たぬきガール
彼女の名は――新島秋保
瑠璃子を今まさに苦しめている雲雲体操に幾度挑み、
終には勝利を勝ち取りし勇者。
瑠璃子の心には彼女の姿が焼きついている。
秋保は体操に何度失敗し、
周りに笑われようとも決してめげなかった。
失敗を恐れ、努力を怠った瑠璃子とは対照的な人物。
「あきちゃんって、……あんた知ってんの?」
「知ってるもなにも僕のいとこだよ!」
瑠璃子は職員室前で教師を待つ秋保の横顔を無礼にもジロジロ観察した。
(雲雀のいとこ……?確かに良く見れば顔似てるかも)
「でも、あんたの葬式であの子見なかったけど……」
雲雀の葬式には瑠璃子とその妹以外に子供の姿は見られなかったのである。
「そうなの!?」
雲雀はその事実に驚いたのか、
勢いよく壁に身体を突っ込んだ。
「あんた……もしかして、自分が主役張る葬式に参加してないの?」
雲雀は壁から頭だけひょっこり覗かせた。
「そりゃもちろん僕の身体は参加してるけどさ……精神は別だよ……僕はあの頃自分でどこにいたかまるで記憶がないんだ……」
「ふ~ん」
「まぁ、そんなことはいいんだ……にしても久しぶりに会ったな……」
雲雀は物思いに沈んだような微笑みをした。
「何年かぶり?」
瑠璃子がすかさず質問する。
「いや、半年ぶりくらい」
「なんだ最近じゃん」
「うん。お見舞いよく来てくれたからね」
「………なんだ、私に対する当てつけか?」
瑠璃子はきまり悪そうに雲雀から顔を背ける。
雲雀はニヤッと笑った。
「もち。アッツアツのはんだこて額に押し付けるレベルの当てつけ!!」
「……そりゃ、悪かったわね」
「でも、あきちゃん、急にお見舞い来なくなっちゃったんだ……まさか葬式にも来てくれてなかったなんて………」
「なんか怒らせたんじゃない?」
「いやね、言っとくけど僕あきちゃんが怒ってるとこ見たことないからね!知らないおっさんに怒鳴りつけられた時も悲しんでただけだったんだよ!!」
「そいつは、また素晴らしい御心の持ち主で」
「あんなに仲良かったんだけどな……」
雲雀は目を閉じた。
秋保との数々の暖かい思い出を思い浮かべる。
それは雲雀にはあまりにも懐かしくてきらきらした記憶であった。
自然に微かな微笑みが浮かぶ。
だが、雲雀の心に秋保が昔から
薄寒い部分を時折覗かせることまで、
思い出されてしまった。
あれは確か小学生の時、雲雀が伯父夫婦――秋保の家に両親と訪れた時のこと――。
「あきちゃん、緑亀飼ってんだ。可愛いね。」
水槽の中の亀は雲雀に気づくと人懐っこく近寄ってくる。
秋保は水槽の亀に視線をやった。
「うん。亀吉て名前。」
「欲しいなら雲雀君にあげる。」
「いや、それはいいよ」
雲雀は笑って断った。
亀は水槽の中を気持ちよさそうに泳いでいる。
秋保は単調な声で言った。
「……実はもう飽きちゃったんだよね。」
その言葉はあまりに冷たかった。
雲雀はその言葉にショックを受けた。
激しく瞬きをする。
秋保は言葉を続けた。
「水替え面倒くさいし。でも外来種だから逃がせないし。手放すなら誰かにあげるか、殺すしかないんだよね………」
「こっ、殺……!?」
雲雀は頭をのけ反らせ、
一歩秋保から距離を取った。
秋保は水槽から雲雀に向き直った。
雲雀の引きつった顔を見て一瞬きょとんとした後、すぐに笑みを浮かべた。
「……まぁ、でも、殺す勇気なんてないから生涯添い遂げる!」
雲雀は言葉がすぐに出なかった。
「………だ、大事にしてあげてね」
なんとかそう言った。
その後雲雀は亀がどうなったかは知らない。
別の日
「見て!私これ大好き!」
秋保は大事そうに抱えながら、
