第38話 童心に還る 城之崎光哉の場合
「光哉ー! 行くよー!」
咲良のやけに張りのある大声が、静かな我が家の玄関に響き渡った。
やれやれと、内心で溜息を吐く。
今日はいよいよ芝浦の家で、クリスマスパーティーが開かれる日なのだ。
毎年恒例のイベントではあるが、鷲那が参加する今回はいつも以上に楽しみだ。
玄関へ向かうと既に、コートを羽織った咲良が待ち構えており、
「ほら、早く早く!」
と俺の腕を掴んで急かしてくる。
「あらあら咲良ちゃん、今日も元気ねえ」
奥の居間から母さんが顔を出す、その手には編みかけの毛糸玉と編み棒が握られている。
「おばさまこんにちは! 光哉借りますねー!」
咲良は母さんに向かって笑顔で、元気よく挨拶する。
その言葉の裏には、『光哉は私のもの』という裏が隠れているような気がした。
母さんはそんな咲良を微笑ましそうに見ている。
俺たちの関係をどう思っているのか、その表情からは読み取れない。
咲良に半ば強引に腕を引かれるようにして家を出て、待ち合わせ場所の駅前広場へと向かう。
吐く息が白く染まるほど、空気は冷え切っていた。
広場の時計台の下には、既に能田の姿があった。
小柄な彼女は寒そうに肩をすくめ、マフラーに顔を埋めている。
俺と咲良に気づくと、ぺこりと小さく頭を下げた。
「おはよう能田、今日も寒いな」
「おはようございます城之崎くん、大庭さん」
挨拶を交わしてから三人で他愛ない話をしていると、
「お待たせしましたー!」
と明るい声が響いた。
振り返るまでもない、鷲那だ。
彼は軽い足取りでこちらへ駆け寄ってくると、俺の顔を見てにこりと笑った。
「先輩、おはようございます!」
その屈託のない笑顔に、俺は思わず頬が緩むのを感じる。
冷え切っていた身体の芯が、じんわりと温められるような感覚。
鷲那の隣に並ぶと、自然と心が浮き立った。
「うわー、待たせちゃってごめん!」
そんな俺たちのすぐ後ろから、少し息を切らした芝浦が慌てた様子で合流してきた。
やけに大きな紙袋をいくつも抱えている、パーティーの買い出しか何かだろう。
「いや、皆今来たところだ」
全員揃っているのを確認し、俺たちは芝浦の家へと向かった。
芝浦の家は駅から少し離れた閑静な住宅街にあった。
立派な一軒家だ。
芝浦がドアを開けてただいまと言うと、すぐに中からはーいという明るい女性の声がしてドアが開かれた。
「いらっしゃい!」
出迎えてくれたのは芝浦によく似た快活な雰囲気の、彼のお母様だった。
「今日はよろしくお願いします。」
俺たち四人は一斉に頭を下げ、挨拶をする。
俺は母さんから預かってきた手土産の菓子折りを、芝浦のお母様へと手渡した。
「ご丁寧にどうもありがとう。わざわざ城之崎くんのお母さんからお電話でもご挨拶いただいてしまって、こちらが恐縮してしまうわね」
彼女はそう言って、人の良さそうな笑顔を浮かべた。
母さんが電話したというのは初耳だった。
母さんなりの気遣いなのだろう、あの人らしい。
通されたリビングは広く、クリスマスの飾りが華やかだ。
それぞれが改めて自己紹介を済ませ、ソファに腰を下ろした。
……ん?
なぜか芝浦のお母様からやけに視線を感じる気がして、俺は内心落ち着かなかった。
今日の服装がおかしかっただろうか、それとも髪型か?
何か失礼なことをしたか?
