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山岡の乱前夜(6)ひとりで待っててね

雲雀は身を固くして、畳にひかれた薄い座布団の上にぽつんと座っていた。

あまりにも薄い布団のため、座っていて尻が痛くなった。


「……待っててね。」

よしこはそう言ったきり、雲雀を居間に連れて放置した。

瑠璃子は婆にどこかに連れられていってしまった。



雲雀は、待ってる間部屋の中をぐるりと見渡した。


(汚い家だな……)

失礼極まりないが、率直な感想だった。



廊下を通り居間まで連れてこられた時、床の木が腐っているのかぶよぶよと弾んだ。

雲雀は抜け落ちそうでヒヤヒヤとさせられた。

障子はボロボロに破け、廊下の闇が大胆に覗いている。

天井の隅に貼った蜘蛛の巣には、ひなびた虫の残骸が絡みついている。 


同じく埃の被ったドラム缶テレビ

からは夕方のニュースの音が外の雨音に紛れて僅かに部屋に響く。



壊れかけた扇風機から不安定な羽の――ウィィイイ、カタッ、カタッという音が不気味に聞こえ、生ぬるい風が雲雀の肌に伝った。


よく言えば生活感溢れる親しみやすい家、悪く家ば不潔でだらしない家である。




壁には未だ二月前のカレンダーが掛かれ、

古い時計、スーパーのチラシ、似顔絵がごちゃごちゃと飾られていた。



その似顔絵に描かれた人物と目があった気がした。

暑いのに身体に寒気が走った。


目を絵から逸らしたいのに身体が動かない。

あまりにリアルでグロテスクに誇張された老婆の姿が描かれていた。

それは紛れもなくよしこであった。


さつまいものような肌をして、

深い皺に刻まれ、梅干しのような婆がニンマリと笑って、白い歯を覗かせている。


雲雀は、その絵に近づいて見た。

じっくり細部まで観察する。

描かれた婆の白髪にはほつれ毛があり、肌の陰影もしっかりしていた。


何より雲雀を驚かせたのは、その絵の目である。

短い睫毛は自然にカールし、白目には血管が

走っていた。

なんと、二つの双眸の中には髪をおさげに結った少女の姿が映っていた。


ふたつのおさげ、瑠璃子のトレードマークだ。


絵の目に映る瑠璃子は仰け反るポーズをしており、怯えているように見えた。


(……神谷さんが描いたのかな……?)


雲雀は以前図工の時間に瑠璃子が描いたりんごの絵を思い出した。

あの時も変態的にまで細かく描かれていた。

これを仮に瑠璃子が描いた絵と仮定すると尚更瑠璃子と婆の関係が分からなくなる。

瑠璃子は婆の絵を描いてやり、居間にはその描が飾られている。

飾ったのはよしこ婆ではないかもしれないが、引っ剥がしもせずきちんと残している。

しかし、絵の婆の瞳に映る瑠璃子は怯えている――。


雲雀は

よしこに連れて行かれる時の瑠璃子の魂が抜けたような目を思い出した。 


(……まさか、座敷牢なんて……冗談だよね……?)


"座敷牢"――今どきそんな物が実在するのだろうか。






しかし、先程の瑠璃子の必死の形相とよしこの冷徹な物言い、バイオレンスな活劇から満更二人がふざけているようにも思われなかった。

何より、夜峰街は匪賊の子孫の住まう街であることが説得力を増した。

この異常な村の成り立ちからあながち嘘でもないのかもしれない。





5分程して、よしこは帰ってきた。

そこに瑠璃子の姿はなかった。


「お家の人にはちゃんと連絡したからね。時期にお迎えくるよ。」


「ごめんねぇ……服汚れちゃったねぇ」


よしこは優しげに微笑みながら、雲雀の髪をタオルで拭いた。

「……ははっ、ありがとうございます……」

雲雀は身を固くしながらされるがままだった。


「こんなんで悪いけど、これ着替えておいで」


「汚れた服は洗濯しておこうね」

よしこは雲雀に子ども服の上下を渡すと脱衣場まで案内した。

婆がだったのドアを閉めると、雲雀は貰った服の上下に着替えた。


虎の顔が全面に印刷されたシャツと、黒い短パンであった。


(神谷さんの服かな……)

胸の鼓動が早くなるのを雲雀は感じた。

シャツに腕を通すと、ふわりと柔軟剤のラベンダーの香りが鼻をくすぐった。



脱衣場から戻ると

よしこはお盆からコップと、急須を取り出した。

慣れているのか無駄のない、優雅な身のこなしである。

コップには、

群青の硝子の夜空に白い菊が一面に咲いていた。涼しげな江戸切子に若草色の緑が放物線を絵描きながら注がれた。

汚らしい部屋にそれだけが異様に洒落ている。


雲雀は慎重そうにコップを受け取ると直ぐに飲みほした。

喉がカラカラと異様に渇いていた。


冷えた液体が喉をするする通り、身体の熱を冷ましていく。


「……お茶ありがとうございます。」

茶を飲み干すと雲雀はおずおずと婆に礼を言った。


「いいんだよ。」 

髪がぴよっと垂れたのを払い除けながら、

婆は目を細め穏やかに微笑んだ。


「雲雀ちゃんのお母さんね、今買い物行ってるんだって。一時間くらいしたら迎えにくるらしいからそれまで家に待っててね。」 



その瞬間周囲の色が飛んだ。

――ズダドドン。

雷鳴が轟いた。

どうやらすぐ近くに落ちたらしい。



「………は、はい。」

雲雀は項垂れて小さく返事をした。


(こんな場所にあと一時間も………)

