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山岡の乱前夜(9) 夕闇押し問答。

外には雷霆鳴り響き、国風白雨、地を穿つ。


座敷牢の一隅、小さき格子窓より暴雨吹き入れ畳を濡らす。


二人の少年少女は牢の隅に肩を並べ腰を降ろしていた。


一人、風見雲雀――外より来たれし客。

一人、神谷瑠璃子――罪人なり囚われし。


「ね、ねえ…神谷さん、合唱コンクールは一旦置いといてさ……とにかくここでない?」

雲雀は訴える。

合唱コンクールは重大な問題であるにはあるが、今は急務ではない。


雲雀にとっては何をするにも、ひとまずこの

恐るべき神谷家から瑠璃子を連れて抜け出すことが第一の課題だ。


「……合唱コンクールは、その後で考えようよ。」


だが、瑠璃子の返答はその望を打ちくだいた。


「それはできない。」

瑠璃子は首を横に振った。


「やっぱり、おばあちゃんが怖いから……?」

婆の意思に反したことがバレたら二人の命はないかもしれない。


「……うん。」

瑠璃子はまつ毛を伏せた。


「日常的にあぁ……なの?」


「大体月曜日は荒れるね。」

瑠璃子の返答は何処か他人事である。


「お父さんやお母さんは助けてくれないの……?」


「……彼らに力はない。」


瑠璃子はいかによしこが神谷家の統治権を握る絶対の総覧者であるか雲雀にしかと説明した。


内容はすなわち以下の通り。



---


よしこは鬼婆だ。

心優しき老婆であればどんなに良かったか。


神谷家の天下はよしこ婆にある。

崇高なる女帝による絶対君主制。


女手で一つで孫――瑠璃子の父を育てあげたため、瑠璃子父はよしこに頭が上がらない。

瑠璃子の母は嫁の立場である。可哀想に婆にいつもヒイヒイ言わされ夜には泣いている。

瑠璃子は昭和的価値観の古き婆の正義に反した瞬間、即座に罰せら体罰を受ける所になるのだ。


偉大なる老仏人の決定は絶対である。

婆が頷いた以上、それは覆ることがない。

瑠璃子に示された道は僅か。

一に家を出づる。これ苦難多く、生末知れず。

ニに命を断つ。これ未練多く、遺る者悲しむ。

三に命に従う。これ妥協の中の最善なり。


以上の理由により瑠璃子は苦渋の末、三を選ぶしかないのである。



---


なんという悲劇。

なんと害悪な婆。

雲雀はそれを聞いて尚更モヤモヤとし、瑠璃子に婆の排斥を助言した。


「……やっぱりしかるべき所に連絡すべきじゃない?おばあちゃん居なくなって貰えば?」


「違うよ、雲雀。」

瑠璃子は首を横に強く振った。


伏せていた目をあげ、雲雀を真っ直ぐ見つめた。


「……私は確かによしこが憎い。」


「今あの婆がくたばっても、きっと泣かないだろうね。」


言葉とは裏腹に瑠璃子の声は淡々としている。

雲雀はそこから、怒りも憎しみも読み取ることができなかった。


「……あぁ、うん。」

雲雀は首を縦に軽く振った。

神立轟く暴雨は急に勢力を失ったのか柔らかな雨音に変わった。


瑠璃子は目元を細めると、雲雀から視線を斜めに逸らした。


「……だがね、明日はどうか分からない。明日逝かれたら私は泣くかもしれない。」


「どんなに愛しい人でも煩わしい時はあるように、昨日までは確かに私はよしこを愛していた。」


「家族ってね、そんな簡単に捨てれるもんじゃないんだよ。」


瑠璃子の言葉が薄暗い部屋にジワジワと染み渡っていく。


「…………うぅ…ん……」

雲雀も自身の母親を鬱陶しく思うことは一度や二度ではなかった。

だが、どんなに腹立たしく思っても母親と離れたいと考えたことはなかった。


「確かに、私は体罰受けてるけど、そうゆう時には私にも大体悪さの覚えがあるんだ。私は叩かれるのを覚悟した上でやってる節もある。」


「今回だってね、私があんたに振り上げた足が回り巡ってよしこのビンタで私に帰ってきたんだよ。」


「私は危うくあんたを蹴り上げるところだった。良かった。よしこのおかげで蹴らずにすんだ。」


「それに、この街では特段異常なことじゃない。言葉で分からない連中にものを教えるには拳も必要だ。」


「それは違うよ!!」

雲雀は突然立ち上がった。

雲雀には瑠璃子の言葉が、

惨めな境遇を肯定するため彼女自身を騙しているように感じられたのだ。


「……暴力なんてね、言葉で伝えられない人がやるんだよ。それに、怒りで暴れ狂うなんて猿の所業だ。」


言葉を紡いでいくうちに雲雀は自然と拳を握りしめていた。


「知性ある、言葉を持った人間がすることじゃない!!理性で押さえらるから人間なんだよ!!」


雲雀の言葉が熱を帯びて空間を裂いた。

しかし、瑠璃子は眉一つ動かさず、平然としていた。


「でも、雲雀だって力があれば山岡を締めるでしょ?」


狭い座敷牢に小雨の音が響く。

雲雀は動揺して、直ぐに反応することができなかった。


「えっ……?」


雲雀の掴んでいた拳がゆるゆると緩む。

瑠璃子は雲雀を見て、ふっと笑った。


「あいつのぶっさいくな面もういっちょ歪めてやろうとは思わない?……きっと気持ちいいよ。」


軽いジョークでも飛ばしているかのような響きである。


「……うっ、うん。」

雲雀は弱々しく頷いた。

悔しいかな雲雀は納得してしまった。

ついさっきまで散々偉そうに語っていた雲雀だが、毎夜寝る前に山岡を痛めつける妄想に勤しむのだ。


瑠璃子はまた言葉を続けた。

終始穏やかな口調であった。


「……現状、婆から受ける苦痛よりも婆から受け取る愛情のが上回ってる。だから私はよしこを赦そう。」


「婆の飯は旨いんだ。手芸だって上手いよ。あんたが今着てる私のシャツ、それはよしこのお手製だ。」


雲雀は瑠璃子に言われて、身にまとうシャツを掴んだ。

全面に印刷された虎の顔はほほ笑んでいるかのように見えた。


「……それにね、もう時期赤ちゃんが生まれるんだ。」

瑠璃子は自分の腹に手を置いた。

雲雀の目は見開かれ腑抜けた声を漏らした。


「えっ……?」

瑠璃子の唐突な宣言に呆気に取られる。


「私、お姉ちゃんになるの。」


「妹だってね、顔見るまではこの家をでれない。せめて一度、この腕で抱き上げるのだ。

それまでは、なんとしてもここにしがみつくよ。」


「神谷さん………」


瑠璃子声には、確かな決意がみなぎっていた。

雲雀は目の前の彼女が、また一気に老け込んだ、……いや、自分よりはるかに大人びているように感じられた。


――ギイィィ。

その時、何ものかが扉を開ける音が聞こえた。

「……おや、居ないと思ったらここにいたのか。」

「……どうやら、虜囚が一人増えたようだね。」


通路の暗闇からは嗄れた笑い声が響いた。





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