いつか舞台にもう一度(3)
「芝居の始祖はこうおっしゃった。一度栄華を極め、それを過ぎたのなら後進に道を譲れ。ふさわしい場所に移れと。もちろん結果的にそうなったが、そこに納得がいかず、再度舞台にと望む私の感情はやはり浅ましいものなのかもしれぬ。こと、芸事に置いてはの。それは人間の厄者ばかりでなく、文楽の人形も同じであろう」
どんなにきれいな衣装に交換してもらっていても、どんなに丁寧に修繕されていたとしても、残念ながら本質は古いままだ。
流行にそぐわない顔立ちや作りになっているし、可動させるにもコツが必要になる。
だがそれも歴史の一つ。
ここに至るまでの経緯を知るのに必要な、残された貴重な資料だ。
だからこそ過去の遺物として保管されている。
長きにわたり見てきたのだから、こういう立ち位置になってしまったことも、ならざるを得ないことも理解はしているのだ。
理解も我慢もできるが、納得はできていない。
だから解決策を求めた彼は、ここに引き寄せられたということのようだ。
「それに我々は、良き遣い手がいなければ表に立つことは難しい。現代においては良き人形遣いも少なくなっておるからな。私たちの年代の人形を器用に扱える者が少ない。それも時代の流れだろう」
当然歴史を重ねる過程で、同じ舞台に立つ人形も、遣い手が扱いやすいよう進化を遂げている。
人形は朽ちても形を残すことができるが、遣い手である人間は違う。
技術を伝承していかなければ、その技術は衰退してしまう。
新しいものは基本的に簡単に使えるよう改良されているのだから、今の遣い手はそれさえできれば新しい人形を舞台に上げることができてしまう。
人間そのものは年を重ねるとこの世からいなくなってしまう。
技術を持った人はもうそういう年代の人しかいないだろう。
彼らを失えば生涯美しく舞台で輝くことは不可能になる。
これが叶っても最後の機会になるはずだと彼は嘆いた。
「人形遣いですか?」
エカテリーナとセバスチャンは理解しているようだが、マサキだけが首を傾げる。
すると彼は笑い声をあげた。
「人形が勝手に舞台で動くわけがあるまい。当然遣い手あっての人形なのだよ」
言われてみればその通りだ。
ここに来たこれまでの人形たちは動きにくかろうとも自分で動いていた。
館での生活が当たり前になったマサキはそれが当たり前と思っていたし、彼については動けない事情、例えば損傷などがあって運ばれることになったのだと考えていた。
でも意思があっても、そもそもその人形にその機能がない、今回の場合、人に糸で操られることが前提という作りのものは、自分で動くことが難しいということだ。
糸でつられることが前提で体を支える機能が備わっていないことも大きい。
「意思を持った人形だからここに来ているし、ここでなら自分で動けるのだと思ってました」
奥が深いとマサキが神妙な面持ちで話を聞いていると、彼の通る声が響いた。
「そういう人形も多くあることは知っておるよ。だから若く新しい、そういう人形が次代を担っていくことになったのだろう。それも我々は受け入れなければなるまい」
伝統を守ることは大切だが、それが進化の妨げになるなら、自分たちが出ていくのは難しい。
そして出たいと願って無理を強いれば、彼らの使った老害というものに該当しそうだと、彼は諦めた表情を見せた。
「ところでお若いの」
一瞬反応が遅れたが、セバスチャンとエカテリーナが反応しないので、自分のことだと気が付いて慌ててマサキは返事をした。
「あ、私ですか?」
マサキが自分なのですかと彼に聞き返すと、彼は動かせないからという理由では説明できない、まっすぐな視線をマサキに向けた。
「そうじゃ。そなた、本来はここにいるべき者ではないのではないか?」
「そうですね……。そうかもしれません」
ここに来るのは人間ではないものか、人形と繋がりのある人間だけだ。
それに人形は長居しても、人間は基本的に人形のためにここにくるので、長居をすることはない。
