第13話 修学旅行の伏兵 芝浦山手の場合
けたたましい発車ベルと、ホームに響くアナウンス。
遂に修学旅行当日がやってきた。
僕たち高校2年生ははしゃぎながら、新幹線へと乗り込んでいく。
行き先は古都京都。
そして奈良、大阪。
期待とほんの少しの不安を胸に、3泊4日の旅が始まる。
指定された車両に乗り込んで、座席を探す。
僕たちの班は4人分の席の前列を進行方向とは逆向きになるよう座席を回転させて、向かい合わせのボックス席のような形にする。
窓際は城之崎と大庭が並んで座り、通路側に僕と能田ちゃんが向かい合う形で座った。
これなら話しやすい。
新幹線が滑り出すように動き始めると、車窓の景色が猛スピードで流れ始めた。
「速ーい! 見て見て、家がめっちゃ小さく見える!」
大庭は子供みたいにはしゃいで、窓の外を指差している。
城之崎は……と思ったら、いつの間にか文庫本を開いて自分の世界に入っている。
この状況でもブレない、さすがだ。
能田ちゃんはやっぱり緊張してるみたいで、膝の上のしおりを確認したり小さく頷いたりしている。
僕はそんな3人の様子を眺めながら、適当に会話に参加したりスマホで音楽でも聴こうかとイヤホンを探したりしていた。
その時、ふと視線を感じた。
顔を上げると向かい側に座る能田ちゃんが、慌てて視線をしおりに落とす。
……ん?
最初は僕の気のせいかなって思った。
でもそれからも何度か僕が大庭と話している時とかぼんやりと窓の外を眺めている時に、彼女からの視線を感じる気がした。
それは遠慮がちだけど、真っ直ぐな。
敵意とか、そういう種類のものではない。
どちらかというともっと……熱っぽいというか、淡い期待を込めたような。
あー……なるほどね。
この手の視線には、ある程度覚えがある。
好意、なんだろう。
別に悪い気はしない。
能田ちゃんだって大人しくて真面目そうな、いい子だと思う。
でも今の僕の心は、隣のコイツに奪われているわけで。
ちょっとだけ、申し訳ない気持ちになった。
ごめんね、能田ちゃん。
その気持ちには多分、応えられない。
そんなことを考えているうちに、あっという間に時間は過ぎて新幹線は定刻通り京都駅に滑り込んだ。
ホームに降り立つと、ひんやりとした空気が気持ちいい。
いつもと違う、歴史の匂いがする気がした。
ここから僕たちは、クラスごとに待機していた貸し切りバスに乗り換えて一路奈良へと向かう。
今日の予定は奈良での短時間見学のあと、京都の旅館に入るって流れだ。
バスに揺られることしばし。
窓の外にはのどかな風景が広がる。
古都奈良に到着。
まずは東大寺だ。
教科書で嫌というほど見た南大門の金剛力士像。
大仏殿の巨大さ、そしてもちろん鎮座する大仏そのものの大きさには実物を見るとやっぱり圧倒される。
「で、でっかい……」
思わず呟くと隣を歩いていた城之崎が、
「……当たり前だろう」
なんて冷たく呆れたように言った。
コイツ、ちょっとは感動しろよ。
そのあとは奈良公園へ。
言わずと知れた、鹿たちの楽園だ。
「きゃー! 鹿せんべい! 鹿せんべい! こっち来ないでー!」
大庭は案の定と言うか、鹿せんべいを買った途端に大量の鹿に囲まれて追いかけ回されてる。
楽しそうで何よりだ。
能田ちゃんも鹿を遠巻きに見て怖がっていたけど僕が、
「この子はおとなしそうだよ」
そう教えてあげると、おそるおそる子鹿にせんべいを差し出す。
「……食べました」
小さく呟いて嬉しそうな顔をした。
城之崎は……鹿には一切興味がないみたいで、公園の隅にある古びた石碑の文字を、難しい顔で解読しようとしていた。
うん、アイツらしい。
僕も襲ってこない程度に鹿と戯れたり写真を撮ったりして、慌ただしいながらも短い奈良観光を満喫した。
再びバスに乗り込み、今度こそ京都へ。
今日の宿へと向かう。
今日の宿は、『シュウジュ庵』という旅館で、なんと江戸時代から続く老舗旅館とのこと。
うちの高校の理事長かなんかと縁があって、今回の修学旅行で利用させてもらっているらしい。
バスが京都の碁盤の目のような、趣ある街並みの中へと入っていく。
やがて歴史を感じさせる立派な門構えの旅館の前で、バスはエアブレーキの音を立てて停車した。
「はいみんな降りてー、ここが今日からお世話になる『シュウジュ庵』さんだよー」
先生の声と共に、ぞろぞろとバスを降りる。
目の前には写真で見た通り、古風で重厚な門構えの旅館があった。
歴史の重みを感じさせる、堂々とした佇まいだ。
門の上には達筆な文字で書かれた、年季の入った木の看板が掲げられている。
そこに書かれた文字が、僕は少しだけ気になった。
『柊鷲庵』
これで『シュウジュアン』と読むのか。
柊に、鷲か。
少し気になりながらも、他の生徒たちと一緒に門をくぐる。
中に入ると上品な着物姿の女将さんらしき女性が、にこやかに出迎えてくれた。
生徒たちが畳敷きの広間に集められると、女将さんが旅館の歴史について話し始めた。
「ようこそお越しやす。当庵柊鷲庵は江戸時代後期の1818年、文政元年に越前福井藩出身の初代・豊右衛門が創業いたしました。当時は越前の海産物などを商う傍ら、福井藩の藩士の方々やお公家様をおもてなしする宿として始まったんどす」
穏やかな、柔らかい京ことばが耳に心地よい。
「屋号の『柊』は、魔除けとして珍重された柊の木や、初代の故郷の地名から取ったものと言われております。そして……」
女将さんが、そこで一呼吸置いた。
「『鷲』は初代が、当時の将軍家に立派な鷲を献上して大いにお気に召されたことから、苗字帯刀を御免され苗字を賜った、その苗字から取ったものと言われております。」
また『鷲』か。
それを聞いた瞬間、心臓が嫌な音を立てて大きく跳ねた。
僕が一人で混乱し冷や汗をかき始めていると、広間の奥の襖がすっと静かに開いた。
現れたのは凛とした立ち姿の青年、品の良い濃紺の作務衣に身を包んでいる。
そしてその顔には、見覚えがあった。
ありすぎた。
なんで、こいつがここに……?
青年は集まった僕たち生徒を真っ直ぐに見据えて柔らかな、でもどこか聞き慣れた声とは違う響きを持つ京都弁で深く丁寧すぎるほどに頭を下げた。
「皆様、ようこそ柊鷲庵へおこしやす。初代・鷲那豊右衛門より数えまして七代目、若旦那を務めております鷲那豊樹と申します。どうぞよろしゅうお頼もうします」




