迷い人の居候(3)
「ああそうだわ。もしよかったら、帰りたくない理由を教えてもらえるかしら?」
マサキからすればいきなり核心を突く質問だったが、先ほどのエカテリーナの言葉でかたくなになる必要はないと判断したマサキは、聞かれたことに答えることにした。
ただ、楽しく聞けるような明るい話ではない。
それにこれは自分の感情の問題で、外から見たら些末なことと片付けられやすい内容だ。
これまでそうして誰にも理解されなかったので話すことをやめてしまっていたことだが、彼らなら理解してくれるかもしれない。
されなくても、そんなことかと流されず受け止めてもらえるかもしれない。
そんな期待を込めながらもマサキは前置きした。
「そうですね。別に悪いことをして逃げてるというわけではないので、お話ししてもいいのですが、聞いてて楽しい話ではないですよ」
「ええ。ここに来る大半はそういう事情を持っているから、無理に明るい話をする必要はないし、私たちを楽しませようとする必要はないわ。思うままに話してもらえればいいし、しばらく滞在するのなら、気が向いた時でもいいし、明日でも構わないわ。知らない場所に来たのだし不安も多いでしょうから」
楽しい話でもなければ深い話でもない。
自分の心持ちの問題だと片付けられがちなものだと念を押すが、エカテリーナはそれなら話したくなったら話せばいいし、今話したいことを話したいところだけ話せばいいと言った。
マサキはその言葉に甘えて、最低限のことだけを説明した。
家でも外でもどこにいても、利用されるだけ利用され、こちらが頼りたくても話すら聞いてもらえない。
方々から搾取された生活のせいで独立して家から離れることもできないまま、今に至る。
一方的に搾取されるだけの人生に疲れ、その根源の一つでもある家には帰りたくない。
だからどこに行くにも足取りが重く、常にそのような感情が思考の大半を占めてしまっていた。
歩きなれた道なのだから、そんな感情があろうとも迷うことはないはずだったのだが、今日は気が付けばこの家の前にいたのだ。
「ねえ、もしかしてあなたは、周りから忘れられたいと思っているのではない?」
エカテリーナの言葉を聞いたマサキは思わず眉間にしわを寄せた。
「忘れられたい?」
「普通は忘れられたくないと思うものだと思うけれど、私にはあなたが、これまでかかわった人たちに自分のことを忘れてほしくて仕方がないと思っているように見えるわ」
行き場を失ったのではなく、必要でなくなるまで身を隠したいと無意識に思っているのではないかとエカテリーナはマサキに言う。
心当たりがないかと問われると、考えたことはなかったけれど、改めて考えれば逃げられるなら逃げたいとは思う。
ここにいれば、少なくともこれまで自分をいいように利用してきた人間に出会うことはなさそうだし、強制されたことをやらずに済み、居たくない場所に行くことも身を置くこともしなくていい。
そうしているうちに相手が自分を必要としなくなってくれたら、その時、自分は人生を一からやり直せるように思える。
けれどそんなに都合よくいくものか。
それに本当にすべてから必要とされなくなったら、自分は生きていけないことも知っている。
人生をやり直そうにも雇ってもらえるところはないということになるし、それでは生活できないのと同義だ。
マサキは思わず口にした。
「確かにこれまでの環境で、また利用される生き方をするくらいなら、忘れられていた方がありがたくはありますが」
マサキはそう口にしてふと気づいた。
別にすべての人に忘れられたいわけではない。
自分に害のない人には覚えていてもらいたいとは思う。
単に自分はこれ以上、都合よく利用されたくないだけだ。
でも本当に自分の周りにいる人が、自分を利用することを考えず付き合いをしてくれていたかと言われたらそこは悩ましい。
「ああでも、今私を覚えている人のすべては、自分を都合よく利用しようとしてくる人しかいませんから、全員に忘れられても問題ない気がしますね。自分なんていなくても世の中も地球も回っていきますから。だったら、利用されない人生を送りたい、送りたかったなと」
ふと、ここが現世と隔離されている場所なら、自分の人生は利用されたくないという強い感情に支配されたまま終えてしまったのかもしれない。
そう考えれば納得できる。
何となく受け入れてしまっていたが、そもそもこの家の主がウサギのぬいぐるみで、さらにそこに仕えている執事がいる状況など普通ならあり得ない。
ようやく少し冷静になってきたマサキは、この場所が普通ではないのだと、ようやく思い至った。
「ここに来たからといって帰れないわけではないわ。ここを出るのも留まるのもあなたが決めていいのだもの。ここに来るものたちだって、帰る場所を見つけたらそこに戻っていくし、空に還ることもあるの。あと、持ち主や関係者がお迎えに来たりもするわ」
自分はもう死んだのだとそう判断したことを察したエカテリーナが、先んじてそうではないと告げる。
あなたは死んでいないし帰ることはできるのだと。
けれどマサキはそれを聞いて表情を暗くした。
「私を迎えに来る人なんていますかね……」
「わからないわ。本当にあなたを心配している人が現れたなら、その時は、その方がここに来るかもしれないわね」
それを聞いたマサキは小さくため息をついた。
利用できる人間がいなくて困った結果迎えに来られても嬉しくはない。
本当に心配してくれるような人間が自分のそばにいたのなら、今の状況をせめて憐れんでくれたことだろう。
離れて必要だと気付く可能性のある人がいないこともないが、それは都合が悪くなったり不便を感じたりするようになっただけだろう。
そんな人間が自分を心配しているわけがない。
改めて考えると自分の周りにはそういう人間しかいなかったのだなと残念な気持ちになる。
マサキが落ち込んだ様子を見せるとエカテリーナが言った。
「まあいいわ。じゃあ、今日から帰りたいと思うまで、この館にいてちょうだい。それから、お迎えが来たからって無理についていく必要もないの。あなたが残りたければその間はずっといていいのよ。他の子たちもそうしているのだから。それに突然こんなところに迷い込んだのだもの。疲れていても緊張で疲れを感じなくなってしまっているかもしれないわ。セバスチャン、マサキをお部屋に案内してあげて」
「はい、かしこまりました。では、ご案内いたします」
そう言って先導するため、マサキはセバスチャンの後を追いかけた。
そして応接室を出て、案内されたのはロビーの階段を上った二階の一室だった。
「滞在中はこちらを自分のお部屋としてお使いください。夕食のお時間になりましたらお声がけいたします。ベッドや机など最低限のものしかありませんので、他に御用入りのものがありましたら申し付けください。それでは夕食までどうぞごゆっくりお過ごしください」
セバスチャンはそう言うと、自分は外に立ってドアを抑えたままマサキを中に通した。
中に入ったマサキはとりあえずお礼を伝える。
「ありがとうございます。よろしくお願いします」
それを聞いたセバスチャンは静かにドアを閉めて応接室へと戻っていった。
ここからマサキの館での居候生活が始まることになるのだった。