無意識のうちに、自分の身なりを気にしてしまう。
すると隣に座った芝浦が小声で、
「ごめん気にしないで」
と耳打ちしてきた。
芝浦もお母様の視線に気づいていたらしい。
「とりあえず!僕の部屋に行こう!」
芝浦はなんだか、焦っているようにも見える。
俺は不思議に思いながらも、一旦は気にしないことにした。
今日のパーティーは午後から集まりひとしきり遊んだ後、皆で夕食をご馳走になりプレゼント交換をして解散という流れだ。
「ねえ芝浦くん、何かゲームない?」
部屋に入ると咲良が芝浦に尋ねる。
芝浦が持っているゲームの中から選んたのは、『超乱闘』という運天堂Smashの対戦ゲームだった。
人気のキャラクターたちが入り乱れて戦うゲームらしい。
「負けたら、面白い話をするってのはどう?」
咲良がニヤリと笑って提案する。
他の面々は乗り気だが、俺は普段ほとんどゲームをしない。
不安がよぎる。
「先輩、コントローラーこれです。基本はAボタンで攻撃してBで必殺技、スティックで移動とジャンプですよ」
隣に座った鷲那が、丁寧に操作方法を教えてくれる。
彼の指が俺の手に軽く触れ、その度に心臓が小さく跳ねた。
彼の説明を聞きながらコントローラーを握る。
うん、悪くないなと思った。
ゲームが始まると、画面の中は目まぐるしい乱戦状態になった。
俺は鷲那に教えてもらった通りに必死でキャラクターを動かすが、やはり慣れない操作に戸惑う。
それでも鷲那が時折、
「先輩、そこ!」
「今です!」
と的確なアドバイスをくれるおかげで、意外にも善戦できた。
しかし終盤には強力なアイテムを手にした芝浦の猛攻を受け、俺のキャラクターは画面外へと吹っ飛ばされそうになる。
万事休すか、と思ったその時。
「ああっ!」
そんな能田の悲鳴のような声が上がった。
彼女が操作するキャラクターが、場外へと消えていったのだ。
結果俺はからくも生き残り、能田の自滅によって勝利してしまった。
「えーっ、能田さん今の何ー? 」
咲良が不満そうに声を上げる。
能田は顔を真っ赤にして、
「うう、操作をミスりました……」
「じゃあ能田さんの面白い話、聞かせてもらおうよ!」
芝浦がそう促す。
能田はうーんと数秒悩んだ後、ぽつりと言った。
「……あの、このゲームは運天堂のゲームなのは皆さんご存知ですよね?運天堂という会社の名前は、『運を天に任せる』というのが社名の由来なんだそうです。」
しん、とリビングに微妙な沈黙が流れる。
「えーそれだけ?」
咲良が呆れたように言うと、能田はこくこくと頷いた。
「全然面白くないじゃーん!」
咲良が抗議の声を上げる。
芝浦と鷲那は、そんな二人を見て苦笑いを浮かべていた。
俺はその話は既に知っていたし、面白いかと言われると微妙だ。
だが、放ってはおけなかった。
「いや、なかなか興味深い話だと思うが。」
俺は思わず口を挟んだ。
「知識欲や知的好奇心を満たす物を『面白い』と感じる人間は、決して少なくないと思うが?」
俺がそう言うと咲良は、
「私が言った『面白い』はもっとこう、笑えるような話のつもりだったの!」
と言い返してきた。
「だったら、最初からそう言っておくべきだったろう。言葉の定義を曖昧にしておいて、それを後出しするのは不誠実というものだ」
俺が冷静に指摘すると、咲良はぷうっと口を尖らせて、
「はいはい、私が悪かったですよーだ!」
と拗ねてしまった。
それを見て、鷲那も芝浦も堪えきれないといった様子で笑っている。
能田は俺に向かって、
「ありがとうございます、城之崎くん」
と小さく礼を言った後、手元の小さな手帳に何かをものすごい勢いでメモし始めた。
……また何か、書いているのか。
いや、深くは考えないようにしよう。
そう俺は自分に言い聞かせた。
その後、リビングのテーブルでカードゲームをすることになった。
定番のカードゲーム『UDO』だ。
ゲームは白熱した。
芝浦と咲良が特にお互いを意識して、
「ウドって言ってない!」
「言った!」
「聞いてない!」
などと子供のように煽り合っている。
その様子はなんだかんだで仲が良いのだろうと思わせるものだった。
俺はそんな二人を横目に、時折鷲那と視線を交わしては静かに微笑み合った。
穏やかで少し騒がしくて、温かい。
そしてそろそろ、夕食の時間が近づいてきた。




