忘れられたお嬢様(2)
セバスチャンがいなくなったのと、エカテリーナが少し離れた位置にいることに安堵した女の子は小さく息をついた。
セバスチャンはソファーに座っている女の子に紅茶とクッキーを出すと、自分はエカテリーナの椅子の後ろに控えた。
「久々のお客様で嬉しいわ。遠慮しないで食べてちょうだい」
エカテリーナが小さな腕を動かして、クッキーを指すと、女の子はうなずいた。
「うん、ありがとう」
女の子がクッキーに手を伸ばして口に入れたところでエカテリーナが言った。
「ところで、今日は一人で遊んでいてここにきてしまったの?」
「うん」
ここに着いた女の子は連れがいるわけでも、親などとはぐれた感じではなく、ただ道を歩いていたら知らない場所に出てしまった、迷い人といった様子だった。
エカテリーナが確認すると、どうやらその認識で間違いないらしい。
ここがどこかはよくわからないけれど、道を教えてあげれば自分で帰れるようだ。
「ねぇ、あなたはいつも一人で遊んでいるのかしら?」
「そうだよ」
彼女は小学校低学年くらいに見える女の子だが、小学生ならば学校に行っているだろうし、遊ぶにしても友達と一緒のはずだ。
けれどこの子は違うらしい。
「それはどうしてなのかしら。いじめられたりしているの?」
不思議に思ったエカテリーナが尋ねると、女の子はクッキーを口に入れた。
そしてゆっくり咀嚼すると、考えがまとまったのかようやく口を開いた。
「そんなことないけど、何話していいかわかんないし、もうグループができちゃってるから、入れなくて。それにあんまり仲良くなっても、後で辛いだけだから」
寂しそうに言ううつむいた女の子にエカテリーナは小さな体を傾けて尋ねる。
「あら、どうして?」
エカテリーナのサイズなら、座ったままでも体を傾ければ、人間の女の子がうつむいた状態でも下からのぞき込める。
エカテリーナがそうすると、視線を動かした女の子と目が合った。
女の子はここまで話したのだからと、顔を上げてエカテリーナを正面から見ると話を続けた。
「私ね、親の都合でよくお引越しするから、学校もすぐ変わっちゃうの。もちろん、みんな気にして話しかけてくれたけど、でもずっと一緒にいる人の話は分からないことばっかりで、つまらないから」
最初は引っ越した先でも友達を作ろうと努力した。
けれどそうして仲良くなってもすぐにお別れの日が来てしまう。
そしてまた新しい場所で一から関係を作らなければならない。
そんなことが続けば、どうせ離れるのだし、仲良くなればなるほど別れがつらくなるのだからと、自ら距離を縮めることをしなくなった。
それに仲間はずれにはされないものの、共有できるものの多い人たちと一緒にいると、自分には理解できない場面があり、そのたびにどうしても疎外感を覚えてしまう。
だからそんな彼らと一緒にいること自体がつらくなる。
だから縮めるどころか自ら距離を置くようになったのだという。
「そうだったの。じゃあ、あなたがこの近所にいる間、私でよければお話し相手になるわ。こう見えても随分と長くここにいるから、もしかしたら相談相手にくらいはなれるかもしれないし、外には出られないけれど、屋敷の中でなら動いて遊ぶこともできるわ」
「いいの?」
予期せぬ申し出に女の子は驚いているが、エカテリーナはむしろ歓迎するという。
「ええ。久々と言ったでしょう。めったに来客がないから暇なのよ。私はあなたから外の話を聞かせてほしいわ。ここからだと今日のお天気くらいしかわからないのよ」
ここにいるとドアを開けた先に見えるものか、窓越しに見えるものくらいしか外を知る術がない。
だから女の子の体験したこと、外で見た珍しいもの、何でもいいから聞かせてほしい。
エカテリーナがそう言うと女の子はうなずいた。
「わかった。じゃあ、またくる。でも、どうやったら帰れるかなぁ」
そもそも知らぬ間にここに着いてしまって、見覚えのない場所だから途方に暮れてドアを叩いたのだ。
でも今は、エカテリーナと話をしたこともあって、不安は残っていない。
むしろまたここに来たいけれど、道を忘れてこられなくなることの方が不安だ。
女の子がじっとエカテリーナを見ていると、エカテリーナは言った。
「それは外に出ればわかるわ。来るときも、ここに行こうと強く思えばたどり着けるはずよ」
「不思議だね」
そんな簡単なことで本当にここと行き来ができるのかと女の子は訝しんだが、それがここに来るために必要なことなら、そう願って行動するしかない。
普通なら信じられないことかもしれないが、今目の前に起きていること自体がすでに不思議なことなのだから、エカテリーナの言葉を信じない理由もない。
「そうね。でも、私たちはいつでもここにいるから、思い出した時に遊びに来ればいいわ。無理をする必要もなければ、毎日来る必要もない。事前の連絡も不要よ。外でお友達ができたら、その子たちを優先してもいいの。いつでも待っているわ」
生真面目そうな女の子なので、エカテリーナは彼女と次に会う約束をあえてしない。
約束してしまったら来なければならないと考えてしまう可能性が高いからだ。
同時にいつでもいいと伝えておけば、ここは彼女の逃げ場になる。
相談相手くらいにしかなれないが、気を紛らわす相手にくらいはなれるはずだ。
「うん。寂しくなったら来る」
「それがいいわ」
女の子は賢く、エカテリーナの言葉を正しく理解していた。
「ありがとう。えっと……」
いまさら名前をきちんと憶えていなかったことに気が付いたのか、女の子がそわそわしだしたため、エカテリーナが改めて名を名乗った。
「そうだわ。私たちが呼びあっているのしか聞いていなかったわね。改めまして、私の名前はエカテリーナ。後ろにいるのはセバスチャンよ」
エカテリーナがそう言うと、セバスチャンは自分の名前のところで軽く会釈をする。
すると女の子は座ったまま姿勢を正すと、二人を見て言った。
「エカテリーナ、セバスチャン、今日はありがとう。ここに着いた時は不安だったけど、もう自分で帰れる気がする。また遊びに来るね。クッキーおいしかったです。ごちそうさまでした」
女の子はそう言うとここに来た時とは一転晴れやかな表情で立ち上がった。
「はい。お待ちしております」
セバスチャンがそう答えると、彼はそれとなくエカテリーナを抱き上げた。
そして二人で女の子を送り出したのだった。




