忘れられたお嬢様(4)
エカテリーナを館から借りた翌日、女の子は学校が終わると、部屋に置いていたエカテリーナを抱えてさっそく出かけた。
友人に自慢できると言ったが、実際のところ見せびらかすような相手はいない。
単に女の子がエカテリーナと遊びたかっただけだ。
女の子がエカテリーナと遊んでいる様子を外から見て、羨ましがっている子がいないわけではなかったが、女の子本人に声をかけたりはしていないので本人はあずかり知らぬことである。
外遊びから帰った娘は人形を抱えて笑顔だった。
ここ最近、見ることのできなかった光景だ。
けれど、人形を抱えているということは、この日も人形を借りてきているということだ。
明るくなった娘の様子から、よほどよくしてもらっているのだろうと考えた母親は娘に言った。
「大切なお人形を貸してもらっているのだからちゃんと御礼もしなきゃいけないわね……。いつも遊びに行っているお宅のものかしら?返しに行く時でいいから、お菓子を一緒に持っていってくれる?お家の人にお礼ですって渡してちょうだい」
人形を抱えて帰ってくる前から出かけている家があることは聞いている。
一人遊びをしている日があることなど知らない母親は、毎日そこに通っていると思っているのかそう言った。
女の子は今度行くときにお菓子を持っていけると聞いて嬉しそうにしている。
「お菓子!きっとエカテリーナもセバスチャンも喜ぶわ!」
もしここで別のものにしたいと言われたら変更するつもりだったが、とりあえずお菓子で問題なさそうだ。
「お菓子が好きな方ならよかったわ」
「うん。私がおうちに行った時も、紅茶とクッキーを出してくれるの」
重厚な館で、きれいなティーカップに入れられたお茶と、きれいなお皿に並べられたお菓子をセバスチャンが出してくれる。
それを食べながらエカテリーナとお話をする時間だけは、自分が特別なお嬢様の気分になれるのだ。
その時の光景を思い出して嬉しそうにしていると、母親は娘に気づかれないよう小さく息を吐くと、続けた。
「まあ、ご馳走になってきたのね。それならばなおさらお礼が必要だわ。……あのね、せっかくお友達ができて楽しそうにしているところに言いにくいのだけれど……」
母親が気まずそうにそう切り出すと、女の子は何を言われるのかをすぐに察してうなずいた。
「うん。大丈夫、わかってる」
「そう……?」
母親が自分の言い出そうとしていること同じ内容かどうかを確認しようと、その内容を言いかけると、女の子が先にそれを口にする。
「またお引越しするんでしょう?」
「……ええ、そうなの」
嫌がるわけでもなく淡々と言われ、母親が動揺しながら肯定すると、何の感情も見せることなく女の子は続けた。
「仕方がないよね。お父さんのお仕事だもん」
「……ごめんね」
無表情で、いつものことだとどこかあきらめた様子の娘に思わず母親が謝ると、女の子は首を横に振ってそれに応えながら立ち上がった。
「お母さんが決めたことじゃないし。じゃあ、部屋に戻るね」
落ち込んでいないわけではない。
久々にできた気の置けない不思議な友達ともうすぐお別れをしなければならないのだ。
でも、いつもと少し違って、言い出しにくいということはない。
これまで仲良くなった同年代の子とは違って、言い出した時に責められることはなさそうだ。
彼らには最初から事情を話してしまっているし、彼らならいつまでも待っていてくれる気がしている。
寂しさはあるけれど、気が重くならならずに済んでいるのは、慣れてしまったからだけではないだろう。
「明日お家に行ってエカテリーナに話さなきゃ」
学校の同級生とはあまり親しくなっていない。
だから突然知ってもそんなものかと受け入れられるだろうし、すぐに自分のことなど忘れられて終わりだろう。
でもエカテリーナとセバスチャンは、自分にとって特別な人になっていた。
とりあえず借りてきている動かないエカテリーナに女の子は話しかける。
「またお引越しすることになっちゃった。もうすぐお別れだって」
そう言うと女の子は人形を胸にしっかりと抱いてベッドに転がった。
そしてすぐ、眠りについたのだった。
引っ越しを告げられた翌日。
人形を持って出かけようとしたところ、母親にお菓子を持たされた。
女の子はそれで、お別れの時が思ったより近いのだと理解する。
しばらく一緒にいた人形のエカテリーナと離れるのは寂しいが、それも仕方がない。
そんなことを思いながら館に足を運ぶと、いつも通りセバスチャンが迎えてくれた。
いつもなら淡々と中に案内をするセバスチャンだが、いつもと様子の違う女の子に珍しく自分から声をかける。
「どうなさいましたか?」
そう声をかけられた女の子は応接室に向かう足を止めた。
「エカテリーナを返しに来たの」
そう言ってセバスチャンに人形を差し出す。
「わざわざありがとうございます」
「うん……」
セバスチャンがエカテリーナを受け取ると、女の子はもっていた紙袋も差し出す。
「これはお母さんから。いつもお世話になってますって」
「さようでございますか。ありがたく頂戴いたします」
セバスチャンが紙袋を受け取ると、そのタイミングで人形に意識の戻ったエカテリーナが手をパタパタと動かした。
「いらっしゃい。セバスチャンにはただいまというべきかしら?ところで何かあったの?こんなところで立ち止まって」
しゃべるようになったエカテリーナに女の子は落ち込んだ様子で言った。
「あのね、私、お引越しすることになっちゃったの。だからしばらくここには来られないわ。最後にエカテリーナと外で遊べてよかった。何年かかってもまたここに遊びに来るわ。だからまた遊んでくれる?」
以前言っていた引っ越しがまた近くあるのだと悟ったエカテリーナはすぐに返事をする。
「もちろんよ。待っているわ」
セバスチャンは言葉に出さず黙ってうなずく。
「こんなところで立ち話もなんだから、応接室に行きましょう」
エカテリーナが言うと、女の子はうなずいた。
そして三人は応接室に入っていくのだった。




