第43話 急発進 芝浦山手の場合
城之崎との待ち合わせ場所の駅前に着くと、彼は既にそこにいた。
約束の時間より少し早い。
相変わらず真面目だな。
僕が来たのを見ると、アイツは軽く頷く。
「こっちだ」
そう言って歩き出した。
僕はそのちょっと小柄な後ろ姿を、落ち着かない気持ちで追いかけていく。
行く店は、城之崎が決めることになってた。
あれ?
この辺に回らない寿司屋なんてあったっけ?
実は僕の住んでいるマンションと、城之崎の住んでいるマンションは2駅くらいしか離れていなかったのだ。
何なら高校卒業してから今日まで、偶然会ってても全然おかしくなかった。
……それはともかく。
どんな高級店に連れて行かれるんだろう。
ちょっと多めに持ってきたけど、財布の中身は大丈夫かな。
そんな心配ばっかり頭をよぎる。
でも城之崎に連れられて着いた店は、僕の予想を鮮やかに裏切るものだった。
『スシボー』。
赤と黄色のポップが派手に踊る。
店先では寿司をおんぶした謎の着ぐるみ『すしおんぶ』が、子どもたちに愛想を振りまいていた。
……うん、どう見ても高級寿司じゃない。
レーンがカタンカタンと音を立てて、色々な皿が目の前を通り過ぎていく。
店内に流れるチープなBGMが、やけに大きく聞こえた。
「え?ここでいいの?」
思わず尋ねると、城之崎は楽しそうな顔でこちらを見た。
「お前がどうしてももっといい寿司がいいと、そう言うなら店を変えることはやぶさかでない。もちろんその場合、お前の支払いは倍どころでは済まないだろうがな」
その理路整然としてるけどおどろおどろしい言い方に、僕は慌てて首を横に激しく振った。
「いや全然! ここでいいです!」
「……ここでいいと言ったか?ここがいいわけではないのであれば、もっといいお値段の店をご紹介させていただくが?」
城之崎の眉間に明らかにシワが寄る。
「失礼しました!ここがいいです! スシボー最高!」
「なら良かった、日本語は正しくな」
満足そうに小さく頷くと、さっさと店の中へと入っていった。
テーブル席に案内されて、僕たちは向かい合って座る。
目の前を色とりどりの寿司が乗った皿が、ゆっくりと流れていく。
お互いタッチパネルで適当な飲み物を注文して、ちょっとの沈黙が流れた。
僕はコーラで、城之崎はメロンソーダ。
実はコイツってメロンソーダ好きなんだよな、いっつも飲んでる。
そういえばしゃぶしゃぶの時も飲んでたっけ。
気マズさを紛らわすように、僕の方から当たり障りのない話題を振ってみた。
「城之崎はさ、大学どう? やっぱり文学部?」
「いや、法学部だ」
その意外な答えに、僕は少し目を見開く。
「へぇ、法学部! なんか意外……でもないか、毎日六法全書とか読んでんの?」
「まぁそんなところだ、お前こそ仕事はどうなんだ?先週大きな契約がどうとか言っていたが。」
そっか、もうあれから1週間も経ってたんだな。
「まぁまぁだよ、大変だけどやりがいはあるかな。ところで最近なんか面白い映画とか見た?」
僕は軽い調子で、さらに話題を変える。
