いつか舞台にもう一度(5)
「そろそろ、お客様にお出しするお菓子がなくなってきました」
「あら、お買い物が必要ね」
送り出しを終えてお茶の用意をしていたセバスチャンがエカテリーナに言うと、じゃあ、セバスチャンは外出するのねと、応接室のいつもの椅子に座ったエカテリーナは、体を横にゆする。
「そうでございますね。それにしましても、エカテリーナ様はすっかりそのうさぎに馴染みましたね」
表情の変化が乏しいぬいぐるみなので、体の動きで感情を表現するようになったエカテリーナの動きを見てセバスチャンが言うと、エカテリーナは耳を前後に振った。
「ええ。この姿だと、モノを持ったり、細かい作業をするのは不便だけど、移動するときはマサキやセバスチャンが運んでくれるから楽だし、前のお人形を譲った後、仮にと思ったものだけれど、持ち主はこないし、しばらくはこの姿でいようと思っているわ」
この館に人形はたくさんある。
毎日でも別の人形に移ることができるくらいだが、たくさんある人形の中からこの子に入ったのも何かの縁だとエカテリーナは言う。
客人が帰っていつもの空間に戻ったところで、エカテリーナが言った。
「そうだわ、マサキ。ここを離れれば苦労は多いでしょうけれど、自由も多いと思うの。それは私には持ちえないものだけれど、マサキ、あなたには選ぶ権利が与えられているわ。私は買い物すら人に頼まなければならないけれど、あなたは違うでしょう?」
エカテリーナは館から出ることができない。
理由は不明だが、管理者だからか限られた空間の中から移動することが許されていない。
人形なので飲食などは不要だし、館で不自由をすることはないし、すでにここで悠久ともいえる時を過ごしているエカテリーナは、ここでいかに感情を乱さず生活をするか、楽しく過ごすかだけを考えて日々を送っている。
しかしそれはエカテリーナに多くの制約があるからだ。
この狭い空間から出ることが叶わず、他の人形たちのように自身を引き取ってもらうこともできないのに、エカテリーナはここに来る人形たちに次の道を示している。
すでにそのことを何度もセバスチャンからも聞かされていたマサキはうなずいた。
「エカテリーナ様に比べたら、私には選択の自由があると思います」
エカテリーナにはない自由を自分が持っていることは理解している。
マサキがそう言うと、エカテリーナは、身体を横にゆすりながら言った。
「大事なことだけれど、そんなにかしこまらなくてもいい話よ。それでね、私から見た限り、今のマサキは、本当に自分が完全に忘れられてしまうことを、望んでいないと思うわ。どうかしら?」
ここにいて、最後に彼の言葉を聞いて心境に大きな変化があったのではないかというエカテリーナに、その自覚はあるとマサキは答えた。
「そうですね。ここにいる皆さん、ああ、人形やぬいぐるみたちを見てたら、自分はまだ、覚えられている分いいのかもしれないと思えるようになりました」
忘れられたいと思っていた。
それは必要とされることが利用されることと同義だと思っていたからだ。
しかし実際に忘れられてここに来たものたちを見て、その考えは大きく揺らいだ。
マサキが複雑な表情を浮かべると、エカテリーナはそれを気にする様子もなく淡々と続けた。
「そうね。でも、都合よく利用されるだけの存在である必要はないわ」
「そうですよ。マサキ様は、ここでも色々お手伝いくださいましたし、立派な方でございます。ですが、できるからといってすべてを引き受ける必要はございません」
エカテリーナとセバスチャンがそう口を揃える。
その言葉にマサキの胸は熱くなる。
「ありがとうございます。あの……、もしかして、一度ここを出ても、お二人にはまた会えるのでしょうか?」
マサキはここを出たら二度と二人に会えなくなると信じて疑っていなかった。
短期間しかいないけれど、ここに現れた人形が戻ってきたのを見たことはないし、戻ってくるのはむしろ彼らが理不尽な扱いを受けた場合に限定されていると思っていたからだ。
しかし先ほどの彼は、またお茶を飲みに来るという。
マサキは館と二人に依存してしまっていたため、離れ難いと思っていたが、彼にできるなら自分にもできるのではないかと、そんなことを思ったのだ。
そしてエカテリーナの答えは想定を上回る良いものだった。
「あなたがここを必要とした時、きっといつでも来られるわ。連日ここにいる人形を訪ねてきた子は、毎日家に帰っていたもの。一度館を出たからといってこられなくなるわけではないはずよ」
ここにいる人形の一体と交流をするために通っていた女の子がいたことを、エカテリーナが話す。
最終的にその女の子が人形を引き取ったところまで話して、そんな彼女に通えたのだからマサキも通えるでしょうとエカテリーナはいう。
「それを聞いて安心しました。本当は一度出たらここには戻らない方がいいことはわかりますが、それでも、やっぱりお二人の存在が私の中ではとても大きなものなので、もう会えないと言われたら悲しみに暮れてしまったと思います」
二人の方が長く生きるかもしれないが、マサキは生きている限り二人のことは忘れないだろう。
そのくらい濃厚な日々を送ってきた。
マサキが忘れられなくてもいいかもしれないと思えたのは、エカテリーナとセバスチャンには覚えていてもらいたいという感情が芽生えたことがきっかけでもある。
「自分が忘れられてしまうということがどういうことなのか、ここにいる人形たちを見て考えさせられました」
二人だけではなく、ここに来た人形たちにもたくさんのことを教わった。
生きた時代は違うはずだけれど、共感できることは多かった。
そこはきっと時代を越えても不変な、誰もが持つ感情なのだろう。
「マサキとあの子たちとは事情が違うと思うけれど、忘れられるよりは、忘れられない方がいいとは思うわ」
エカテリーナが改めて結論を言うと、マサキは素直にそれを受け止める。
「ですがマサキ様、マサキ様がそうなりたいと願ったように、実は忘れられた方が幸せになった方もいないわけではありません」
「そうなんですか?」
せっかく納得したところだったが、それを覆す発言をしたセバスチャンの言葉にマサキが動揺していると、エカテリーナは変わらず足をプラプラ、身体を小さく左右に揺らしながらそれに答えた。
「マサキの住む環境で普通に生活をしていたら、人形は動かずモノを言わないでしょう?」
「そうですね。ここが特殊なんだと思います」
話をしているエカテリーナもうさぎのぬいぐるみだが、本来ぬいぐるみと会話などできない。
一方的に話しかけることはできても返事がないので、こうして会話が成立することはないのだ。
忘れそうになるが、特殊なのは今いる環境の方だとマサキが再度認識して答えると、エカテリーナはそれを待って続けた。
「それって、何を言われても文句は言わないし、何をされても反抗、反撃もしないということよね?」
「そうですね、できないですね」
会話どころか動くこともない。
動力もなく、自由気ままに動く人形がいたらポルターガイストを疑うしかない。
しかしその現象ですら知られてはいるものだが非日常のものだ。
普通と認識されているところでは起こらない。
マサキが首を縦に振ると、エカテリーナが言う。
「忘れられなくてもずっとそういう目にあわされている子もいるということよね。私たちにその子たちを救ってあげることはできないわ。でも、そういった子たちがそういう扱いを受けていいというわけではないでしょう」
「いいわけない。むしろ良くないです」
もともと人形に八つ当たりをするようなことはしていなかったけれど、彼らにも感情があるのだと知った今、そのような行動は咎められるべきだと強く思うようになった。




