プロローグ
11月の肌寒い夕暮れ時、1人の男子生徒が、映画館を出て人通りの多い商店街を歩いていた。
小柄な体に紺のダッフルコートを羽織り、普段は無表情に近い彼の顔に今日は珍しく複雑な表情が浮かんでいた。
「やっと終わった。」
彼は心の中でつぶやいた。
幼馴染の同級生の女の子に熱心に誘われて映画を見たのだ。
普段はクールで淡々としている彼だが、幼なじみの前では少し戸惑いを感じる。今日も例外ではなかった。
隣に座った幼なじみから漂う柔らかな香りと彼女の明るい声で、時折聞こえる感情豊かな反応に彼は少し困惑していた。
映画の感動的なシーン、好きあった男女の恋愛が成就したシーンで彼女が涙を流す姿を見ても、共感できなかった自分に少し罪悪感を覚えた。
ふと映画のポスターに大きく書かれていたキャッチコピーが頭をよぎった。
『最も綺麗な涙』。
映画の中で、主人公の美しい女性が恋人との別れに涙を流すシーンが蘇ってきた。
確かに、その涙は光に照らされてきらめいていて美しかった。
しかし彼は違和感を覚えずにはいられなかった。
「最も綺麗な涙ねぇ、綺麗な人が流した涙を綺麗な涙と言っているだけじゃないか結局。」
そう考えながら、彼は映画の別のシーンを思い出した。
ある脇役が、主人公のために自己犠牲を払うシーン。
その時の彼は決して美しくはなかったが、どこか心に響くものがあった。
「綺麗な涙か…。」
本当に綺麗な涙とはどのようなものなのだろうか、そう思うとなんとなくモヤモヤした気分になった。
そんな考えに耽っていると突然誰かとぶつかり、彼の右肩に温かい感触が一瞬伝わった。
「あっ、すみません。大丈夫でしょうか?」
彼が慌てて謝ると、相手がこちらを向いた。
その瞬間、彼は息を呑んだ。
背の高い青年が立っていた。
その整った顔立ちは美しく、涙に輝いていた。
「こ、こちらこそ、すみません」
震える声でそう言うと青年は両手で顔を覆いそそくさと立ち去った。
彼は思わずその後ろ姿を目で追い、青年の背中が人混みの中に消えていくのを見送った。
「綺麗な涙だったな...。」
そう思った自分に苦笑いを浮かべた。
「我ながら現金だな。」
夕焼けに染まる空を見上げながら彼は家路を急いだ。
今日一日の複雑な記憶とたった今の不思議な出会いを胸に秘めて、その美しい青年の涙の理由をどこかで知りたいと思いながら。
街路樹の葉が風に揺れ彼の足元に落ちていく中、彼はそれを踏みしめながら歩き続けた。