「この間単館上映でやっていた、古いヨーロッパの映画を観た。……お前はおそらく好きじゃないだろうけどな」
「うわまた難しいやつ? 僕は最近、ハリウッドのアクション大作見たけど、頭空っぽにして観られて最高だったよ」
城之崎がフンって鼻を鳴らした。
「だろうな」
「……いやそれどういう意味?」
抗議する僕を見て、城之崎はほんのちょっとだけ口元を緩めた。
その小さな変化に、僕の心も少しだけ和む。
他愛ない会話で、少しだけ空気が和んだ。
その隙を逃すまいと僕は意を決して、ずっと気になっていたことを切り出した。
「……ねぇ、城之崎」
「なんだ?」
「先週はその……本当にごめん、僕は一体何したの?」
その言葉を口にした瞬間、それまでどこか和やかだった空気が『ピシリ』と音を立てて凍りついた。
目の前で寿司を運んでるレーンの機械音だけがやけに大きく、そして無機質に響く。
城之崎は手にしていた湯呑に手を添えたまま、ピタッと動きを止めた。
その視線は僕ではなく、目の前の虚空の一点をじっと見つめてる。
しまった、聞くんじゃなかったか。
後悔が胸をよぎる。
長い、長い沈黙。
息が詰まりそうだった。
やがて城之崎は、両手で顔を覆い隠した。
そして苦虫を噛み潰したような声で、ポツリと呟いた。
「……忘れてやるから、黙ってろ」
その声は低くて拒絶なのか諦めなのか分からないけど、有無を言わせない響きを持ってた。
「本当にすみませんでした」
僕はそのただならぬ雰囲気に完全に圧倒されて、ただただ謝ることしかできなかった。
これ以上、この話題に触れるのは危険だ。
『間もなく、ご注文の商品が到着いたします』
タッチパネルで注文した商品の到着を告げるメッセージが流れた。
『スシボー』では座席ごとに色が決まっていて、注文した皿を取る時はその色を確認しないといけない。
「この席は……ぶどう色?」
「それは葡萄色と読む」
城之崎は顔を覆っていた両手を離して言った、息でも止めていたのか顔が赤い。
城之崎に言われて、頭に大きなハテナが浮かぶ。
「えび色?それってどんな色?」
「ぶどうのような色だ」
城之崎は当たり前のように言った。
「ぶどう色って書くのに読みはえび色で、ぶどうのような色なの?ややこしすぎるって!」
「いや俺に言われても困る、確か昔は山葡萄を葡萄葛と呼んでいたことが由来だったか」
コイツ本当になんでも知ってるよな、っていうかスシボーの選色センスヤバくない?
「まあいい、腹が減ったからさっさと食うぞ」
城之崎はそう言って、何事もなかったみたいに流れてきたマグロの皿を手に取った。
僕も慌てて、流れてきた玉子の皿を取る。
こうして僕の失態に関する危険な追及は、強制的に打ち切られた。
その後はお互いの近況報告のような時間になった。
城之崎は今でも大庭とか鷲那に時々会っていること、2人は元気にやっていることとかを話してくれた。
僕も能田ちゃんとはたまにPINEで連絡を取り合ったり、会ったりしていることとかを話す。
城之崎は能田ちゃんとは疎遠になっちゃってるみたい、気が合いそうなのに。
あの小説のせい?
……いや考えすぎかな?
