第19話 修学旅行と魔法が効かない女 芝浦山手の場合
重い沈黙が、部屋を支配していた。
ライトアップされた庭園の静寂すら、今は耳に届かない。
目の前にいる城之崎の潤んだ上目遣い。
そして『興味がないわけじゃない』という囁きだけが、僕の世界の全てだった。
僕はただ目の前の城之崎に吸い寄せられるように、その瞳を見つめ返していた。
あと一歩、踏み出せば――。
「失礼しまーす!光哉ー!芝浦くーん!なんかスゴーいお部屋に案内されたって聞いたんだけどー!」
その張り詰めた空気を破ったのは、部屋の外から聞こえてきた声だった。
声の主は、やはり大庭だった。
大庭は部屋に足を踏み入れるなり、まずその豪華さに目を見張ったが、すぐに部屋の中央で固まっている僕と城之崎のただならぬ様子に気づいた。
後ろには能田ちゃんもいる。
噂を聞きつけて様子を見に来たのだろう。
大庭はすっと目を細めて探るような鋭い視線で僕たちを交互に見ると、少し低い落ち着いた声で問いかけた。
「……ふーん、2人は何してたの?」
その声には、いつもの明るい響きはない。
明らかに目星は付いている、それを自白させようとするような鋭さがこもっていた。
最悪のタイミングでの乱入。
僕の思考は完全に停止して、心臓が嫌な音を立てて脈打つ。
「え?あ、いや……その、な……何も!」
完全にテンパって、しどろもどろになる僕。
目線が泳いで、冷や汗が背中を伝うのが分かった。
一方城之崎は多少顔は赤いけど、その表情は固くほぼ普段通りにしてる。
でも大庭がさらに距離を詰めて、僕たちの表情を観察するように覗き込んできた時、城之崎の肩が微かに震えた。
「何もって顔じゃないけど? 光哉なんか耳まで真っ赤だし、芝浦くんもめっちゃ挙動不審」
核心を突く指摘に、僕はさらに慌てる。
能田ちゃんもただならぬ雰囲気に戸惑いながらも、固唾を飲んで成り行きを見守っている。
「ねえ光哉、正直に言っちゃいなよ」
冷静な城之崎のことだ、こういう時も頼りになる。
「な、何も……ない……って、言っている……だろ……」
あ、すみません全然駄目だったみたいです。
その声は内心の動揺を、これっぽっちも隠せてなかった。
「……」
大庭はいつになく真剣な目で、今度は部屋の中を大げさに見回し始めた。
「それにしても、なんで2人だけこんな部屋なの? えこひいきじゃーん!」
先程から大庭の声はわざとらしく大きく、明らかに廊下まで聞こえるように言っている。
そのいかにも騒がしい大庭の声と、部屋の中の尋常でない雰囲気を察したのだろう。
タイミングを見計らったかのように担任教師と、その後ろに控える鷲那が部屋の入り口に姿を現した。
「こら大庭さん、何を騒いでいるんですか」
先生の声で、ようやく大庭の追及が止まる。
「だって先生! このお部屋、本当にすごいんですよ! どうして芝浦くんと光哉だけがここに? ねぇ、若旦那さん?」
すぐさま矛先を鷲那に向ける。
鷲那は特に動揺するでもなく、恭しく説明を始めた。
「これはこれは、実は私どもの手違いでお二方のお食事に不備がございまして。そのお詫びとして、この『大鷲の間』をご用意させていただいた次第です。学校側には、先生方を通じて事情はご説明済みでございます」
鷲那の説明を聞いて、先生は黙って頷く。
でも大庭がそれで引き下がるはずもなかった。
「へぇーお詫びねぇ、でもいくらなんでもこんな豪華な部屋に2人『だけ』って……何かあったらどうするんです?」
鋭い指摘に鷲那は僅かに眉をひそめたけど、すぐに笑顔で返す。
「ご心配には及びません、当庵のセキュリティは万全を期しております。そもそも男性お2人で何か問題でも?」
その言葉を待っていたかのように、大庭は畳み掛けた。
「でも芝浦くんって、バイセクシャルだって自分で皆に言ってるよね?」
その言葉に、場の空気が一瞬緊張する。
先生は状況を見守っている。
隣では能田ちゃんが、顔を真っ赤にして俯いてしまった。
「差別する訳じゃないけどそういう人が一緒なのに、『男二人だから何もない』って、本当に言い切れるのかなあ? 安全のためには、やっぱり2人きりっていうのは避けた方がいいんじゃないですか?」
悪魔のような笑顔で、大庭は正論を言う。
さすがの鷲那もこれには言葉を詰まらせてしまって、反論できないでいる。
先生が咳払いをして場を収めた。
「まぁまぁ、大庭さんの言うことも一理あります。柊鷲庵さんのご厚意は大変ありがたいのですが、誤解を招くような状況は避けるべきでしょう。ここはやはり、遠慮させていただきます」
その鶴の一声で、この茶番劇は幕を閉じた。
結局僕と城之崎はスゴスゴと元の大部屋へと戻ることになった。
戻る途中僕たちの間には、重く気まずい沈黙が流れていた。
さっきまでの雰囲気は跡形もなく消え去り、代わりに中断された気まずさと、大庭の言葉によって再び意識させられた現実が横たわっている。
部屋に戻ると他の男子たちに色々と聞かれたけど、
「ちょっと部屋を見せてもらっただけ」
なんて適当に誤魔化しておいた。
自分の寝床を見ると昨日までのせんべい布団じゃない、他の皆と同じフカフカの布団が敷かれていた。
恐らく鷲那の計らいで、僕の寝具問題だけは解決されたみたいだ。
でもフカフカの布団に横になっても、安らぎは訪れなかった。
むしろ体が火照るばかりだ。
目を閉じるとさっきの大鷲の間での城之崎の姿が、嫌というほど鮮明に蘇る。
潤んだ瞳に長い睫毛、白い肌。
そして『興味がないわけじゃない』という言葉と、僕を見上げたあの上目遣い。
あれって、どういう意味だったの?
あれは、誘ってたの?
それとも、単なる悪戯心?
あのままもし大庭たちが来なかったら、僕たちはどうなっていたんだろう?
考えれば考えるほど頭が混乱して、体だけが勝手に熱くなっていく。
あと一歩で触れられたかもしれない、という強烈な興奮。
そして大庭の言葉で突きつけられた、自分たちの関係性の危うさ。
……あぁ!
もうめちゃくちゃだ!
布団の中で、何度も寝返りを打つ。
ふかふかの布団は心地いいどころか、体の熱を発散させてくれない檻のようにすら感じられた。
鷲那の気遣いは裏目に出た。
それに大庭の鋭すぎる介入のせいで、僕の心と体は完全に掻き乱されていた。
結局その夜もほとんど一睡もできないまま、朝を迎えることになった。
フカフカの布団の上で、ただひたすら城之崎のことを思って悶々とした思いを抱えながら。




