第10話 互いが望むものNとi 芝浦山手の場合
物陰で僕は息を殺し、二人を見守っていた。
夜空には祭りの喧騒を切り裂くように時折、打ち上げ前の単発の花火がヒュルルと音を立てて昇っていく。
だが僕の意識は全て、高台に立つ二人に集中していた。
「私光哉のことが好き。ずっと、ずっと前から」
大庭の声は夜風に震えながらも、はっきりと僕の耳まで届いた。
城之崎の隣に立ち続けてきた幼馴染の、長年の想い。
重く切実な響きを持ったその言葉に、僕はゴクリと唾を飲み込む。
長い、沈黙。
城之崎はただ黙って、隣に立つ大庭を見つめているようだった。
やがて、彼は静かに口を開いた。
「……そうか」
その声は、落ち着いていた。
「咲良とは、本当にずっと一緒だったよな。物心ついた時から、隣にいるのが当たり前で……困った時にはいつも助けてくれた。お前には、本当に感謝してる」
彼の言葉は誠実だった。幼馴染への、偽りのない感謝と友情。
「だから咲良には、これからもずっと笑っていてほしい。俺はそう思っている」
優しい言葉。
ただそれは、彼女が望んだ答えではないだろう。
城之崎はそこで一旦言葉を区切り、真っ直ぐに大庭の目を見た。
「でも」
その一言が、決定的な響きを持っていた。
「……ごめん、俺は女性を愛せないんだ」
はっきりと、しかし静かに告げられた拒絶。
僕は思わず息を止めた。
残酷な言葉だ。
けれど、彼の誠実さゆえの言葉でもあるのだろう。
大庭は、どんな顔をしている……?
固唾を飲んで見守る中、意外にも大庭はふわりと微笑んだ。
その表情は悲しみよりも、どこか納得したような色を浮かべているように見えた。
「……そっか、……やっぱり鷲那君?」
「え!?」
今度は城之崎が、明らかに動揺した様子を見せた。
驚いたように、彼は少し声を上ずらせる。
「さ、咲良……なんで?気付いていたのか!?」
やっぱりか……!
僕は物陰で、一人で納得していた。
あの大庭の微笑みは、やっぱりそういうことだったんだ。
大庭は驚く城之崎を見て、楽しそうにけらけらと笑った。
「 見てたら分かるよ、そんなの」
あっけらかんとしたその態度。
まるで答え合わせが終わった後のような、軽い口調。
その瞬間、僕は理解した。
大庭咲良は振られることを、そして城之崎が誰に想いを寄せているかさえも知っていた。
それでも自分の気持ちに区切りをつけるために、この告白をしたのだ。
なんて、強いんだ。
そう思った矢先、予想もしなかった会話が始まった。
「……ごめん、こんな俺で。……その、気持ち悪いか?」
城之崎がいつになく、恐る恐るといった様子で尋ねる。
彼が抱えるであろう世間への、あるいは身近な人への恐怖。
その問いに、大庭はきょとんとした顔をした。
「え? なんでそんな事聞くの?」
「いや……だって、普通じゃないだろ? 理解できないものは、嫌じゃないか?」
城之崎の言葉には、切実な響きがあった。
しかし、大庭はそれを一笑に付した。
「もう光哉は何言ってんだか、確かに分かんなかったら気持ち悪いかもしれないけど、私光哉の気持ち分かるもん」
「え?だってお前は違うだろ?」
城之崎は不思議そうだ。
彼女は再びけらけらと笑うと、悪戯っぽく言った。
「セクシャリティが違う相手に、どうしようもなく恋しちゃってる気持ち。今の私が世界で一番理解してると思わない?」
「……あ」
そのあまりにも率直で核心を突いた言葉に、今度は城之崎が言葉を失った。
彼はしばらく何か考え込むように黙っていたが、やがて小さく頷いた。
「……それは、そうかもしれないな」
うわマジか……。
僕はただただ驚愕していた。
あの理屈っぽくてどこか達観している城之崎を、大庭が真正面から言いくるめてしまった。
彼女の強さと潔さ、そして優しさに僕は完全に打ちのめされていた。
大庭は納得した様子の城之崎に、にっこりと微笑みかける。
「でしょ? だからさ、これからは鷲那君の好きなとことか聞かせてよ!光哉とそういう話もしてみたかったんだよね!」
冗談めかして大庭は城之崎の肩を軽く叩く。
その明るさに城之崎もつられたように、ふっと柔らかい笑みを返した。
「……ああそうだな、ありがとう咲良。……これからも、よろしく頼む」
「うん! こちらこそ!」
月明かりの下で微笑み合う二人。
それは恋人同士になる未来ではなく、今まで以上に強い絆で結ばれた、幼馴染としての新しい関係の始まりのように見えた。
僕は静かに物陰から離れ、一人黙って帰路についた。
夜空には大輪の花火が咲き始めていたけれど、僕の心には届かなかった。
そして後日。
夏休みも終わりに近づいた、ある日の夕方。
僕は駅近くのカラオケの大部屋にいた。
今日は、鷲那との約束を果たす日だ。
さて、と……。
店内を見渡す。
テーブルには、僕が声をかけた選りすぐりのメンバーがすでに揃っていた。
昔散々遊びまくっていた時期に築いた人脈だ、こういう時だけは役に立つ。
長身モデル系、可愛い系、知的な眼鏡系…本当に目の保養になる。
まあ、僕自身が1番だけど。
そこへ、『お待たせしましたー』という明るい声と共に、主役が登場した。
鷲那豊樹だ。
彼は軽い足取りで部屋に入ってきたけど、中にいるメンバーを一瞥した瞬間ぴたりとその動きを止めた。
目が、点になっている。
僕はしてやったり、という気持ちを隠さずに、とびっきりの笑顔で彼に告げた。
「ようこそ鷲那! 約束通り、とびっきりの美形を集めておいたぞ!」
僕の言葉に鷲那は、ゆっくりと部屋全体をもう一度見渡した。
そこにいるのが見事にイケメンしかいないという現実を、ようやく完全に理解したらしい。
彼は引きつったような諦めたような、なんとも言えない笑みを浮かべた。
そして一言も発することなく、静かにドアの方へと後ずさる。
そのままパタンと軽い音を立ててドアを閉め、去っていった。
あーあ、帰っちゃった。
まあ、だろうな。
僕は残されたイケメンたちに向かって、肩をすくめてみせた。
さて。
気を取り直して一曲。
僕は昔流行したと言うゲームソングを入力した。
この曲を歌うとおじさんは割と喜んでくれるのだが、周りを見ると知らない人のほうが多そうだ。
『ベアーマンが倒せない』
人気ゲーム『ドッグマン』のゲームソングに歌詞を付けたものだ。
よし、歌うか。
「はずせーないーよーシャワーヘッドが何回やっても外せない!」
あ、ウケた。
無論替え歌だ。
皆爆笑している、良かった。
え?
なんでシャワーヘッドを外すのかって?
……最近は細かい水滴が出るシャワーヘッドも人気だからね!
他意は無いよ!
本当だよ!
――そうして今日も1日が終わっていくのだった。