そんな会話の流れで、城之崎がふと尋ねてきた。
「そういえば、お前はどうして進学しなかったんだ? 2年の夏休み以降、お前の成績は決して悪くはなかっただろう。」
「あぁそれね。まぁ成績よくなったのは城之崎が教えてくれたお陰だよ、感謝してる」
僕が素直にそう言うと城之崎は少しだけ得意げな、それでいてどこか照れくさそうな顔をした。
「全くだ、感謝するんだな。礼は大トロで構わん」
そう言って当たり前みたいにタッチパネルを素早く操作した。
数量限定、しかも一貫だけのヤツ。
1皿だけでかなりの値段がする、きらびやかな金色の皿を注文した。
レーンに乗ってこっちに回ってくるその皿を、彼は満足そうに手に取る。
本当に、こういうところは少しも変わらない。
寿司を食べ終えてそろそろお開きか、という雰囲気になった時だった。
城之崎がふと、何かを思い出したように口を開いた。
「そういえば、俺だけがお前の部屋を知らないというのは不公平じゃないか?」
「え?」
「俺にもお前の部屋を見せろ」
急な要求に脳みそが追いつかない、いや次に繋がるならこっちとしては願ってもないけど……。
「わかったよ、じゃあ予定を合わせて……」
そこで城之崎が割って入る。
「いや、そうじゃない」
「え?」
城之崎は腕を組んで話を展開する。
「俺は準備などする間もなくお前を俺の家に泊めることになった。それなのにお前は自分の部屋をしっかり準備万端整えてから、改めて俺を招待するつもりなのか? それでは不公平だろう。」
「えぇ……」
たちが悪いことに、城之崎の言い分には筋が通っている。
だから反論の言葉が全然出てこない。
「じゃあ、どうすればいいの?」
僕が尋ねると、彼は当然のように言った。
「今から、お前の家に行く」
「え!?今から!?」
僕には泥酔して迷惑をかけたという、大きな負い目がある。
だから断るなんていう選択肢どころか権利も、今の僕にはこれっぽっちもなかった。
「……うぅ、わかったよー」
僕たちは会計を済ませて店を出る。
そして今度は、僕の住むマンションへと向かって出発した。
電車を降りて2人で歩きながら、僕は彼の言葉の真意を必死で考える。
これはどういう意味だろう。
僕の家に来て、一体何をする気なんだろうか。
――コウヤの手が、ヤマテのシャツのボタンに……。
途端に顔にカッと血が上り、心臓がどきどきと早鐘を打つのを感じた。
僕の住む1人暮らし用のマンションに着く。
2人で部屋でくつろぎながら、他愛ない話をしていた。
まさに、その時だった。
「ドゴォォン!!」
突然上の階から、まるで何かが破裂したみたいな凄まじい轟音が響き渡った。
え、何?
ガス爆発でもしたの?
僕たちが驚いて顔を見合わせた瞬間、今度は天井からミシミシと木材が軋むような嫌な音が聞こえ始める。
次の瞬間には部屋の隅にある洗濯機置き場の方の天井からまるで滝みたいに、凄まじい勢いで水が流れ出してきた。
「うわあああああぁぁぁぁっ!!」
僕は目の前の非現実的な光景に、ただただ絶叫した。
その後、僕たちは近所のサイセリアにいた。
あの惨状の中、とりあえず貴重品だけ持って部屋を飛び出した。
しばらくして大家さんから、慌てふためいた様子で連絡があった。
上の階の住人が、防水加工のされたシーツを注意書きを読まずに洗濯乾燥機にかけたらしい。
そのせいで洗濯乾燥機の中で繊維が詰まっちゃって、文字通り爆発したとのことだった。
結果僕の部屋は水浸しになって、しばらくはとても住める状態じゃなくなってしまった。
いつまた住めるようになるかは、わかり次第連絡してもらえるらしい。
「どうしよう、床も壁もびしょ濡れだし家電もいくつかやられたかも……実家に帰ろうかな? いやでも、明日からあの距離を通勤とか現実的じゃないし」
僕はドリンクバーのオレンジジュースを前に、テーブルに突っ伏して頭を抱えた。
ホテル暮らし?
いやお金がかかりすぎるって、上の階の住人に全額請求できるかまだわからないし。
友達の家に泊めてもらう?
いやさすがに長期間は無理。
あー完全に八方塞がりだ。
そんな僕の隣で、城之崎はしばらく黙って何かを考えていた。
その眉間には、またしても皺が寄っている。
やがて城之崎は僕の顔をジッと見つめると、ポツリと言った。
「……家、来るか?」
「へ?」
「うちのマンションだが、母さんが2LDK借りたんだよ。部屋は広いに越したことはないって言って、俺1人しかいないのに。だから部屋が一つ空いている、まぁお前さえよければだが」
その言葉を、僕はすぐには理解できなかった。
ただ目の前で静かに僕を見つめる真剣な眼差しだけが、間違いなくそこにあった。




