第53話 雲の中の目的地 芝浦山手の場合
もうひとつだけと言った僕の言葉に、鷲那は楽しそうな表情を崩さないまま静かに先を促した。
この部屋の豪華さが、まるで現実味のない舞台装置のように感じられる。
僕たちは観客のいない舞台の上で、二人きりで演じている役者だった。
「お前は城之崎を、どうしたいんだ?」
喉から絞り出した声は自分でも驚くほど低く、そして切実だった。
その問いを聞いた瞬間、鷲那はさっきまでの人懐こい笑みとは全く違う種類の笑みを浮かべた。
それは何と言うか少し冷たい感じだが、何なら少し悲しそうですらあった。
「……どうなんだよ」
答えを催促するけど、その言葉は甲高いチャイムの音にかき消された。
エントランスからの来客を知らせる音だ。
鷲那はおやと呟くと、僕の方に目をやった。
「出ても?」
その問いは許可を求めるようで、実際は拒否権などないことを知っている者の口ぶりだった。
僕は無言で頷く。
鷲那がソファから立ち上がって、壁のインターホンへと向かう。
「時間みたいですね、芝浦先輩」
「え?」
何のことだ、と鷲那の背中を見つめる。
彼が操作したモニタに映し出された顔を見て、僕は息を呑んだ。
城之崎だった。
困惑したような、心配そうな顔でカメラを見上げている。
鷲那が慣れた手つきで通話ボタンを押した。
「城之崎先輩、もしかして芝浦先輩をお探しですか?」
スピーカーから、焦ったような城之崎の声が聞こえる。
『すまない鷲那、そうなんだ! 芝浦のスマホに何度も連絡したんだが反応が無くて……やはりそちらにいるのか?』
え?
と僕は自分の身体をまさぐる。
スマホがない。
着信にもバイブにも、全く気づかなかった。
あ!
視線の先、床に置かれた服の詰まったボストンバッグ。
慌てて駆け寄り中をかき回すと、グシャグシャになったシャツの間に埋もれたスマホを見つけ出した。
エントランスで城之崎に連絡が取れずスマホを慌ててカバンに突っ込んだ際に、服の奥深くに埋もれてしまったらしい。
そんな僕の姿を横目に、鷲那は優雅に応対を続ける。
「ええいらっしゃいますよ、今から芝浦先輩と一緒に荷物を運びますので先輩はご自分のお部屋の前でお待ちください」
『いやそういうわけにはいかないだろう、俺も手伝う』
そんな城之崎に鷲那は譲らない。
「先輩、本当に大丈夫ですから部屋にいてください」
『……そうか分かった、すまない頼む』
城之崎の安堵したような声が聞こえ、鷲那は通話を終了した。
2人で荷物を手に、城之崎の部屋へと向かう。
静まり返った長い廊下で、僕は納得できないまま鷲那に食い下がった。
「おい、さっきの質問の答えを聞いてない」
「さぁ、どうでしょう?」
鷲那は前を向いたまま、肩をすくめる。
「もし芝浦先輩とそのお話をする必要があるのなら、必ずその機会は訪れますよ」
「……なんかの宗教みたいなこと言うんだな」
僕が吐き捨てるように言うと、鷲那は可笑しそうに笑った。
「僕って、意外と信心深いんですよ」
部屋に着くと城之崎が申し訳なさそうな顔で待っていた。
「2人とも、本当にすまなかった! 俺のせいでとんでもない迷惑を……」
何度も深く頭を下げる城之崎に、僕は却って申し訳なくなる。
「いや僕も先に確認しとけばよかったよ、城之崎は悪くないって」
僕がそう言うと、隣から鷲那が口を挟んだ。
「城之崎先輩は意外と、ドジっ子属性ありますからね」
城之崎がすかさず反論する。
「おい鷲那、さすがにドジっ子ってのはどうなんだ?」
「あはは、スミマセン」
軽口を叩き合いながら3人で部屋に荷物を運び込むと、
「では今日はもう遅いので、僕はこれで。」
と鷲那はすぐに帰っていった。
城之崎は鷲那に改めて深く礼を言っていた。
2人きりになって、改めて城之崎が僕に向き直った。
「芝浦、本当にすまなかった」
「もういいって、それより僕が荷物を取りに行ってる間に何があったんだよ?」
そう尋ねると城之崎は一瞬、言葉に詰まったように視線を彷徨わせる。
何か言いにくいことみたいだ。
「……まあ、無理には言わなくていいけど」
僕がそう言うと、城之崎はまたすまないと小さな声で謝った。
「なんか今日の城之崎、謝ってばっかだね」
茶化すように言うと、ちょっとムッとした顔で僕を見た。
「俺だって、悪いと思ったら謝る」
「……そりゃそっか」
僕は思わず笑っていた。
城之崎は自分がおかしいと思えば、相手が誰であろうと自分の意見を真っ直ぐに伝える。
だがそれは自分の間違いを認めないわけではない、間違いに気づいたり迷惑を掛けたりすればちゃんと謝る。
「そういうわけで、これからよろしくね」
仕切り直すようにそう言って手を差し出す。
城之崎は一瞬キョトンとした後、何も言わずに手を握り返した。
思わずビクッとしてしまう。
城之崎がこちらを見る。
「……違ったか?」
「え?いや、何も違わないよ」
正直、握手されないものだとどこかで思ってたみたいだ。
自分からやっておいて、驚いてしまったのだ。
「なら良かった、おやすみ」
城之崎が自分の部屋に戻っていく。
「あぁ、おやすみ」
自分に与えられたこの部屋で1人になる。
気を取り直してスーツケースとカバンの荷物を片付けいくと、最後に城之崎に貰ったペンが入ってる箱が出てきた。
思わずニヤけてしまう。
ちょっと考えて、その箱をベッドの近くの棚に置いた。
ベッドに寝転がる。
これから始まる、城之崎との生活。
これからの日々に思いを馳せながら、僕はゆっくりと意識を手放した。




