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本当に大事なものは  作者: 城井龍馬
高校生編
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第20話 修学旅行と怪我の功名 芝浦山手の場合

修学旅行、最終日の朝。


モーニングコール代わりの館内放送で、無理やり叩き起こされた僕の体は正直限界だった。


ズキズキと断続的に響く頭痛。


鉛でも仕込まれたみたいに、重くてダルい手足。


昨夜のあの『大鷲の間』でのこと。


そのあとの興奮と混乱で、結局またしてもほとんど寝ることができなかった。


原因は分かっている。


あのフッカフカの布団のせいだ!


……いやもちろん、それだけじゃないけど。


なんとか布団から這い出す。


「芝浦大丈夫か? 顔色酷いぞ」


壁に手をつきながら荷物をまとめようとしていると、隣で支度を終わらせていた城之崎が心配そうな顔でこっちを覗き込んできた。


普段の城之崎からは珍しい、素直な気遣いの声。


昨夜のあの『大鷲の間』でのことを思い出す。


『……俺だって、興味がないわけじゃない』


上目遣いに僕を見る城之崎、どんな思いであんなこと言ったんだ?


「んー……まぁちょっと寝不足なだけだよ、ありがとう」


力の入らない口元で、曖昧に笑って返すのが精一杯だった。


本当は立つのも辛い。


思考もどこかモヤがかかったように、ハッキリしない。


旅館の玄関を出ると、女将さんを筆頭に従業員の方々がズラリと並んで盛大なお見送りをしてくれた。


その列の端にはもちろんあの男、若旦那・鷲那豊樹の姿もあった。


相変わらず笑顔を貼り付けている。


もうその笑顔の裏に何があるのかなんて、考える気力も残っていなかった。


ただただ早くこの場から解放されたい、それだけだった。


ボーッとした頭で他の生徒たちの流れに乗って、バスへと向かおうとした。


その時。


「芝浦先輩」


スッと隣に現れた鷲那に声をかけられた。


「見送りの挨拶聞こえてはりました?随分考え事がお忙しかったんやろか?」


チクリと嫌味を言われるけど、反論する気力もない。


僕が曖昧に頷くと、彼は隣にいた城之崎に向き直った。


「城之崎先輩、お願いがあるんですけど」


普段の標準語に戻った。


「なんだ?」


「どうも芝浦先輩は体調が優れないみたいで、見ての通り顔色も悪いですし。先輩には大変申し訳無いのですが、芝浦先輩のことを見ていていただけませんか?」


そう言って彼は、深々と頭を下げた。


その言葉と態度に嘘はないように見えた。


「…分かった。任せてくれ。」


城之崎は一瞬だけ鷲那の真意を探るような目を見せたけど、すぐに頷いた。


その口元にほんの僅かに、隠しきれない嬉しさが滲んでいるのを僕は見逃さなかった。


……鷲那に頼られたのが、そんなに嬉しいのか。


複雑な気持ちを抱えながら、僕は城之崎に半ば支えられるようにしてバスに乗り込んだ。


バスが走り出すと、担任から今日の目的地についての説明があった。


最終日は大阪観光。


でも全員で同じ場所を回るのではなくて、USJ組と天保山ハーバービレッジ組に分かれるらしい。


そしてその分け方は無情にも、くじ引きだった。


配られたくじを引く。


結果は……。


『天保山』


隣を見ると城之崎も同じ『天保山』のくじを手にしていた。


よし!


