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本当に大事なものは  作者: 城井龍馬
高校生編
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第23話 気づいた時には 城之崎光哉の場合

パタン。


軽い音を立て、部室のドアが閉まる。


少し猫背気味な、芝浦の後ろ姿を見送った。


そして部室には俺、城之崎光哉1人が残された。


他の部員連中はまだ来ないらしい、忙しいのだろうか。


まぁそんな事など、正直どうでも良かった。


「……あいつは、大丈夫だろうか」


思わず小さな声が漏れた。


去り際のあいつの顔色は、心配になるほど悪かった。


無理をしているのは明らかだ。


大丈夫だと言っていたが、本当に一人で帰れるのか?


今からでも追いかけるべきだろうか……?


いや。


しかし本人がいいと言っているのに、過剰な心配はかえって迷惑かもしれない。


逡巡の末に俺は追いかけることを諦め、いつもの席へと戻った。


先ほどまで読んでいた文庫本を開く。


だが活字は滑らかに視界を流れていくだけで、全く頭に入ってこなかった。


……まるで集中できない。


芝浦のあの苦しそうな顔がちらついて、頭から離れないのだ。


気を取り直そうと、ふと窓の外に目をやった。


秋の日は短い。


もう太陽はかなり傾き、校庭に長い影を落としている。


グラウンドではいくつかの運動部が、まだ練習に励んでいるようだった。


乾いた風が吹き抜け、窓際のケヤキの葉を揺らしている。


はらり。


一枚、また一枚と葉が舞い落ちていく。


そんな様を眺めているうちにふと、記憶は別の日へと飛んでいた。


去年の晩秋、たしか11月の肌寒い夕暮れ時だった。


咲良に強く誘われて観に行った恋愛映画。


正直、内容はあまり覚えていない。


ただ隣で感情豊かに反応する咲良と、それに全く共感できない自分。


咲良との間に、妙な隔たりを感じていたことだけは記憶にある。


映画のクライマックス。


恋人たちが結ばれるシーンで咲良が涙を流すのを見ても、俺の心は少しも動かなかった。


むしろどこか冷めた気持ちでスクリーンを眺めていた自分に、わずかな罪悪感すら覚えた。




『最も綺麗な涙』


……ポスターに書かれたキャッチコピーが、やけに空々しく響いた。


綺麗な人が流す涙だから綺麗なのか?


本当に綺麗な涙とは、一体どんなものなのだろうか。


そんな答えの出ない考えに囚われ、モヤモヤとした気分で映画館を出た。


人でごった返す商店街を歩いていた時だ。


考え事をしていたせいか、不意に誰かと肩がぶつかった。


「あっ、すみません。大丈夫でしょうか?」


反射的に謝罪の言葉を口にした俺に、相手がこちらを向いた。


その瞬間、俺は息を呑んだ。


そこに立っていたのは、背の高い青年だった。


年齢は俺と同じくらいだろうか。


夕暮れの光の中。


その整った顔立ちははっとするほど美しく、そして――その瞳は涙に濡れてきらめいていた。


なぜ泣いているのかは分からない。


だがその涙は映画のヒロインが流したものよりもずっと、不思議なほど綺麗だと不意に思ったのだ。


「こ、こちらこそすみません」


震える声で青年がそう言う。


そして彼は両手で顔を覆うようにして、人混みの中へと足早に去っていった。


俺は呆然とその場に立ち尽くし、彼の後ろ姿が見えなくなるまで目で追っていた。


「綺麗な涙だったな……」


思わず、そんな言葉が口をついて出た。


そしてそう思った自分自身に、少しだけ苦笑いを浮かべたのを覚えている。


「我ながら現金だな」




結局、あの美しい涙の理由は今もわからないままだ。


そして今年、高校2年になりクラス替えがあった。


新しい教室で見慣れない顔ぶれの中にまあの時の青年がいたことに気づいた時、俺は少なからず驚いた。


それが、芝浦山手だった。


芝浦は、俺とは全く違う種類の人間だ。


いつもクラスの中心にいて、明るく誰にでも分け隔てなく話しかける。


運動神経も良く容姿も華やか、俺よりもずっと背が高い。


女子からも男子からも好かれ、その周りには常に人が集まっている。


彼がバイセクシャルであることを公言しているのは、噂で聞いていた。


それでも、あるいはそれだからこそなのだろうか。


彼は誰からも自然に受け入れられ、愛されているように見えた。


そんな彼の生き方を、眩しいと思わないと言えば嘘になる。


羨ましい、と。


だが俺には彼のような生き方はできないし、したいとも思わない。


自分のセクシャリティをあんな風に当たり前に他人に話すなんて、俺には到底考えられないことだ。


だからこそ芝浦が俺のセクシャリティを探るような真似をしてきた時、強い嫌悪感を覚えたのだ。


あの時声を掛けられた献血のお願い。


芝浦の挑発に乗せられる形で、俺は売り言葉に買い言葉でカミングアウトしてしまった。


『俺はゲイだよ、これで満足か?』


……今思い出しても、冷や汗が出る。


言ってしまった後、どれほど後悔したことか。


なぜ、あんなことを口走ってしまったのか。


相手がバイセクシャルの芝浦だったから、少しは理解されるとでも思ったのだろうか。


それとも彼の執拗さに追い詰められて、自棄になったのか。


正直、今でもよく分からない。


ただあの時の芝浦の驚いたような、そして傷ついたような顔だけは妙に記憶に残っている。


思えばあの出来事から、芝浦との関係は大きく変わった。


気まずい空気が続いた後。


学園祭での不本意な演劇で、俺が泣いているのを隠してくれた。


夏祭りでは咲良に振り回される俺を、あいつはどこか面白そうに見ていた。


そして、修学旅行。


鷲那に会えて喜んでいる俺の隣で、あいつは妙に冷静だった気がする。


山手線ゲームでの、あいつの予想外の行動……。


女性に興味のない俺は、夜の女優なんて知るはずも無かった。


そんな俺を、あいつが庇ってくれたこと。


そして大鷲の間での、あの妙な空気。


いや、夜の女優はわからないが一度やってみたったんだ!


だが……あれじゃまるで、その……。


……なんというか、随分とらしくないことをしてしまった。


そうだ。


俺はあいつといる時、俺らしくない時が増えた。


鷲那といる時とはまた違う。


あの表情豊かで、でも掴みどころがない。


ただ時折、妙に真っ直ぐな瞳をする男。


馴れ馴れしいくせに、どこか踏み込ませない壁を持っている男。


いつの間にか、随分と距離が近くなったものだ。


自分とは違う種類の人間だと、あれほど思っていたのに。


その事実に気づくと、なんだか少しおかしくなった。


困惑、に近いのかもしれない。


俺がゲイだと知っているからだろうか?


ゲイである事を人に言ったのははじめてだった。


改めてあの献血の時、なぜ俺はゲイだと言ったのかは確信が無い。


だが。


もしかしたら、俺は誰かに言いたかったのかもしれない。


だから経緯はどうあれ、その相手を特別視しているのか。


俺は小さくため息を吐き、再び開いていた文庫本へと視線を落とした。


けれどやはり、文字はただの記号の羅列にしか見えなかった。


窓の外は、もうすっかり夕闇に包まれようとしていた。

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