忘れられたお嬢様(5)
応接室に行けばいつも通り、女の子が長椅子に座り、エカテリーナはその向かい側に座る。
そしてセバスチャンはエカテリーナを座らせると、いつも通りお茶の用意を始めた。
違うのはその手に女の子が母親から持たされたというお菓子があることだ。
セバスチャンはそれを持って奥に引っ込むと、それ以外はいつも通りの洗練した動きをする。
そしていつものお菓子と一緒に女の子が母親から持たされたお菓子も皿に乗せられ、お茶と共に女の子へ提供された。
「前に言っていたお引越しがもうすぐなのね」
女の子が落ち着いたところでエカテリーナがそう声をかけると、女の子は小さく返事をしてうなずいた。
別れを強く意識してしまっているせいか、いつもと違って話していくうちに女の子の元気がなくなっていく。
そこでエカテリーナはちらっとセバスチャンを見上げた。
言葉にはしていないが、エカテリーナがどうしようとしているのかセバスチャンはすぐに理解した。
セバスチャンがうなずいたのを同意と捉えたエカテリーナは女の子に言う。
「ねぇあなた、たとえこの子がしゃべれなくなっても、ずっと可愛がってくれるかしら?」
「どういうこと?」
女の子がよくわからないと首を傾げると、エカテリーナは続ける。
「このエカテリーナは外に出たらしゃべることのできない、ただの人形になってしまうわ。この間連れだしてくれたのと同じ、ただの人形になってしまうけれど、これからも大事にしてくれる?」
「え?」
まだわからないと女の子がきょとんとしていると、エカテリーナは言い方を変える。
「もし、ただの人形になった私でも大切にしてくれるのなら、私は、いいえ、この人形は、あなたと一緒に行きたいと思っているはずよ。だからこの子を連れて帰ってあげてくれない?この子はここにいるより、あなたのそばにいる方が幸せになれると思うの。もちろん、お引越し先にも連れて行ってくれるのでしょう?」
そう言われてようやく女の子はその言葉の意図を理解した。
エカテリーナはこの人形を女の子にあげると言っているのだ。
「本当?いいの?」
もともとかわいいと気に入った人形だ。
たまたまそこにエカテリーナの魂が入っていただけである。
一緒に来てくれるのならしゃべることができなくても、借りていった時同様、大切にするつもりだ。
「ええ。人形のこの子はあなたに任せようと思うわ。私の意識はここから出られないけれど、あなたがこの子をとても楽しませてくれていたってことが、この子の中から伝わってきていたし、あなたにならこの子を託してもいいと思ったの。喜んで引き受けてくれるなら嬉しいわ。お願いね」
「こちらこそ!」
エカテリーナが握手のために小さな手を差し出すと、女の子は身を乗り出してその手を握った。
「今日持ってきてくれた感じでは、外にいる間、とても大事にしてくれていたことはわかるから、これからもよろしくと言うべきかしら。ああそれと、次にあなたが来たとき、私はまた違う子になっているけれど、今度は二人で遊びに来てくれたら嬉しいわ」
エカテリーナはそう言うと椅子の上に立つと、お行儀が悪いことを承知でテーブルの上をてくてくと歩いて、向かいに座る女の子の目の前に行って立ち止まった。
女の子がエカテリーナを抱きかかえると、エカテリーナも短い手で女の子の体にしがみついてから、届く範囲をトントンとなだめるように叩く。
「私がこの姿でぎゅってしてあげたり、ナデナデしてあげられるのはこれが最後ね」
「うん」
泣きそうなのをこらえて消えかけた声で答える女の子にエカテリーナが言う。
「でも、この子はいつもあなたと一緒にいるわ」
だからそんなに悲しまないでいい。
皆まで言わず、エカテリーナが言葉を止めると、女の子はしっかりとエカテリーナを抱きしめた。
「泣きたければここで泣いていけばいいわ。家では我慢しているのでしょう?」
エカテリーナがそう言うと女の子は小さくしゃくりあげながら泣いた。
ここでお話しをしているエカテリーナとセバスチャンとはお別れになる。
それが本当は辛いのだ。
でもそれを口に出せば親が悲しむ。
だから自分が我慢している。
親もそれがわかっているから言い出しにくいのだが、決まったことだから仕方がない。
最初から悲しまなくていいように友達を作らず距離を置くようになったが、久しぶりに女の子はここで楽しい時間を過ごしてしまった。
こうして自分と遊んでくれたセバスチャンとエカテリーナと離れることになるのは残念だが、泣いた理由はそこではない。
泣いていいと言ってもらえたから素直に感情が出せたのだ。
女の子が泣き止んで落ち着いたところで、セバスチャンが一通の封筒を女の子に渡した。
「こちらをお母様にお渡しください。お菓子のお礼と、そちらの人形を差し上げる旨を記載しております。これを見せれば、安心して連れて帰れるでしょう」
それとなく機転を利かせたセバスチャンをエカテリーナがお嬢様らしく褒めた。
「セバスチャン、気が利くじゃない」
「このくらいは当然でございます」
そんなやり取りを見るのもこれが最後だ。
最後でなくともしばらく見ることはできない。
女の子は腕の中にいるエカテリーナと近くに立つセバスチャンを交互人見て少し笑った。
二人がいつもの調子だから、悲しさが半減する。
「うん。ありがとう。これお母さんに渡すね。エカテリーナもありがとう。一緒に来てくれて」
エカテリーナを顔の高さまで上げて目を合わせると、エカテリーナはどういたしましてと答えた。
そうして女の子は館を後にした。
返しに行ったはずの人形を抱えて帰ってきた娘に母親は驚いた様子だったが、女の子がセバスチャンからの手紙を渡すと、それを読んだ母親は女の子に目をやった。
「お人形、良かったわね。本当に良いお友達に恵まれたのね」
母親はそれだけ言うと、何も追及はしなかった。
けれどもし、この手紙がなかったら返してきなさいと怒られたかもしれない。
手紙を読む前と後の変化はそのくらい大きかった。
受け取った時はあまり考えていなかったけれど、セバスチャンの機転に女の子はこっそり感謝する。
そして女の子はエカテリーナを持って自分の部屋に入るのだった。
その数日後、エカテリーナの入っていた人形と共に町を離れていくことになった。
移動する女の子の腕の中には大切に人形が抱えられている。
荷物と一緒に箱に入れなさいと言われたが、これだけは持ち歩くのだと女の子が拒否し、抱えての移動になったのだ。
両親はせっかくいただいたものをどこかに置き忘れるのではないかと不安そうにしていたが、片時も離そうとしないのを見て、口うるさく言うことをやめた。
大切な友人からもらったものだと言われたら、自分たちの都合でその友人と娘を引き離すことに引け目を感じて、言えなくなったというのが正しい。
何より人形を連れ歩くことを認めるだけで、娘が楽しそうにしているのだから、このままにしておく方がいいと判断したのだ。
それからも何度か引っ越しを繰り返した女の子だったが、常にその傍らにはお気に入りの人形があった。
そして女の子は、その人形を見ては、エカテリーナとセバスチャンのことを思い出し、彼らとの再会を期待する。
いつしかあれは夢幻かもしれないと考えるようになるかもしれないが、ここにエカテリーナがいる限り、不思議な体験だったけれどあれが現実だったと信じられる。
辛いことがあってもこの子がいる。
それによって彼女の心は何度も救われることになるのだった。




