第11話 無自覚な人 芝浦山手の場合
夏休みが終わって、新学期が始まった。
教室の空気は相変わらずだけど、僕たちの関係には少しだけ変化があった。
僕と城之崎、そして大庭。
あの夏祭りの三人で、放課後を過ごすことが増えた。
今日も僕たちは駅前の大手飲食チェーン店『サイセリア』にいた。
表向きは『グリークワインとオリーブレストラン』なんて洒落たことを言っているが、僕たちの目当ては決まってドリンクバーだ。
安くて気軽で長居ができる。
今の僕たちには、それが丁度よかった。
三人でテーブルを囲み、だらだらと喋りながら時間を潰す。
大庭が進路の話をすると城之崎がいつもの調子で斜め上のコメントを返して、僕が適当に茶々を入れる。
そんな、他愛ないやり取り。
あの息が詰まるようだった夏休み前と比べれば、格段に居心地の良い時間だった。
不意に会話の流れで、その名前が出た。
「そういえばさ、この前鷲那くんが一年生だけで球技大会の打ち上げやるって言ってたけど……」
大庭が、何気なく口にする。
……来たか。
僕の内心とは裏腹に、城之崎の反応は穏やかだった。
これも最近の変化の一つだ。
城之崎が鷲那への好意を、少なくとも僕と大庭の前ではあんまり隠さなくなった。
まあもともと僕たち二人から見れば全然隠せていなかったわけだけど、本人の自覚の問題だろう。
「ああ、聞いた。あいつ、そういうの好きだからな」
そう言って城之崎は、少しだけ目を細める。
まただ、鷲那の話をする時のあの独特の優しい表情。
普段の彼からは想像もつかないような、柔らかい雰囲気に包まれる。
僕は内心でため息をつく。
……悔しいけど、こういう時の城之崎って本当にかわいいんだよな。
素直にそう思ってしまう自分がいた。
「あ」
不意に城之崎が、時計を見て声を上げた。
「俺、そろそろ行かないと」
「え、もうそんな時間?」
「ああ、今日は親戚の集まりがあるって前から言っていただろう」
彼は手早く荷物をまとめると、
「じゃあな」
そう軽く手を上げて席を立った。
パタパタと駆けていくあいつの後ろ姿を見送って、テーブルには僕と大庭が残された。
一瞬の沈黙。
「……なあ大庭」
先に口を開いたのは、僕だった。
「やっぱりお前、凄いよな」
「え? なんで?」
きょとんとした顔で、彼女が聞き返す。
「いやだって、平気そうにしてるから。僕は正直鷲那の話してる城之崎見るの、結構しんどいんだけど」
夏祭りの夜のことを思い出す。
あの時の、城之崎への想いを打ち明けた彼女の姿。
そして、今のこの平然とした態度。
僕には到底真似できないと思った。
僕の言葉に大庭は一瞬だけ虚を突かれたような顔をしたが、すぐにいつものようににっこりと太陽みたいに笑った。
「あはは、全然平気!」
そう言った次の瞬間だった。
ガンッ!!
鈍い音と共に、彼女は勢いよくテーブルに額を打ち付けた。
「え!?大丈夫!?」
僕が慌てて声をかけるが、大庭は顔を上げない。
「……そう見えてるなら良かったよ」
うめき声が聞こえる。
テーブルに突っ伏したまま、くぐもった声で嘆き始めた。
「……なんでよりにもよって、鷲那くんなのかなぁ」
その声は、まるで酔っ払いの愚痴だった。
あれ?
ドリンクバーってノンアルコールだよな?
「よ、よりにもよってって……どういう意味だよ?」
僕が恐る恐る尋ねると、大庭は少しだけ顔を上げた。
その目は、若干潤んでいるように見える。
「……光哉の好きな人のこと、悪く言いたいわけじゃないんだけどね」
そう前置きをしてから、彼女は再びテーブルに額を打ち付けた。
ガンッ!
「でもさぁ! あの子、どう見ても女好きじゃん! 女たらしじゃん! 周りにいつも女の子侍らせてるし! 絶対、男になんてこれっぽっちも興味ないタイプだって!」
立て続けに言い募る。
「それに! それにさぁ! 百歩、いや一億歩譲って、万が一、億が一だよ!? 光哉が付き合えたとしてもだよ!? あんなのと一緒にいて、光哉が幸せになれる未来なんて全然これっぽっちも見えないんですけどぉぉ!」
ゴン ゴン!
と、もはやリズムを刻むように額を打ち付ける大庭。
……わからないでもない。
彼女の言葉には悲しいかな、説得力があった。
でも男子高校生なんて多かれ少なかれ、性欲で動いているものだと思う。
僕はそんな事無いけどね!
……最近は。
なんてことは口が裂けても言えなかった。
すると大庭は突然ぴたりと動きを止めて、むくりと顔を上げた。
そしてじーっと、僕の顔を凝視し始めた。
も、もしかして考えていたこと読まれた?
その真剣な眼差しに、僕は少し戸惑う。
「な、なんだよ」
「……いっそさあ」
大庭は、真顔で言った。
「芝浦くんなら、良かったのになって思うんだよね」
「……………え?」
予想外すぎる言葉に、僕は完全に思考が停止した。
僕?
僕が何?
大庭は僕の反応など、お構いなしに続ける。
「芝浦くんならさ、光哉のことちゃんと大事にしてくれそうじゃん? なんか、見ててそう思うんだよね。それに光哉と相性、悪くないと思うんだけどなー。」
「え? え、え? そ、そうかな…?」
駄目だ、完全にペースを乱されている。
彼女の言葉の意味を正確に測りかねて、僕はただ顔が熱くなるのを感じていた。
正直ちょっと照れてる。
間違いなく。
僕がどう返事したものかと口ごもっていると大庭は、
「あ!」
といきなり何かを思い出したみたいに大きな声を出した。
そして、満面の笑みで言った。
「そうだ! そう言えば芝浦くん、もうすぐ修学旅行だよ!」
「へ? あ、あぁそうだね」
唐突な話題転換。
僕の動揺などお構いなしに彼女は、
「どこ行くんだっけ?」
「班決めどうする?」
と、すっかり修学旅行の話題で盛り上がり始めた。
……なんだったんだよ、今の。
僕はまだ少し火照った頬を感じながら、彼女の言葉を反芻していた。
僕と、城之崎……。
だって、あいつが見てるのは鷲那で。
大庭にああ言われても正直、自信なんて全然ない。
現実味がないっていうか……。
僕は軽く頭を振って、その思考を中断した。
修学旅行か……。
僕たちの少しだけ変わった日常は、こうして続いていく。
そしてその先には、『修学旅行』という新たなイベントが待っているのだった。




