第12話 修学旅行前哨戦 芝浦山手の場合
教室が一気に騒がしくなった。
ホームルームの終わり際、夏休み明けで若干緩んでいた空気を引き締めるように担任が放った『修学旅行』という言葉。
それからそれに続く、『班は4人一組』という非情な宣告が原因だ。
「マジかよ、4人かー!」
「誰と組む?」
「なあ、一緒の班なろうぜ!」
あちこちでそんな声が飛び交い始める。
椅子を引く音、駆け寄る足音。
皆一斉に目当ての友人へと動き出す。
普段は静かなクラスメイトまで、どこかそわそわと落ち着かない様子だ。
高校生活一度の一大イベント、修学旅行。
その自由時間を共にする仲間選びは、高校生活における重要ミッションの一つなのだ。
早速、僕の周りにも人が集まり始めた。
「なあ芝浦、うちの班来いよ!絶対楽しいって!」
クラスの中でも目立つグループの男子数人が、馴れ馴れしく肩を叩いてくる。
かと思えば、
「あの、芝浦くん……もしまだ決まってなかったら、私たちと……」
なんて少し離れた場所から女子グループの代表らしき子が、ほっぺを赤くしながら遠慮がちに声をかけてきたりもする。
勇気を出して声を掛けてくれたのに申し訳ないけど、
「ごめん、ちょっとまだ考え中なんだ!」
とか、
「申し訳ないんだけど、もうほぼ決まりそうなんだ!」
なんて当たり障りのない笑顔を顔に貼り付けながら、押し寄せる誘いを片っ端からいなしていく。
内心はどうやって城之崎と同じ班になるかという焦りでいっぱいなのに、こういう時外面を無駄に良くしてしまうのだ、我ながら。
くそっ、早く城之崎の動向を探らないと……!
そうやって内心とは裏腹にクラスメイトたちに愛想を振りまきながら、チラッと本命の様子をのぞき見る。
アイツはまだ、窓の外を見てる。
大丈夫。
まだ誰とも話していない……はず…そう思っていると横から声がかかった。
いや城之崎以外と班組む気は無いんだって。
「おい、芝浦。」
城之崎だった。
いつの間に僕の横に!?
「へ? あ、城之崎」
心臓が、少しだけ跳ねた。
いつの間にか城之崎が僕の席の隣に、表情を変えないで立っていた。
彼は僕の机の上に置かれた班決め用紙を一瞥すると、まるで今日の天気の話でもするみたいにごく当たり前の口調で言った。
「修学旅行の班は俺とお前と咲良と……、あと一人はどうする?」
「…………え?」
僕は、完全に思考が停止した。
ぽかんと半開きの口のまま、目の前の城之崎を見つめてしまう。
今、なんて言った?
僕とコイツと、大庭と……?
まるでそれが最初から決まっていたことみたいに、自然に。
僕があまりにも呆けた反応しかできなかったからだろうか。
城之崎は、少しだけ怪訝そうに眉を寄せた。
「……なんだ? もしかしてお前、別のやつと班組む約束でもしてたのか?」
「いやっ! 全然! まったくない!! 約束とかそういうの、一切ないから!!」
僕は勢い込んで、ぶんぶんと全力で首を横に振った。
他の誰と組む予定なんて、天地がひっくり返ってもあり得ない。
そっか……。
コイツは俺が一緒の班になること、疑ってもいなかったのか。
あの夏祭りの夜を経て、そして新学期になってからの三人での時間。
一緒にサイセでだべったり、たまに一緒に帰ったり。
僕が勝手に意識して距離を測っていただけで、城之崎の中では僕たちはもう『三人で一つ』の自然な単位になっていたみたいだ。
一緒が当たり前だと思ってもらえること。
夏からの自分の行動が、ほんの少しは実を結んだのかもしれないと思えること。
それがこんなにもあったかくて、心地いいなんて。
じんわりと胸の奥に広がるその感覚を、僕は顔がにやけるのを必死で抑えながらそっと噛み締めていた。
……まぁ2人きりだったら、言うこと無かったんだけどな。
心の隅で、そんな本音が顔を出す。
「ごめんごめん、変なこと言った」
そんな僕を見て、城之崎もようやく納得したらしい。
その表情が少し和らぐ。
「で、改めてだけどあと一人どうする? 誰かいるか?」
「うーん特に思いつかないけど……、お前は?」
「俺も別に、咲良に任せてもいいが……」
僕たちが言葉を濁していると、
「おーい!」
と明るい声と共に、大庭が駆け寄ってきた。
「芝浦くーん、班どうするー? 私はもう光哉と一緒って決めてるから!」
宣言通り、彼女は城之崎の隣にぴたりと立つ。
「今話してたところだ、俺たち三人は確定としてあと一人……」
城之崎が説明すると大庭は、
「えー、誰かいるかなぁ? 変な子だったら気使っちゃうし」
そう言いながら、ちらりと僕を見た。
その目に一瞬だけ牽制するような光が宿ったのを、僕は見逃さなかった。
そんな僕たちのところに、タイミング良く担任が通りかかった。
「お、芝浦たちはもう班決めたのか? ちょうどよかった。もし3人なら一人、入れてやってほしいんだが」
先生が申し訳なさそうに切り出す。
「能田のことなんだがまだ班が決まってなくてな、お前たちの班でよければどうだろうか?」
能田未来。
教室の窓際の席で、いつも静かに本を読んでいる女の子だ。
小柄で少し厚めの眼鏡をかけていて、目立つタイプじゃない。
特に親しいわけではないけど、授業中にたまに見せる真面目な横顔は知ってる。
悪い子ではなさそうだ。
僕が、
「能田ちゃん? 別にいいけど……」
と口を開きかけると、隣の大庭がにっこり笑って答えた。
「全然いいですよ、先生! ね、光哉?」
「ああ、俺も構わん」
城之崎も頷く。
僕も改めて、
「はい、大丈夫です」
と先生に伝えた。
「そうか、助かる! じゃあ、能田、こっちへ!」
先生はすぐに能田ちゃん本人を呼んできてくれた。
能田ちゃんは教科書を胸に抱きしめ、少しオドオドした様子で僕たちの前に立つ。
突然クラスの中でも目立つ僕たちのグループに入れられて、かなり緊張しているようだ。
視線が定まらず、指先をもじもじさせている。
「あ、あの……よ、よろしくお願いします」
か細い声で、深々と頭を下げる。
「よろしく、能田ちゃん」
僕は当たり障りのない笑顔を向ける。
まぁ大人しそうだし、波風は立てないタイプかな……?
