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本当に大事なものは  作者: 城井龍馬
高校生編
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第35話 大戦の予兆 城之崎光哉の場合

体育祭の喧騒が遠い記憶となり、教室の窓から見えるケヤキの葉もすっかりとその緑を失っていた。


もうすぐ冬休みだというのに俺の心は、未だ秋の終わりのようなどこか物寂しい風景の中にあった。


芝浦との間にはあの体育祭以来、目に見えない膜のようなものが張り付いている。


普通に話はするもののどこかぎこちなく、変な空気ができてしまう。


以前のように気さくに声を掛けられない、そんな日々。


能田ともあの手帳の一件以来、どう接していいものか測りかねていた。


咲良は……まあ、あいつはいつも通りだが。


そんな中で、最近よく声を掛けてくれるのが鷲那だ。


それが素直に嬉しい反面、ふとした瞬間に芝浦のあの苦しそうな顔と能田が書いたという俺と芝浦の小説のことが脳裏をよぎる。


そのせいで、鷲那との時間を心から楽しめない自分がいるのも事実だった。


「いてっ」


思考に沈んでいた俺の頭頂部に、鋭い衝撃。


振り返ると、師範が不満げな顔でこちらを見ている。


チョップが俺の脳天に直撃したらしい。


「たるんどる」


短く、しかし重い言葉。


練習に身が入っていないことなど、お見通しということか。


「たるんどる!」


「失礼しました! 」


俺は生命の危機を感じ、気合を入れ直す。


目の前の型に意識を全て注ぎ込む、今は雑念を払わなければ。


翌日の昼休みに教室で文庫本を読んでいると、不意に影が差した。


「あの、城之崎くん」


「な!?」


能田が普通に声を掛けてきた。


俺は体育祭の昼休みに能田が芝浦と俺の小説を書いていたと発覚した一件を思い出し、内心動揺する。


そんな俺の様子に気づいたのか、能田が不思議そうに尋ねてきた。


「城之崎くん、どうかしましたか? なんだか、すごくよそよそしいですけど」


「いやだってお前、俺と芝浦の……小説を書いていたんだろう?」


俺がそう言うと能田は、はっとしたように目を見開く。


そしてみるみるうちに顔を赤らめた。


「そ、そうでした! しまった!私も気まずいんだった!」


能田もあの時のことを思い出したらしく、動揺している。


「……いや、その話は一旦忘れよう。それで、何か用か?」


俺が促すと、彼女は少し躊躇いながらも口を開いた。


「もしご迷惑でなければ放課後、サイセリアで歴史のお話等ご一緒できませんでしょうか?」


意外な申し出だった。


だが彼女と歴史の話ができるのは魅力的だ。


修学旅行の時も、彼女の知識と考察には感心させられた。


俺と芝浦の小説を書いている本人と二人きりというのは、正直かなり気まずい。


だが詳しい歴史の話ができる相手というのは、正直相当貴重だ。


能田が相手をしてくれるのは、非常に光栄だ。


「別に構わない、能田となら有意義な議論ができそうだ」


俺の言葉に能田は、ぱあっとその表情を輝かせた。


先程までの気まずさから、少し解放されたように見えた。


放課後、二人で向かったサイセリアのドリンクバーコーナー。


話題はいつの間にか、鎌倉幕府の成立時期についてに移っていた。


「私は正直文治元年(1185年)に鎌倉幕府が成立したとするのには疑問があるんです」


能田がそう切り出す。


実に興味深い、


「奇遇だな、俺もだ」


思わず嬉しくなる。


「文治元年(1185年)は頼朝が全国的な支配権を朝廷から認められた年です。でも実際にはその前から鎌倉で武士たちがまとまって、独自の組織を作り始めましたよね?だから幕府の始まりは、もっと早いと思うんです」


能田が目を輝かせ続ける。


「治承四年(1180年)に設置された侍所は武士たちをまとめるための機関です。頼朝が東国武士の支持を集めて鎌倉に拠点を作った時点で、もう実質的な武家政権の始まりだと考えます。『吾妻鏡』にも『東国皆その有道を見て、推して鎌倉主となす』って書いてあるくらいです。武士たちが『鎌倉殿』、頼朝を中心にまとまったのは間違い無いと思うんです」


そしてどこか俺の反応を窺うように語った。


「確かに文治元年に頼朝が鎌倉に入って侍所を設置したのは大きいが、その時点ではまだ朝廷からは謀叛人扱いだ。組織としても東国に限られていたし、本当の意味での全国的な武家政権だと言えるのか?」


