第49話 よって題意は示された 城之崎光哉の場合
ピザとフライドチキンのジャンキーな匂いと、若者たちの馬鹿騒ぎ。
いつもの俺なら眉をひそめて、一人早々に退散していただろう。
だが不思議と、今のこの空間は不快ではなかった。
むしろ心地よいとすら感じている自分に、少しだけ驚いていた。
そもそもこの状況を最終的に作り出したのは、俺自身なのだから尚更だ。
皆で盛り上がる中、敷島が思い出したようにテーブルをバンと叩いて声を上げた。
「てか今日さ、大学でめっちゃヤバいおっさんに絡まれててー!その時マジでウケるくらいかっこよく、キノが助けてくれたんだよね!」
「おっさんではない、金田教授だ!現代日本語研究の分野では、知らぬ者はいない権威だぞ」
俺が呆れて訂正すると敷島は、
「どっちでもいーじゃん」
等とけらけら笑いながら俺があの著名な言語学者といかにして熱い議論を交わしたかを、大げさな身振り手振りを交えて面白おかしく皆に話し始めた。
その話を聞いた皆は一様に、
「城之崎らしい」
と口にした。
「光哉って昔からそういうとこあるよねー、誰が相手でも絶対折れないもん」
「教授相手に一歩も引かないとか本当尊敬しますよ、先輩」
咲良や鷲那が口々にそう言う。
その中で能田が、少し意外そうな顔でおずおずと切り出した。
「でも私……ちょっと意外です、城之崎くんは優雅が言うような『おめー』みたいなそういう砕けた言葉は、絶対に受け入れられないタイプの方だと思っていましたから」
その言葉に俺は少しだけ物申したかった。
やはり周りからはそう見えているのか。
頭が固く古い価値観に凝り固まった、融通の利かない人間だと。
何か言い返そうと俺が自らの意見を述べようと口を開きかけた、まさにその時だった。
「そうか? 俺はそうは思わないけどな」
先に声を発したのは、芝浦だった。
彼はからかうような、しかしどこか真剣な眼差しで能田の方に向き直り続ける。
「城之崎が今まで言ってたのって『変わったことが悪い』んじゃなくて、『変わる前のものが、間違いだ』って決めつけるのはおかしくないか?って話じゃなかったか?」
その言葉に、俺ははっとした。
そうだその通りだ、俺が言いたかったのはまさにそれだった。
俺の思考の根幹を、こいつは……。
「でも『四六時中』の時は古い言い方の方が正しいって、先生のこと論破してたじゃん?」
今度は咲良が不思議そうに尋ねる、それに淀みなく答えたのもまた芝浦だった。
「いやあれは話が違うよ、先生が『昔の日本語が正しい』って主張するなら、『その話の土俵に乗ってやるけど、それなら時間の概念とかも全部その時代に合わせないと話がおかしくないか?』って相手のおかしいとこを突いただけだって。別に古い方が絶対正しいなんて、城之崎は一言も言ってないだろ?」
最後に同意を求めるように、俺に視線を向けた。
その瞳はどこまでも真っ直ぐで、俺の心の奥の誰にも見せたことのない部分まで見透かしているようだった。
……良かった。
こいつみたいに俺の真意を、我ながら面倒くさい理屈の奥にある本当の想いを理解してくれる人がちゃんといたんだな。
俺がこれまで誰にも分かってもらえないだろうと半ば諦めていた、この思考の在り方そのものを。
その事実が、なんだか無性に嬉しかった。
じんわりと胸の中に温かいものが、確かな熱を持って広がっていくのを感じる。
皆が芝浦の説明に、
「なるほどー」
そう納得している中、芝浦は悪戯が成功した子供のようにニヤリと笑った。
そしてわざとらしく咳払いを一つすると、俺の口調を真似してだろう、大げさな身振りで言った。
「『人を陥れようとするのは結構ですが、少々詰めが甘いようです。さながら画竜点睛を欠く、と言ったところでしょうか。言葉は形だけではなく、その意味する概念があって初めて活きるものですから』」
その瞬間、部屋は腹の底から笑う声で満たされた。
実際のシーンを知らないであろう鷲那や敷島まで、腹を抱えて爆笑している。
「おい芝浦、なんでそんな正確に覚えてるんだよ…。」
俺は恨み節を言うが、顔が熱い。
くすぐったいような羞恥心でどうしようもなかった。
「なんでだろうな?」
芝浦は心底楽しそうに笑うだけだ。
「……後でしばく」
俺がそう宣言すると咲良が、
「うわー光哉、耳まで真っ赤じゃん!」
と大声で笑い、さらに皆の笑いを誘った。
そんなこんなで急遽始まった能田の誕生日パーティーは、大盛況のうちに幕を閉じた。
一人、また一人と、
「お邪魔しました」
そう言って帰っていく。
やがてあの賑やかだった部屋には、俺と芝浦だけが残された。
祭りの後のような心地よい静寂が、部屋を支配する。
「……楽しかったな。」
芝浦が、ぽつりと呟いた。
その声には今日の出来事を慈しむような、穏やかな響きがあった。
「……そうだな」
俺も、素直にそう応じる。
本当に心の底からそう思った。
本当に穏やかで、満たされた温かさだ。
「さてと。」
芝浦はソファの上で軽く体を伸ばし、改めてこちらに向き直った。
そして、真っ直ぐに俺の目を見て尋ねてきた。
「この後、どうしよっか?」
「……え?」
その言葉を聞いた瞬間。
俺は自分の心臓の音がやけに大きく、そして速くドクドクと脈打っていることに気がついていた。
その問いはただ単に、今からの数時間のことを言っているのではない。
そんな気がした。
そしてその問いに、俺はまだ答えを持っていなかった。