内心でガッツポーズをする。


「えーなんでー!? 私USJなんだけど! 光哉と一緒がいいー!」


僕の喜びは、すぐさま絶叫によって打ち砕かれた。


大庭だ。


彼女はUSJのくじを引き当てたらしく、案の定駄々をこねている。


隣では能田ちゃんも困った顔でUSJのくじを持っていた。


「誰か交換してよー、お願い!」


「いや、くじで決まったんだから仕方ないだろ」


「やだやだ! 絶対一緒がいい!」


子供のように腕をぶんぶん振る大庭に、城之崎は少し困った顔をしていた。


少しして、意を決したように言った。


「……さっき、鷲那にも言われたんだ。芝浦のことを見ててやってくれって、だからどのみち一緒には回れない」


その言葉に、大庭は一瞬動きを止めた。


そしてフラフラと自分の席に戻る。


……鷲那。


……鷲那、豊樹……。


ブツブツと呪詛のように、鷲那の名前を繰り返す。


その姿は、正直ホラーだった。


僕は怖くなってそっと視線を逸らして、その光景は見なかったことにした。


城之崎と一緒にいられる、それは素直に嬉しい。


でもその理由が『鷲那に頼まれたから』だと思うと、胸に何かがつかえているような気分になった。


結局こいつの中での優先順位は、そういうことなんだ。


僕の体調なんて、ただの口実に過ぎないのかもしれない。


そんな自己嫌悪にも似た感情が湧き上がる。


それでも隣に座る城之崎の体温を感じられるこの状況を手放したくなくて、僕は複雑な気持ちを抱えて窓の外を流れる景色を眺めていた。


天保山ハーバービレッジに着くと、僕と城之崎はバスを降りた。


大庭たちの乗ったバスがUSJへと走り去っていくのを見送る。


「さて、どうする?」


城之崎が僕の顔を覗き込む。


寝不足のせいか、少し世界がフワフワとしてる。


「んー……とりあえず、海遊館でも行く?」


「あぁ、お前の体調もあるしゆっくり回ろう」


世界最大級だという水族館、海遊館。


巨大なジンベエザメが悠々と泳ぐ大水槽の前では、さすがの城之崎もウンチクを言うのも忘れて静かに見入っていた。


城之崎は僕の体調を気遣って時折立ち止まり、歩くペースも合わせてくれてる。


そして目の前の魚について、ポツリポツリと話し始めた。


「あれはマンボウだな、……意外と動きが早いんだ」


「こっちは……クラゲか、見てると何も考えなくて済む」


その声はどこまでも穏やかで、なんだか心地よかった。


僕の様子を伺いながら、一生懸命に話をしてくれている。


その姿が妙に健気に見えて、また愛おしくなった。


コイツのこういうところ、ズルいよな本当に。


海遊館を出ると、海風が少し火照った頬に気持ちよかった。


「次はどうする? 無理しなくていいぞ」


城之崎が気を遣ってくれる。


「いや大丈夫だってせっかくの修学旅行なんだし楽しまないと損だろ? 城之崎は行きたいとこ、ないの?」


僕がそう言うと少しだけ迷う素振りを見せたあと、観覧車の方を指差した。


「……あそこからなら、大阪城が見えるらしい」


「へぇ、じゃあ乗ろうよ」


巨大な観覧車に2人で乗り込む。


ゴンドラがゆっくりと上昇を始めると、大阪港の景色が眼下に広がっていく。


向かい合って座った僕たち。


城之崎は窓の外に視線を向けて遠くに見えるはずの大阪城を探しながら、その歴史について語り始めた。


「豊臣秀吉が築いた初代大坂城は夏の陣で焼失して、徳川家康が復興した。だがそれも先の大戦で焼失……今の天守閣は昭和になってから市民の寄付で復興されたものだから、実は鉄筋コンクリート製だ」


「へぇ、そうなんだ」


「まぁ、本で読んだだけだが」


少し照れたように言う。


その横顔を見てると、なんだかフワフワとした眠気が襲ってきた。


連日の寝不足と心地よい揺れ、そして何より城之崎の存在がもたらす安心感……。


「なぁ芝浦、そっちの窓の方が天守閣が見やすいかもしれない」


城之崎がそう言って、僕の隣の席へと移動してきた。


狭いゴンドラの中、肩が触れ合う距離。


彼の体温がすぐそばに感じられる。


これはマズい、本当に眠く……なって…………。


いつの間にか自宅のベッドにいた。


ふかふかの布団に包まれる感覚。


あぁ、気持ちいいな……。


お母さん、布団干しといてくれたんだ。


どこからか、城之崎の声が聞こえるような気がする……。


「……おい芝浦、もうすぐ着くぞ」


ハッ、と意識が浮上する。


目を開けると、観覧車のゴンドラの中だった。


窓の外には、見慣れた地上近くの景色が広がっている。


そして自分の体が、何か温かいものにもたれかかっていることに気がついた。


ゆっくりと視線を、横に向ける。


そこには――僕の頭を肩に乗せたまま、窓の外を眺めている城之崎の横顔があった。


……え?


状況を理解した瞬間、全身の血が沸騰したかのように熱くなる。


「わっ! ご、ごめん!!」


慌てて飛び起きるように、体を離す。


ガンッとゴンドラの壁に頭をぶつけたけど、そんなことはどうでもよかった。


城之崎は、こちらを向かない。


窓の外を見つめたまま。


表情は見えない。


ただ僕の目には、その真っ赤に染まった耳だけが見えていた。


気まずい沈黙が、ゴンドラの中に満ちる。


さっきまでの穏やかな空気はどこへやら。


僕も城之崎も、何も言えないまま。


ただゆっくりと地上へと近づいていくゴンドラの動きだけが、現実の時間を告げていた。


こうして。


数々の事件とわずかな進展。


それと波乱に満ちた僕たちの修学旅行は、終わりを迎えたのだった。

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