「なるほど……それでは城之崎君のご意見を伺えますか?」


俺の率直な意見に対して能田は俺に、自分の考えを教えるよう促す。


「組織としての基礎は確かに早い段階でできていた。だが『幕府』という言葉の意味や歴史的な重みを考えると、やはり征夷大将軍になった建久三年(1192年)が一番しっくりくる。そもそも『幕府』とは中国で将軍の陣営を指す言葉だ。日本でも征夷大将軍を首長とする政権を幕府と呼ぶようになったのは江戸時代後期からだと言われているが、やはり征夷大将軍に任命されたということ、その象徴性を無視することはできない」


俺も自説を展開する。


「なるほど、言葉の由来や歴史的な文脈も大事ですよね。ただ建久三年は全国的な支配権を認められた年ですが、それ以前にすでに東国で独自の支配体制ができていたので幕府の成立はやっぱり文治元年だと思います。建久三年は単に支配権が全国に広がっただけって感じがするのです」


彼女の歴史への情熱は本物で、俺の知的好奇心を刺激するには十分すぎる相手だった。


能田との間の気まずさは、この議論の熱中によっていつの間にか霧散していた。


「いやマニアックすぎるだろ!」


議論が最高潮に達しようとしていたまさにその時、すぐ隣のテーブルからひょこりと芝浦が顔を出した。


その手にはドリンクバーのメロンソーダ。


能田の表情が一瞬強張る。


芝浦の登場の仕方はあまりにもタイミングが良すぎて、どこか不自然さを感じずにはいられなかった。


芝浦との間に、再びあの体育祭以来の気まずい空気が立ち込める。


「……芝浦か」


「2人で何してんの? めっちゃ真剣な顔して。」


芝浦はその空気を敢えて壊すように、しかしどこか緊張した面持ちで俺たちのテーブルの空いている席に視線を向けた。


能田が小さく頷くのを見て、ややぎこちなく腰を下ろす。


さすがに偶然では無さそうだ。


能田と何か企んでいるのだろう。


と、その時。


「やだー! 光哉に能田さん! それに芝浦くんまで! こんなところで会うなんて、奇遇だねー!」


わざとらしいほど大きな声と共に、咲良がテーブルに現れた。


その笑顔は完璧だが、明らかに何か魂胆がありそうだ。


芝浦と能田が一瞬、顔を見合わせる。


そこにわずかな焦りの色を浮かべたのを、俺は見逃さなかった。


「……随分と賑やかなことだ」


芝浦と能田にとって、この咲良の登場は完全に想定外だったらしい。


「そういえば咲良、今年のクリスマスパーティーはどうする? そろそろ決めないと」


俺はここぞとばかりに、この混沌とした状況を打開すべくクリスマスの話題を振った。


毎年、俺か咲良の家でささやかなホームパーティーを開くのが恒例なのだ。


「え? あー、うん……そうだねー」


咲良は明らかに困ったような顔をした。


そこにすかさず、


「へえ、クリスマスパーティー? 僕も行きたい! 絶対行く!」


芝浦が子供のように目を輝かせ、しかし何故かどこか必死な様子で言い出した。


「えー、でも人数増えるとうちの親にも迷惑が」


咲良がやんわりと難色を示す。


すると芝浦は、待ってましたとばかりに提案した。


「だったらさ、僕ん家でやんない? それなりに広いしさ! 4人でホームパーティーしよう!」


その言葉に咲良がうーんと唸っていると、全く予想外の方向から声がかかった。


「楽しそうですね。もしよろしければ、僕も参加してもいいですか?」


振り返ると、そこには人懐っこい笑顔を浮かべた鷲那が立っていた。


いつの間に現れたんだ。


「いや、それは……」


芝浦と咲良の声が重なる。


明らかに歓迎していない。


すると鷲那は困ったように眉を下げ、俺に視線を向けた。


「城之崎先輩、駄目ですか?」


真っ直ぐ俺を見るその瞳に、俺は抗えるはずもなかった。


「いや、俺はいいと思うぞ」


即答した。


悪い、2人とも。


俺の返事を聞いて、芝浦と咲良も渋々といった感じで頷く。


「でも鷲那くん、クリスマスなんて忙しいと思ってたんだけど」


咲良が尋ねると、鷲那は悪戯っぽく微笑んだ。


「いけませんか?」


その笑顔は何かを隠しているようにも、あるいは純粋に楽しみにしているようにも見えた。


俺も彼が参加することに異論はないどころか、むしろ歓迎だった。


だが確かに、少し意外ではあった。


こうして様々な偶然といくつかの必然が絡み合った結果。


今年のクリスマスは俺・芝浦・咲良・能田そして鷲那という予想外の五人で、芝浦の家でホームパーティーを開くことが決定したのだった。


何がどうしてこうなったのか、俺自身よく分かっていなかった。


胸の奥で、何かが少しだけ軽くなったように感じる。


ただそれと同時に新たな波乱の予感もするような、そんな複雑な気持ちが渦巻いていた。

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