゆっくり休まないと駄目ですよ」


その口調は労っているようでいて、どこか有無を言わせない。


俺にそれ以上の説明。させないようにする意図を感じた。


もしかして鷲那は、俺のこの体質について既に何か気づいているのか?


だがそれを深く追求することはできず俺は、


「……そうだな」


とだけ答えて、ソファから身を起こした。


礼を言って、自分の部屋へと戻る。


時刻は、もうとっくに深夜を回っていた。


芝浦の部屋のドアは閉まっており、中から明かりは漏れていない。


この向こうで、芝浦は眠りに就いているのだろう。


明日こそ、話をしないと。


俺はそう固く決意すると自室のドアを開け、今日のところは休むことにした。

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