僕のヒーロー(9)
実はヒーローの中にもきっかけになる出来事の記憶が少しあった。
親が幼稚園に入るのに、特定のぬいぐるみを手放すことができないのは良くないと、隠してしまったことがある。
最初は泣いて探していたが、幼稚園という新しい場所に通うようになり、そこで人間の友達というものができたり、新しいおもちゃを手にしたりしたことで、ヒーローの存在は次第に彼の中から薄れていった。
当然、彼の親はもともと一つのぬいぐるみとしてしか見ておらず、それに執着するようなことはなかったので、しまい込んでしまえばその存在は記憶から消えてしまう。
一番必要とされていた彼の中からヒーローに対する意識がなくなった時、ぬいぐるみはここに流れ着いたのだ。
「お話しするのは初めてだね。ずっと聞かせてもらう側だったから、自分から話をするなんて不思議な気分だよ」
自分のことを長々と話したヒーローがそう言って自分の話を終わらせると、長い物語をおとなしく聞いていたような顔をしていた彼が、申し訳なさそうに言った。
「幼稚園の時のことってあんまり覚えてないこともあるけど、小さい時はいつも一緒にいて、辛い時はキミを見て、ヒーローになるんだって、勇気をもらってたよ」
その言葉を聞いて、マサキが話してくれたことを思っている人が他にもいたとヒーローは驚いていた。
あれはマサキが落ち込んでいる自分を慰めるために使った方便だと思っていた。
でもマサキと接点のないはずの持ち主は、マサキと同じことを口にしたのだ。
驚かないわけがない。
「それでさ、これからも、そばで応援してくれないかな。本当は僕がヒーローを応援しないといけないんだろうけど、できれば、今は応援されたい。勇気を出すために背中を押してくれたら嬉しい。だから、戻ってきてくれないかな」
これからの人生でまだまだ挑戦しなければならないことは多いし、子供の自分では乗り越えられないこともたくさんある。
自分が忘れておいて図々しいかもしれないし、これまでヒーローが一人で頑張ってきた分、本当なら自分が応援しなきゃいけないんだろうと思う。
でも、自分がこのぬいぐるみのヒーローに求めているのは、やっぱりヒーローなのだ。
自分に勇気をくれるヒーローとして側にいてほしい。
彼が素直に戻ってきてほしい理由を伝えると、ヒーローは仮面の下で目を見開いた。
「本当?本当に必要としてくれているの?またボクはキミを勇気づけてあげられる?」
「うん。こんなところに迷い込ませるほどほったらかしにしておいて、信用してもらえるかどうかわからないけど、必要としているのは本当だよ」
彼の言葉に嘘はなさそうだ。
エカテリーナがそう思って隣を見ると、ヒーローの方も同じ印象だったようだ。
ヒーローが体をこちらに向けてエカテリーナの方を見たので、好きにすればいいとエカテリーナは小さく頭を縦に振った。
その後押しを受けてヒーローは体の向きを彼の方に戻すと、直立して言った。
「わかった。一緒に行くよ。でも、ここを出る前に挨拶したい人がいるんだ。とてもお世話になったから、その人に何も言わずに出て行きたくない。せめて感謝の言葉だけでも伝えさせてもらいたい。だから、その時間だけ待ってもらっていいかな」
ヒーローがそう言うと、彼は嬉しそうに笑った。
本当なら忘れてしまっていたことを咎められても仕方がないのに、ヒーローは自分が必要なら、また勇気をくれると言ってくれた。
見た目がかわいいぬいぐるみであっても、話をしてみれば、ヒーローの精神を宿しているかっこいい存在だった。
これまでもきっと、この精神を無言で伝えてくれていたのだろう。
そしてそんなヒーローが、幼い自分に勇気をくれたヒーローが自分と一緒に家に帰ってきてくれる。
それに比べたら少し待つくらい些末なことだ。
「そうなんだね。じゃあ、挨拶が終わるのを待ってるよ」
「ありがとう」
ヒーローが小さくぺこりと頭を下げると、セバスチャンが言った。
「では一旦、その方との面会のために私たちは失礼します。その間にこちらのお菓子を召し上がってください」
「おいしそうです。いただきます」
彼はそう言うとお菓子を頬張り始めた。
その様子を微笑ましく見ながら、セバスチャンはヒーローとエカテリーナを抱えて応接室を出る。
そして、マサキの客室を訪ねるのだった。
「どうだった?」
彼らが応接室にいる間にどうにか自分の体を動かす感覚を取り戻したマサキが、セバスチャンからぬいぐるみを受け取り、自分の目線の高さに合わせて持ち上げてから尋ねると、ヒーローはまっすぐマサキを見たまま質問に答えた。
「うん。ボクはあの子のところに帰ることにしたよ」
ヒーローの言葉にやっぱりそうなったかとマサキは少し寂しそうな表情を浮かべる。
「そっか。よかったな。もし何かあったら……」
腕をおろし、ぬいぐるみを膝に乗せると、心配そうに頭をなでながら言ったマサキの言葉をヒーローは遮った。
そして、膝の上に立ってマサキを見上げて言う。
「大丈夫だよ。ポクこのことをたくさん考えてくれてありがとう。最初に会った時は人間の姿でヒーロースーツ着てて見た目がかっこよくてうらやましいだけだったけど、今はボクを応援してくれる優しい人だってことも知ってる。それにどうしてマサキがあんなことをしていたのかもね。そういう努力ができるんだから、きっとボクよりずっとかっこいいヒーローになれると思う。たくさんのここに来ちゃった人形たちに力を与えられるヒーローにね!」
マサキと話をして、彼がここの人形たちの、そして館に来る客人の気持ちに寄り添う方法を模索するために努力していたことを知った。
だから自分で役に立てるならと、快くこの体を貸したのだ。
そしてマサキは今、持ち主のところに戻ろうとしている自分をきちんと気にかけてくれている。
心配している内容だって的外れではない。
だからマサキはもう一人前だと思っている。
「そんなことないよ。それにキミは元からみんなのヒーローじゃないか」
マサキからすれば自分にも力を貸してくれたヒーローだ。
そう伝えると、ヒーローは珍しくそれを否定して首を横に振った。
「違うよ。ボクは誰かのヒーローになるために作られたものではあるけど、みんなのヒーローじゃないんだ」
「じゃあキミは自分を何だと思うの?」
マサキの問いに、すでにたどり着いた答えをヒーローは口にした。
「ボクは多分、あの子のヒーローなんだ」
もしみんなのヒーローだったなら、世の中のすべての人が自分を忘れない限りここに迷い込むことはなかっただろう。
でも、持ち主であるあの子の記憶から自分がなくなっただけでここに迷い込んでしまった。
それこそ自分が皆のものではなく、あの子のものである証だ。
その彼がこうして自分を再び必要としてくれて、そして迎えに来てくれた。
だから自分がヒーローであり続けるためには彼の元に戻るべき、それがたどり着いた答えだとヒーローはマサキに伝えた。