雲雀にチンアナゴの人形を見せてきた。
「え〜、あきちゃんこんなウネウネが好きなの〜?」
その人形は細長い糞のような造形に
継ぎ接ぎの布地にぎょろりと目玉がついていた。
雲雀にはそれが、
不格好な珍妙な
大して可愛くもなく見えたので、
少し鼻で笑った。
秋保は自身の人形を見つめた。
「………確かに気持ち悪いね。」
そう言ってニコニコした顔のまま、
秋保はチンアナゴの人形をゴミ箱に入れた。
「えっ………」
雲雀は絶句した。
別にちょっと変だなとは思ったが、
気持ち悪いとまでは思ってなかったし、
秋保に捨てさせたいわけでもなかったのだ。
秋保は人形を捨てた後も、
ずっとゴミ箱の中を眺めていた。
雲雀がそれを気にしてゴミ箱から拾いあげて渡しても要らないの一点張りであった。
ここまでの話だと秋保はずいぶん冷淡に見えるが、
彼女が心の冷たい人間かと言うと、
断じてそんなことはない。
秋保は病室の雲雀に変に気を使わずに接してくれた。
それが、雲雀には何よりも嬉しかった。
雲雀の寒気のするような冗談に大声で手を叩いて笑い、馴れ馴れしく小突いてくれる時、
雲雀は自分が普通の十代だと錯覚していられるのである。
そんな彼女が突然、半年前理由なくピタリと来なくなった。
自分の母親に聞いても悲しそうに首を振るばかりである。
ラインを秋保に送って見れば、
「親が車で病院まで送ってくれないから……」
と返ってきた。
電車でこっちまで来てはくれないかと思ったが、秋保にも秋保の事情があるのだろう。
中3の受験生なら尚更忙しく、しょっちゅう雲雀のことを見舞ってもいられない。
その上、
(あきちゃんに電車の乗り継ぎなんて難しいよな………)
雲雀から見て、
秋保は電車を乗るには能力が足りない女であった。
秋保がひとりで電車に乗った日には、そのまま消息を断ちそうな気さえする。
恐ろしいところは、
雲雀は決して秋保を馬鹿にしてるわけではないのだ。
彼女に下されたわりと正統な評価。
なんせ秋保はオギャアと産まれた時から痴呆、
成長してきっちり制服に包まれた時もやっぱり呆けていた。
瑠璃子と同レベルか、
それ以上に、
見ていて不安になる人間。
雲雀は何度彼女に苛つかせられたかわからない。
それでも、同い年のいとこ、それにかなり心の距離も近かったはず。
くる日も、雲雀は病室のドアを眺めていた。
秋保が来なくなり、雲雀の外界との繋がりは切れてしまったのである。
「……………」
回想の旅から帰って来て、
雲雀は目を開けた。
瞬間――
白い紙が、宙を舞う。
「わっ……あっ……すい………ごめんなさい……あっ!」
秋保はすれ違った生徒とぶつかり、盛大に書類をぶちまけたのだ。
「………落ち着きのない子だね」
何様?あやっ瑠璃子様!!
上から目線でナナメに評価される。
「……君に言われたくはないと思うよ」
雲雀からしたら秋保は、
瑠璃子目瑠璃子科瑠璃子族だ。
秋保はあわあわと奮闘しているが、
自分で落とした紙に足を取られ、
紙をぐちゃぐちゃにし、
転ぶ始末。
雲雀は目を背けたくなった。
「ねぇ、拾うの手伝ってやってよ……」
横にいる瑠璃子に助けを求めた。
「……はい、はいっ……たくっ…」
瑠璃子は駆け寄ると手早く紙を拾い、トントンと揃えて秋穂に手渡した。
「……ありがとう、優しいね……」
秋穂は瑠璃子から紙束を受け取ると、にっこり微笑んだ。
(なんかたぬきみたい……)
瑠璃子は思った。
たぬきは一見愛らしく見えるが、
田畑を荒らす畜生でもある。
それに秋保はそっくりなのだ。
たぬきは瑠璃子の顔を直視すると、
あっと目を見開いた。
「あなた……もしかして神谷瑠璃子さん……?」