宿泊までしているのはマサキくらいのものだ。
自分の心の弱さからここに長居をしているのは事実で、初対面の彼にそこを突かれた気がしてマサキは気まずく感じながら彼の言葉を待った。
マサキの表情から彼は察したのだろう。
張りは変わらず穏やかな声で言った。
「じゃが、私同様、ここに来たということもまた、何かの導きがあってのことだろう。しかし迷いは多かろうが、そなたはまだ若い。私とは違ってまだ表舞台で輝くことができる。ここで腐っていてはその時期を縮めるだけだと、老婆心から伝えておこう」
彼から伝わる労りの言葉を受けて、マサキはさらに困惑する。
「表舞台ですか……?」
彼の表現する言葉の意味はマサキにも理解できる。
彼はマサキに、表舞台、すなわち、本来の場所に戻る方がいいと言っているのだ。
そしてマサキには今戻れば輝けるだけの若さが残っている。
ただ、マサキは彼の言う表舞台での生活によって疲弊しここにたどり着いた。
それにあの環境では輝く前に疲弊することは明白だ。
ここの居心地の良さに甘えていることがよくないことも、いずれはここを離れなければならないこともわかってはいるが、彼の言葉もその一歩の後押しとしては不足がある。
「本来あるべき場所で、精一杯輝いてこそ、後に素晴らしい人生と振り返ることもできよう。その結果、私のように欲にまみれることになるかもしれぬが、それでも私はあの頃こそ幸せだったと今でも胸を張ることができる。そなたは良い人そうだからな。より一層、そうであってほしいと願う」
彼は先ほどから人を悪く言わず、このような欲を持つ自分を申し訳なく思っているとばかりいう。
自分もそうあるべきかもしれないが、それで相手に都合よくつかわれるのはやはり納得できない。
仮に彼のように考えられるようになれば、これまでの生活に戻っても不快にならないのか。
そして、この若さがあればまだ輝けるというのか。
マサキは彼に疑問をぶつけた。
「私はこれまでの暮らしに疲れて、ここに身を寄せています。ですが、利用されて生きることが辛いだけの生活でも、その中で私は利用されるのではなく輝けると、あなたはそう考えますか?」
家の詳細を話しても仕方がないので、マサキが大雑把にまとめて伝えると、彼はなるほどとつぶやいてからそれに答えた。
「考え方次第だろうが、人のためではなく自分のために生きたらいい。そなたの言う通りなら、もう一生分、人には尽くしただろう。戻って心のままに動いても罰は当たらぬよ」
朗々とした声と彼の言葉はまるで神託のようだ。
「それは許される考えなのでしょうか……」
疲れたのは心のままに動けなかったから。
これまで周囲に振り回されて自分を犠牲にしてきたのなら、これからは自分が振り回して返してもらってもいいのではないかという。
確かに表舞台に戻ったからといって、全く同じ生活をしなければならないということはない。
周囲がそれを強いてくる可能性はあるが、今ならそれをはねのけられるだけの精神力も回復している。
ならば、ここで学んだことでどうにか乗り切ろうではなく、違う生き方を選んでもいいのだ。
「輝くことが許される今なら、若者であるうちなら、それも許されよう。年を取ったらこのように、どこか手遅れということになってしまうからな。それにそなたは、誰かに動かしてもらわねば動けない、私のような人形ではない。これまでは人形のように生きてきたのかもしれぬが、これからは人間として、動かす側として生きてもいいじゃろう」
このままここにいると手遅れになる。
二人を見ているとあまり感じないが、確かにどこにいようが自分は年を取っていくはずだ。
若いうちならできることが年を重ねることでできなくなるのなら、確かにそれからここを出ても手遅れだ。
彼は立派に功績を残した歴史の生き字引のような人形だ。
そして後悔はともかく、確実にできないことに対してあがいている。
今の彼の状況とその言葉は、マサキの心に重く響いた。




