第58話 似た者同士 城之崎光哉の場合
正直味がしない。
咲良は料理がうまいのでいつもなら美味しいはずの肉じゃがが、今日はまるで砂を噛んでいるようだった。
問題なのはなぜこうなったのか、俺に全く心当たりがないことだ。
目の前に座る芝浦は、明らかに元気がない。
どこか機嫌が悪いようにも見える。
だがただ疲れているだけなのか、全く判然としない。
それでも普段のこいつからは考えられないほど、空気が重いのは間違いない。
俺は今日の自分の言動を必死に遡るが、怒らせるようなことをした覚えはどうしても無かった。
別に食事中に常に会話をする必要なんてない。
母さんとの食事だって、会話は殆どない。
だがこんなにも重苦しい沈黙は、たまったものではない。
「……美味いな」
耐えきれず、俺から声をかける。
芝浦は一瞬だけこちらに視線を向けたが、すぐに俯いてしまった。
「……ああ、そうだね」
会話は、終わった。
どうなっているんだ?
やはり機嫌が悪いようにしか見えない。
本当に何なんだ?
空気に耐えきれず、俺は残っていたご飯を急いでかき込んだ。
「ごちそうさま」
「……僕も、ごちそうさま」
芝浦も、後を追うように箸を置いた。
二人で食器を流し台へ運ぶ。
当番では洗い物は芝浦の担当だったはずだが、今日のこの空気では頼むのも憚られた。
「今日の洗い物は、俺がする」
これはせめてもの歩み寄りのつもりだった。
しかし芝浦は僅かに口角を上げて、
「そうか、ありがとう」
とだけ言って、背を向けた。
「それじゃあ、僕は部屋に戻るね」
その声には、一切の感情が乗っていなかった。
リビングのドアが静かに閉められる。
釈然としない思いを抱えた俺だけが、そこに残された。
翌日の朝、リビングに出てきた芝浦は驚くほどけろっとしていた。
「おはよう、城之崎」
その笑顔は、昨日の夜とはまるで別人だった。
高校時代から知っている、いつものこいつの顔だ。
だがその裏に何があるのか、俺にはもう分からない。
ふと、高校二年の時の事を思いだす。
確か二日くらい元気がなかったが、その次の日にはいつも通りの芝浦に戻っていた。
……いや、でもあの時はどちらかと言えば『上の空』と言った感じだった。
昨日のはやはり不機嫌と言うのが近い気がする。
だが結局何も言えないまま芝浦は会社へ、俺は大学へとそれぞれ向かった。
講義室でノートを開くが、頭の中は昨日の夜のことでいっぱいだった。
あの重苦しい空気。
芝浦の冷たい背中。
もやもやとしたものを抱えたまま、俺はぼんやりと教授の声を聞いていた。
「あれ? 城之崎、今日はなんか不機嫌?」
不意に、隣から声を掛けられる。
また例の、たまに話す程度の知り合いだった。
「……別に、いつも通りだ」
俺は淡々とそう返したが、一日中この悶々とした気持ちが晴れることはなかった。
帰宅途中ふと、ある可能性に行き当たる。
そうだ、昨日は咲良が家に来ていた。
俺が帰る前、芝浦と咲良が顔を合わせた可能性がある。
もしかしたらその時に、何かあったのかもしれない。
俺はすぐさまスマートフォンを取り出し、咲良に電話をかけた。
「喫茶店に行くが、お前も来るか?」
そう誘うと咲良は、
「すぐ行く!」
と快活に答えた。
喫茶店で落ち合うと咲良は、
「光哉から誘ってくれるなんて、珍しいね」
そう楽しそうに言った。
嬉しそうにしているのに、すまんな。
「話があってな」
俺は努めて笑顔を作って、そう切り出した。
途端に咲良の顔に、
『あ、まずい』と書いてあるのが、手に取るように分かった。
予想通りだった。
「昨日、芝浦と何かあったのか?」
単刀直入に聞く。
咲良はあからさまに視線を泳がせ、口ごもった。
「いや別に、何も……無いですよ?」
なぜか敬語になっている。
「そうか、それなら芝浦に直接聞いてもいいんだぞ」
俺がそう言うと、咲良がぷっと失笑した。
「何がおかしい?」
「ふ、ふふ……ごめん。だって光哉、芝浦くんとおんなじこと言ってるんだもん」
一頻り笑った後、咲良は観念したように事の顛末を白状した。
俺が倒れる事と心因性である事、そして小澤クリニックに通っていたことと今回の自殺のこと。
その全てを、うっかり芝浦に話してしまったのだと。
「本当にごめん! まさか光哉、言ってなかったなんて思わなくて……!」
必死に謝る咲良を見て、俺は溜め息を吐いた。
咲良だけを責めるのは、少し違うか。
「……そもそも俺が芝浦に話さなかったのが良くなかった」
少し反省して、俺は言う。
「わかった、大丈夫だ」
不安がる咲良を宥めて、俺たちは別れた。
自宅に向かいながら、さてどうしたものかと考える。
芝浦は今朝、いつも通りだった。
このまま何事もなかったかのように、下手にこの話題に触れないという手も無くはない。
だがいずれ話さなければならないだろう。
いやでも今話して、あいつとの関係がまた拗れるのは……。
答えの出ない思考が、頭の中で渦を巻き続けていた。




