第46話 刺激的な彼女 城之崎光哉の場合
俺が能田の登場に驚いていると、例の派手な身なりの学生が俺たち二人の間に何か特別な空気を感じ取ったらしい。
ぱちぱちと瞬きを繰り返し、興味津々な顔で尋ねてきた。
「え、てかもしかして二人って知り合い? なんでそんな固まってんの?」
能田が何かを言う前に、俺が答えた。
「ああ、高校の時の同級生だ」
「まじ!? 未来の同級生ってこと? ちょーウケるんだけど!」
彼女は腹を抱えんばかりに笑い出した。
能田が、
「優雅、やめてよ」
と顔を赤くして彼女を窘める。
「だって、こんなことある? 運命じゃん。こりゃもう、うちら三人で語るしかなくない? そこのサイセで、ドリンクバーの民になろ!」
彼女の底抜けに明るい勢いに、俺も能田も断るという選択肢を失っていた。
結局俺たちは、三人でサイセリアのテーブルを囲むことになった。
自己紹介で、彼女の名前が敷島優雅だと知る。
優雅、という美しい響きの名前。
それと目の前で楽しそうに間違い探しをしている彼女の姿とが、どうにも頭の中で一致しない。
親御さんは今、どういう思いで彼女を見ているのだろうか。
いや余計な世話だな、俺も人のことは言えまい。
俺は内心でそう思い、自分の偏見を戒めた。
すると能田が少し誇らしげに口を開いた。
「城之崎くん、優雅はすごいんですよ。理数系、特に数学の天才なんです」
「天才?」
「はい!日本ジュニア数学オリンピックや日本数学オリンピックでも、何度も賞を取っているすごい子なんです」
JMO。
日本数学オリンピック。
それは数学の世界では、高校生が目指す最も高い頂の一つだ。
日本ジュニア数学オリンピックはJJMO、中学生以下のJMOといったところだ。
そこで上位常連。
目の前のこの、どこからどう見ても『ギャル』としか形容しようのない学生が?
俺の中で敷島優雅という人間のイメージが、ガラガラと音を立てて再構築されていく。
「それよりさー」
当の敷島は自分の話に等まるで興味がないとでもいうように興味の矛先を俺へと向けた。
「さっきの教授との話、あれ結局どういう話なん? なんか、めっちゃマジな顔で語ってたじゃん。」
彼女は、あの金田教授との議論に興味を持ったようだった。
俺は先ほどの議論の内容を、なるべく噛み砕いて説明することにした。
「ああ、きっかけは『おめ』という言葉だ」
「うん、それはさすがにわかった」
「そうか、金田教授の考えはこうだ。『おめでとう』という言葉には、相手を祝う心が宿っている。古くから日本にある言葉には魂が宿るという信仰、所謂『言霊』だな。だが『おめ』と略した途端、その心が抜け落ちて、ただの記号になってしまう。これは言葉の『劣化』だ、と」
「へえ、言霊ねえ。なんか難しそう」
「だから俺は反論したんだ。『さようなら』だって元は『然様ならば』だし、言葉は昔から省略されてきた。変化するのは自然なことじゃないか、と」
「うんうん、で?」
「そこからがすごかった」
俺は一度、息をついた。
「教授はこう言ったんだ。『省略にも、良い省略と悪い省略がある』と。昔の省略は、川の石ころが長い時間をかけて自然に角が取れて丸くなるような『洗練』だと。でも、『おめ』みたいな今の省略は違う。SNSとかで速さだけを求めて言葉をハンマーで叩き割るような、単なる『切断』だと。それは進化ではなくて『退化』だとまで言っていた。」
「うわ退化、めっちゃ言うじゃんあの教授」
「ああ、とどめはこうだ。俺が『言葉の価値は、後の時代の人々が決めることだ』と言ったら、『それは現代に生きる人間の、責務の放棄だ』と一蹴された。目の前で起きている変化の是非を問うことこそが、俺たちの役目なんだと。完敗だったよ」
一通り説明を終えると敷島は腕を組み、うーんと少しだけ唸った。
「話は面白いと思う。教授の言ってることも、まあ理屈は分かるかな……でもさ」
彼女は真っ直ぐに、俺の目を見た。
「それってそんなにこだわる所? 言葉って所詮、気持ちを伝えるためのツールじゃん。意味が通じてコミュニケーション取れればそれでよくない?」
「道具だからこそ、それをどう使うかが使い手の知性や品性を示すんじゃないか。切れ味の悪い鈍器のような言葉ばかり使っていたら、俺たちの心もいつか鈍くなっていく気がする」
俺は静かに反論した。
「でもその『切れ味』って、誰が決めるわけ? うちらの世代にとっては、『おめでとうございます』なんて他人行儀で、逆に気持ちが伝わらないって感じる時もあるし。 『おめ!』のがダイレクトに『仲間』って感じがして、親しみが伝わる。そういう『新しい切れ味』が、生まれんじゃないの?」
「なるほど、仲間内では確かにより強い繋がりを生むのかもしれないな」
俺は彼女の視点に、素直に感心した。
「だがその言葉がコミュニティの外に出た時、どう受け取られるか。例えば就職活動の面接で、面接官に『内定おめ!』と言われたらどう感じる?」
「え?別に良くない?寧ろ仲間になれた気がしてハッピーじゃん」
……なるほど、そう感じるのか。
「では逆に君や仲間が『おめー』と言っているのに、新しくできた同じような友達が頑なに『おめでとう』と言い続けられたら嫌じゃない?」
敷島は、素直に顔をしかめた。
「あー、ちょっと淋しいかも」
「だろう? 教授が言っていたのはそれもあると思う。『ありがとう』が当たり前の日本人というコミュニティの中に、君のような『あり』と略する人に対する嫌悪感……お前の言う淋しさを感じたんじゃないかな。誰もが同じ文脈を共有しているわけではないからな、内輪の『アップデート』が外の世界との『断絶』を生む危険性もある」
「あーなるほどね、内輪ノリと外向けの顔を使い分けろと。それは確かにそうかも」
敷島は少しだけ納得したような、していないような曖昧な表情を浮かべた。
「結構話せるじゃないか、それをさっき金田教授に直接言ってみれば良かったのに」
俺がそう言うと敷島は、
「えー、あの教授なんかヤバそうじゃん」
そう笑いながらもその目の奥は、何かを思考しているように静かに揺れていた。
「……ふふっ」
不意に笑い声が聞こえる。
「どうかしたか?」
急に笑った能田に尋ねた。
「いえ、城之崎くん相変わらずだなって嬉しくなって」
能田はニコニコしながら話す。
「ふんっ、どういう意味だよ。」
釣られて俺も笑った、言わんとしていることはわかるのだ。
「そう言えば能田、今日誕生日なんだってな」
すっかり忘れていた。
「おめでとう……いや、『おめ』の方がいいか?」
「あはは!キノは『おめでとう』のがいいかも!」
キノ……キノか。
「ちょっと優雅!いきなりキノなんて!城之崎くんがスゴい顔してるよ!」
「いやなんというか……そのように呼ばれるのに不慣れなだけで、不快ではない」
なんだろう、経験したことがないことは言語化が難しい。
「不快じゃないならいーじゃん!ギリハッピーじゃん?」
不快ではない
≒不幸せではない
≒ギリギリハッピー
=ギリハッピー?
この理解であっているだろうか?
未体験の世界は本当に刺激的だ。
いやいや、気を取り直して。
そもそも今回の話は、敷島が言った『誕生日おめー』から始まったと言える。
「なぁ、良ければちょっと提案があるんだが」
俺は2人にある提案をした。