顔から血の気が失せ、背中に汗が伝った。

ウィィイイ、カタッカタッ……

扇風機のぬるい軟風が雲雀の背中の汗を吹かす。



「ごめんね。あたしね、晩御飯作らなくちゃ行けないから、一緒に居てあげられない。テレビ見ててもいいし宿題やっててもいいから、一人で待っててね。」


瞬間、雲雀の目に光が差し込んだ。

顔がパッと明るくなる。


「は、はい!」

食い気味に返事をした。

雲雀としてはありがたい。

一秒でもこの婆と一緒にいたくはなかった。


「じゃあ、夕飯つくってくるね」


よしこは暖簾をくぐり居間から出ていった。

去っていく婆の後ろ姿。

背中に棒でも差し込んであるのか、背筋がぴんと張っている。

歩き方も老人のそれではなく、ズカズカと歩いていった。


「……ほっ」

婆が居なくなって雲雀はやっと一息ついた。

ランドセルからごそごそとプリントを取り出して、机に広げた。


今日の宿題のプリントは簡単な二桁の足し算である。


いつもなら5分程で終わる問題だが、今日

は10分程かかってしまった。

プリントの裏を見て答え合わせをする。

雲雀はいつもこの瞬間が好きであった。

スルスルと赤鉛筆を滑らせ、プリントにリズムよく丸を書いていくのが気持ちいい。 

全部丸付けが済むと、自分で大きな花丸をデカデカと全面に書くと華々しい気持ちになった。


しかし、今日に限ってリズムが落ちる。

ケアレスミスの連続。

正しい答えを書き直すのに時間が取られた。

丸付けが終わると、雲雀はむしゃくしゃとしてプリントをランドセルに乱雑に入れた。

ぐしゃりと紙が教科書で潰れる音がした。


頭の中にはやはり瑠璃子のことがチラつく。

(神谷さんはどこにいるのだろう……)

まるっきり姿を消した瑠璃子。

同じ家に居るのに、姿も見えなければ声すら聞こえない。

それが雲雀を不安にさせた。

雲雀は時計をちらちらと見た。

母が迎えに来るまでまだだいぶ時間がある。


テレビのニュースからは子どもの虐待事件が報道されていた。


雲雀は喉奥底から疼くような吐き気を覚えた。


気を紛らわせようと、テレビのリモコンを掴みチャンネルを戦隊もののアニメに変え音を大きくした。









(おばあちゃんは夕飯作るって言っていたけど……)

よしこが本当に夕飯を作る為にここを離れたのか雲雀には疑問だった。



――イヤァァァァ

不意に叫び声が聞こえて雲雀はぎょっとした。

音はテレビからであった。

見るとヒロインが敵に捕まり、今まさに拷問にかけられようとしていた。

茶色の鱗で覆われた怪物が尻尾を鞭のようにしならせている。




(ひょっとして……神谷さんを……!)


頭の中に恐ろしい想像が広がる。


あの婆のことならひょっとして瑠璃子を拷問にでもかけているのかもしれない。



脳裏にパチンとスイッチが入ったように情景が広がる。


石のように冷たい土間。

四方を囲む木の格子。


暗い座敷牢の中に瑠璃子は縛られていた。



「ぎゃあああっ……!やめてっ、いたいよぉ!」




――ヒュン、ピシッ、ピシッィ。

鞭がしなる音と、肉を打つ乾いた音。



「うるさい子だねぇ……お黙り!!」


瑠璃子のシャツには薄っすらと赤黒い血が滲んでいく。



「ヒィッ!!」

想像するだけで雲雀の身は縮んだ。


雨の音が現実か幻か分からないほど遠くに感じられた。


気がつくと自分の呼吸の音だけが耳に残った。



余りに非現実で馬鹿げた妄想。

だが、耳にこびりつくあの婆の声がそれを幻日に引き戻す。


――あんまし悪いとまた座敷牢に放りこむよ!!



(まさか、……でも。)


瑠璃子の目。

あの光を失った目を思い出す。

嫌な想像をかき消そうにも、頭の中にこびりついて離れない。

雲雀の背中に、またじわりと汗が滲んだ。


――誰かが助けないと。

瑠璃子は間違いなく助けを必要としている。


「……でも、突き飛ばしたのは神谷さんだったし……僕だって蹴られそうになったし……」


「そもそも、僕は巻き込まれただけだし……」

「それにきっと、神谷サンは僕のことなんて嫌いだよ……だから全然助けてやる義理なんてないんだ………」

必死に自分が動かなくて良い言い訳を並べた。



だが、雲雀の脳裏に瑠璃子の言葉が再生された。


――私の友達。

瑠璃子がよしこに向かって雲雀を指した言葉。

あの言葉を聞いた時、胸中に暖かい光が差すのを雲雀は感じていた。

この街にきて初めてできた友達。

ここ一月程一緒に過ごした日々を雲雀は思い出した。


テレビでは勝利確定の熱いBGMが流れ、ヒーローが見事悪の怪人を倒し、ヒロインを抱きかかえていた。

ヒーローの腕の中でヒロインは安心したように微笑んでいた。




「僕が……神谷さんを助けるんだ……!」

自然と拳に力が入る。

雲雀は震える足をなんとか支えながら立ち上がった。





いつもはおおよそ自分の浅ましい虚栄心を満たすためだけの雲雀のヒロイズム。

この瞬間始めて、他者を助けるための純粋な正義心に変わった。


障子に手を掛け、音を立てないように慎重に開ける。

廊下にはまるで夜の森のような闇が広がっていた。

ぬるい風が、汗ばんだ肌を撫でた。

雲雀はその闇の中にゆっくりと自分の足を踏み出した。

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