こうして僕と城之崎と大庭、そして能田ちゃんという自分でも少し意外な組み合わせの修学旅行班があっさりと結成されたのだった。
「じゃあさ、早速だけど自由時間の計画立てない? 早い方がいいって!」
その日の放課後大庭の提案で、僕たちは再びサイセリアのドリンクバーコーナーを占拠していた。
「今年の行き先って1日目が奈良で2日目と3日目が京都、4日目が大阪なんだっけ? しおり貰ったけど、まだちゃんと見てなくて。」
僕がコーラを飲みながら、配られたばかりのパンフレットを広げる。
「そうそう定番だよね、自由行動って3日目が丸一日だっけ? 2日目は研修でしょ?」
大庭が城之崎の顔を覗き込むようにして確認する。
「あぁそのはずだ、だから3日目にどこをどう回るかだな」
城之崎が頷く。
「京都だったら、やっぱり河原町あたりで買い物したい! ねえ光哉、たまには私服とか見に行こうよ! 私が良い感じの、選んであげるからさ!」
大庭は早速スマホを構えつつ、ぐいっと城之崎に顔を近づける。
彼女の関心は明らかに買い物そのものよりも、城之崎を連れ回すことにあるようだ。
「……俺の服はいい」
城之崎は軽くあしらいつつ、ガイドブックに目を戻す。
「買い物もいいが、せっかくだからもう少し落ち着いた場所にも行きたい。哲学の道あたりを散策するのはどうだ? ガイドブックによると、近くに雰囲気の良い寺社もいくつかあるらしい。……お前らも、たまには静かな場所もいいだろ?」
後半は、明らかに僕と大庭に同意を求めている。
「えー散策? でも光哉と一緒なら、そういう静かなとこ歩くのもまぁいいかもね!」
大庭は少し不満そうながらも、即座に『光哉と一緒なら』という条件付きで肯定する。
分かりやすいな、ほんと。
「いいねーぶらぶらするの、哲学の道もいいけど俺はとにかく美味いもん巡りしたいな。抹茶スイーツとか、おばんざいとか? なあ城之崎も、たまには甘いもんとか食うだろ? 人気の抹茶パフェとか、一緒にどうだ?」
僕も負けじと、城之崎を巻き込む提案をする。
静かな散策より、美味しいものを食べてる時の彼の意外な反応を見る方が楽しそうだ。
それに食べ歩きなら、自然に距離も近くなるし……。
内心でそんな計算も働く。
「それ最高ー! 光哉も甘いの嫌いじゃないもんね! 行こ行こ!」
僕の提案に、大庭が食い気味に賛同する。
目的は違えど『城之崎を巻き込む』という点では利害が一致したらしい。
僕と大庭の勢いに、城之崎は若干引き気味だ。
その時、今まで黙って話を聞いていた能田ちゃんがおずおずと口を開いた。
「あ、あの……もし皆さん興味があればなんですけど……ガイドブックで見つけたんですが、市比賣神社っていう、女性の守り神様の神社が近くにあるみたいで……こぢんまりしてるみたいですけど、ちょっと気になって」
僕たち三人の視線が、一斉に彼女に集まる。
彼女は少し顔を赤らめながら、パンフレットの小さな写真を指差した。
「へー、そんな神社があるんだ? 能田さん、詳しいね!」
「…私そういうパワースポット的なの、ちょっと興味あるかも! ねえ光哉、行ってみない?」
大庭は能田さんを褒めつつ、すかさず城之崎に話を振る。
やっぱり抜け目ないな、大庭。
城之崎は、
「市比賣神社か……」
そう呟き、地図で場所を確認している。
「河原町からも近いな、ルートに入れられるか検討しよう」
四人でパンフレットを囲み、ああでもないこうでもないと意見を出し合う。
城之崎が行きたい静かな場所、大庭が彼を連れていきたいお店。
そして僕が彼と食べたいもの、能田ちゃんが提案した少しマニアックな神社。
性格も興味もバラバラで、それぞれの思惑も絡み合っているからなかなか計画はまとまらない。
でもそれがなんだか、不思議と楽しかった。
城之崎も、いつもより心なしか表情が柔らかい気がする。
大庭は相変わらずアイツに絡んで賑やかだし、能田ちゃんも自分の興味を少しずつだけど言葉にしてくれるようになった。
この時は、まだ考えてもいなかった。
この和やかで少しだけ浮かれた班決めと計画の時間が、波乱に満ちた修学旅行のほんの序章に過ぎないということを。




