第18話 修学旅行の魔法 芝浦山手の場合
「鷲那! ちょっと待ってよ!」
廊下の隅で彼を呼び止めると、やっぱり営業スマイルで振り返った。
「どないされはったんです?」
まだ若旦那モードだ。
「いやさっきの芝居、どういうつもりなんだ? 大鷲の間って何? いったい何がしたいんだよ?」
勢いにまかせて問い詰めると、鷲那はふぅと大きなため息を吐く。
纏っていた若旦那の空気がフッと消える。
するとどこか疲れたような、年相応の高校生の顔になった。
視線を少し下に落として、ぽつりぽつりと語り始めた。
その言葉は今まで聞いたことのない、少しだけ訛りのある等身大の京都弁だった。
「……中1ん時でした。親父に言われて急に関東の学校に転校せぇ言われて、ホンマしんどかったんです」
その声には、当時の苦労が滲んでいた。
「右も左も分からんとこに周りのやつらはなんや『オンゾーシオンゾーシ』言うて馴れ馴れしく声掛けてくるんです。……せやけど下心みたいなんが透けて見えて、正直、気色悪かったんですわ」
きゅっと唇を結ぶ。
「そん中で一人だけや、淡々と色んなこと教えてくれはった先輩がおって」
城之崎のことだろう、そう思った。
2人は中学から一緒だったのか。
「その人が言うてたんです。『周りが何と言おうと、お前はお前のままでいいんだ』、『人を惹きつけるのは才能なんだから、それを面倒だなんて思うな』って……そう言うてくれはって」
その声にわずかな熱と、懐かしそうな響きが混じる。
「無愛想やけど、めっちゃ優しい人や思たんです。先だけやないホンマに困った時はこの人はきっと見捨てへん、信頼できる人やって」
そう言った鷲那は優しい表情をしている。
「せやから最初は俺から仲良うなりに行ったんです、一緒に遊んだりも……結構仲良うなったんです」
そこで言葉を止める。
そして少し照れたように、困ったように続けた。
「……そしたらなんかその人、俺に気ぃあるんやないかな思うようになって」
「え?」
「いやあの人隠してはるつもりか知らんけど、めっちゃ分かりやすいから」
どこか愛おしむような、そんな複雑な表情で彼は微笑んだ。
そうか、鷲那も気づいてたのか。
「……ん?でもそれが僕と城之崎を大鷲の間に泊まらせることとどう関係するんだよ?」
鷲那は意味深なほほ笑みを浮かべた。
「そこまで教える義理はあらへんと思います、まぁ頑張らはったらええんとちゃいます?」
その挑発的な言い方に、僕は少しだけ皮肉を返す。
「……ところで鷲那はさ、人間的にはその先輩嫌いじゃないんでしょ?じゃあ案外抱いてみたらイケるんじゃない?女装とか良いかもね!」
学園祭のとき言ってたしな。
その言葉を発した瞬間、ブチッと何かがキレる音がした気がした。
鷲那の顔から高校生の素顔が消えて、また冷たい若旦那の仮面が装着された。
温度のない目で僕を一瞥すると静かに、でも確かな皮肉を込めて言った。
「閻魔はんもエラいお忙しいんやろけど、仕事はきっちりしてもらわなかなわんなぁ」
……閻魔仕事しろってことは、地獄に落ちろってことだよね?
さすがにデリカシーがなさすぎたな。
彼は背を向けて廊下を歩いていく。
はたと止まり振り返ると、
「そないなったらあんたはん、勝ち目あらへんな」
そう言って不適に笑うと、奥の闇に消えていった。
え?
いやそれは困るんですけど!
まさか、本気じゃないよね?
……とにかく。
鷲那の城之崎への思いは伝わってきた。
一人残された僕はため息をつきながら、自分たちの部屋へ戻ろうとした。
すると部屋の前で待っていた中居さんに呼び止められて、そのまま例の『大鷲の間』へと案内されることになる。
そこに城之崎も合流した。
案内された部屋は、言葉を失うほどの空間だった。
玄関だけで僕たちの部屋より広いんじゃないか?
金箔が貼られたような壁や人間が余裕で寝られそうな巨大な一枚板のテーブル、見たこともないような豪華な調度品の数々。
窓の外には、ライトアップされた見事な日本庭園が広がっていた。
「……」
僕も城之崎もあまりの豪華絢爛さに完全に気圧されて、声も出ない。
というか、正直ちょっと引いてる。
「な、なんて言うか……ヤバいね」
「あぁこれは……落ち着かないな」
2人してソワソワとまわりを見ながら、とりあえず部屋の中央にあるフッカフカの座布団に座った。
妙な沈黙が流れる。
それを破ったのは、城之崎だった。
「芝浦」
「ん?」
「昨日はその……改めて、ありがとう」
城之崎は真っ直ぐに僕を見てもう一度、はっきりとお礼を言ってくれた。
あの日軽蔑された視線を思い出す、するとこの言葉がどれほど貴重なものか身に染みる。
「いやまぁ……助けになったなら、良かったよ」
照れくささもあって、素直にそう返した。
すると城之崎はふっと表情を和らげ、少し悪戯っぽい笑みを浮かべた。
「じゃあ昨日の続き、しないか?」
「昨日の続きって……山手線ゲーム?」
「そうだ」
まさかの提案に驚いたけど、頷いた。
こんな豪華すぎる部屋でやるのは場違いな気もするけど、断る理由はなかった。
2人だけの山手線ゲームが、静かに始まった。
最初は当たり障りのないお題で数回ラリーが続いた。
そんなとき、不意に城之崎が口を開いた。
「次は……お世話になっている夜の男優の名前」
「はあ!?」
今度こそ僕は、素っ頓狂な大声を上げてしまった。
城之崎の口から、そんなお題が飛び出すなんて!
いや僕は女優さんにも男優さんにも、大変お世話になっていますけれども!
けれども!
僕の驚きを面白がるようにクスクスと笑いながら、城之崎はゲームを続ける。
「神坂諒!」
おおイケメンだよね、男に興味無いって本当かな?
それじゃあ僕は、
「新瀬幾人!」
あの温泉のやつすごい良かった、非常にお世話になったんですよ。
「あぁいいよな」
城之崎が柔らかく笑っている。
城之崎も見てるんだ……ヤバいドキドキする!
「じゃあ……美崎抗!」
ん?
「ごめん僕、その人知らないな」
思わず止めてしまった。
すると城之崎は、
「10年くらい前に亡くなってしまったらしいんだが、俺も少し前にネットで見つけてな」
そう少し寂しそうに言った。
なるほどと早速スマホで検索した。
おぉ、確かにかっこいいな。
城之崎はこういう人がタイプなのかな?
そうして城之崎がつぶやく。
「クラスの奴らがやってたのを前から見ていて……俺も一度やってみたかったんだ、俺は女優はわからないから」
そう言って笑う城之崎は、やっぱりかわいかった。
「意外だよ、城之崎がそういうの見るなんて。興味ないのかと思ってた」
すると城之崎は――まるで計算されたかのように、潤んだ瞳で僕を上目遣いに見上げてきた。
「……俺だって、興味がないわけじゃない」
その視線と声を受け止めた瞬間、僕の中の硬い理性にヒビが入る音がした。
言葉を紡ぐ事ができなくて、家電の音も耳には届かない。
どんな音すらも存在を許されなかった。
沈黙が支配するこの部屋で。
僕は城之崎と合った目を、逸らすことができなかった。




