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本当に大事なものは  作者: 城井龍馬
社会人・大学生編
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第57話 糠喜び 芝浦山手の場合

午後の仕事を終えて、会社を出る。


電車の中でスマホを開くと、能田ちゃんからPINEが来ていたことに気がついた。


『先程は暴走してしまい、大変申し訳ございませんでした。芝浦くんの話があまりにも衝撃的で……』


その文面に、僕は思わず苦笑いした。


あの時の彼女の顔を思い出す。


まぁあれは僕の言い方が悪かったからね。


『こちらこそ先に出ちゃってごめんね、また今度ゆっくりと!』


そう返信する。


彼女とはなんだかんだで、良い友人関係を築けてる気がした。


マンションのエントランスを抜けて、自室の階へと上がる。


ドアを開けると先に帰っていたらしい城之崎が、リビングのソファに座っていた。


でもその様子は、明らかにいつもと違う。


「ただいま」


「……あぁ、おかえり」


返事はあったけど、視線は合わない。


窓の外を眺めているように見えたけど、何も見てないようにも見えた。


落ち着きなく指先で何度もソファの肘掛けを撫でて、時々浅いため息をついている。


何か良くないことでもあったのかな。


「どうしたんだよ? 何かあった?」


僕がそう尋ねると城之崎は、一瞬言葉に詰まったように黙り込んだ。


何かを隠しているというよりはどう話すべきか、その言葉を慎重に探しているように見える。


やがてその重い口を開いた。


「……知人の旦那さんが、亡くなったらしい」


「そうなんだ、それは……大変だね」


「それで明日なんだが、帰りにお通夜に寄るから家事の当番ちょっと無理そうだ。すまない」


「そんなの気にしないでよ、僕がやっておくから」


そう返すと城之崎は、


「助かる」


とだけ短く呟いて、また窓の外へと視線を戻してしまった。




翌日、仕事を終えてマンションに戻る。


するとなぜか、部屋の鍵は開いていた。


リビングのドアを開けるとキッチンには城之崎ではない、見慣れた後ろ姿があった。


「……ただいま」


僕に気がつかないまま掃除を続ける大庭咲良。


僕の声に彼女はまるで、自分の家であるかのように自然な笑顔で振り返った。


「あ、おかえりなさい芝浦くん」


フリフリのエプロンをしている。


うんかわいいな、コノヤロー。


「……大庭、本当に自分の家みたいだよね」


「家事はしておいたよー、助かるでしょ?」


彼女はほめてと言いたそうに、綺麗に片付いたキッチンを指差す。


確かに助かるのだけどそれ以上に、僕と城之崎の空間に彼女が当たり前のように存在していること。


それが胸に引っかかった。


「ああ助かるよ、ありがと」


精一杯笑顔を作る。


「お礼なんていいんだよ!お母さんから頼まれてますから!」


その言葉に、強い圧を感じる。


僕ではなく彼女こそが城之崎光哉という男の隣に立つのが相応しいのだと、その笑顔で言われているようだった。


「そうか、『城之崎の』お母さんに頼まれたんだな。」


その圧を、真正面から受け止める。


お前のお母さんじゃないだろ。


僕たちの間に冷たい空気が流れていた。


「フフッ」


不意に大庭が笑った。


「やけに強気じゃない?」


「別にそんなこと無いけど」


僕は自分の気持ちを表現できる言葉を探す。


「……お母さんがどうとかっていうのに、遠慮する必要無いなって思っただけだよ」


「……そう」


そう言って大庭は目を逸らした。


でもその顔が、僕には少し嬉しそうに見えた。


「そう言えば冷蔵庫におかず作ってあるからチンして食べてね、ご飯ももうちょいで炊けるから」


言いながら荷物をまとめだした。


帰るのか?


まだ城之崎が帰ってきてないのに?


大庭が心配そうな声色で聞いてくる。


「それにしても光哉、大丈夫かな……?」


知人の旦那さんが亡くなったから、その精神的なダメージのことを言ってるのかな。


城之崎にとって、それだけ大事な知り合いってことなんだろう。


僕がそう考えてると、彼女は聞き捨てならない言葉を続けた。


「早く他の病院見つけないと、体調のこともあるし……」


「……他の病院? 何の話?」


僕がそう聞くと大庭は、


「えっ!?」


と見るからにヤバいって顔をした。


「言えよ、城之崎に直接聞いてもいいんだぞ」


「まさか光哉、芝浦君に言ってなかったなんて」


観念したように、彼女はポツリポツリと話し始める。


「……光哉ね、頻度は少ないけど意識を失うことがあるの」


「は……?」


意識を失う?


そう言えば高2の体育祭の時も……。


「病院で診てもらったんだけど、身体には異常がなくて原因が分からなかった。それでやっと言われたのが『心因性』。つまり精神的とか、心理的な要因で起こるものだって」


『心因性』で意識を失う、僕はあの時軽く考えすぎていたのかもしれない。


「それで最近はカウンセリングを受けるようになって、ほとんど症状は出なくなったの。そのカウンセリングを受けていたのが、『小澤クリニック』っていう所で」


小澤クリニック。


知らない名前だった。


聞けばここから電車で30分程度の距離らしい。


「今回亡くなったの、そのカウンセリングをしてくれていた小澤舞先生の旦那さんなの。……自殺、だったんだって」


「自殺!? なんで!?」


「いや私もそこまでは知らないよ」


頭がグラグラする、情報量が多すぎてついていけない。


城之崎が抱えていた秘密。


それとアイツの心の支えだったはずの先生を襲った悲劇。


でもそれ以上に僕の心によぎったのは、黒いモヤのような感情だった。


城之崎はこんなに大事なことを、大庭には話していた。


僕には何も言わなかった、僕とアイツの距離はまだこんなにも遠いのか。


「芝浦くん、お願いだから」


僕の葛藤を見透かしたように、大庭が凄い勢いで頭を下げた。


「この話は聞かなかったことにして! 光哉はきっと心配かけたくないだけだから! ね!?」


スゴい顔で頼み込まれて僕はしぶしぶ、


「わかったよ」


って返すしかなかった。


それから大庭はそそくさと自宅に帰って、入れ替わるようにお通夜帰りの城之崎が疲れた顔で帰ってきた。


2人で食卓を囲む。


大庭が作ってくれた肉じゃがをレンジで温めて並べる。


「美味いな」


城之崎がぽつりと呟いた。


「……あぁ、そうだね」


僕もそう返す。


会話はそこで途切れた。


箸を進める音だけが、静かな部屋に響く。


僕は目の前の城之崎の顔を、まともに見ることができない。


今コイツの心の中には、どんな嵐が吹き荒れているんだろう。


自分の支えだったカウンセラーの悲劇に、何を思っているんだろう。


時々意識を失うほどの、その心の原因って一体何なんだろう。


聞きたいことは、山ほどある。


『大丈夫か?』


その一言が喉まで出かかっているのに、大庭との約束がそれを押しとどめる。


僕がこの秘密を知っていると知れば、城之崎はどう思うだろうか。


カチャリ、と城之崎が箸を置いた。


「ごちそうさま」


「……僕もごちそうさま」


味のしない食事を無理やり胃に流し込んで、後を追うように箸を置いた。


僕たちが共有しているのは、この部屋の空間だけ。


心は見えない壁に隔てられて、驚くほど遠い。


その事実が昨日まで感じていた幸福感を、無慈悲に上書きしていくようだった。

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