迷い人の居候(1)
ありきたりな日常を過ごすことになると思われたその日、珍しくドアから人間のお客様と思われる人が現れた。
いきなりドアが開けられたわけではなく、ノッカーが使われ、客人の知らせが館内に届く。
それを聞いたセバスチャンはエカテリーナを腕に抱えてドアを開けた。
「あの……すみません」
ドアから少し離れた位置で立っていた一人の青年はセバスチャンに向かっておずおずと言う。
それに答えたのはウサギのぬいぐるみ姿のエカテリーナだ。
「どなたかお探しかしら?」
エカテリーナの声を聞いて、大きく目を見開いた青年だが、明らかにセバスチャンの声ではないと判断し辺りを見回して困惑する。
この執事が、女の子のかわいらしい声なはずがない。
けれど質問以降何も話しかけられないため、とりあえず先ほどの質問に答えなければ話は進まないだろうと判断し、目を泳がせながら答えた。
「いえ、道に迷ってしまいまして、気がついたらこちらに足が向いていました……」
再度セバスチャンを見て答えると、やはり同じ声がする。
「何かお探しとかではないの?」
二回目でようやくその声の主がセバスチャンの腕の中のぬいぐるみであることに気が付いた青年は、今度はぬいぐるみを凝視しながら答えた。
「いえ、特には……」
別に探し物をしていたわけではない。
考え事をしていたらここにきてしまった。
たぶんぼんやりしていたので知らない道には行ってしまっただけだろうと本人は考えている。
「そうなのね。じゃあ、特にここには用事はないということかしら?」
再びウサギから声がしたので、自分が会話すべきはウサギを抱えている男性ではなく、このウサギのぬいぐるみで間違いないと判断し、青年は視線をウサギに変えて答える。
「まあ、そうですね……」
そもそもどこかに用事があって歩いていたわけではない。
当てなどなかった。
「そう。ところでここにはどうやってたどり着いたのかしら?」
「どうって……、気がついたらいたんです、ここに」
どうやって来たかと言われても気が付いたらいたのだ。
自分はただの迷子でしかないはずなので、聞かれている言葉の意図が読めない。
「あら、じゃあ、どうやって来たのかわからないの?」
「はい……」
「困ったわね……」
そこまで話すとウサギは両耳をぴょこぴょこと違う方向に動かしてから、男性を見上げた。
「どうされましたか?」
エカテリーナが自分の方を見たので、ようやくセバスチャンが声を出す。
「いえね、どうやって来たのかわからないという事は、帰り方がわからないという事じゃない?」
「さようでございますね」
「ここから出て館に帰れるわけでもなく、館からもとの場所に帰れるわけでもなく……。それじゃあ、どうしたらいいのかしら?」
ここで彼を追い返したら、おそらく彼はここにたどり着けない。
明確に人形を探しに来たとか、ここを目指したいという意思がないからだ。
けれど館を出たからといって元の場所に帰れるかと言われるとそれも疑問だ。
それこそ、生涯戻れなくなるような道をさまよい続けることになってしまうかもしれない。
彼がここにたどり着いたのは何かの縁があってのことだろう。
エカテリーナとセバスチャンがどうすべきかと話をしていると、彼は迷惑をかけているのだと判断し、後ずさった。
「あの、ご迷惑でしたら出ていきますので……」
そう言って頭を下げて離れようとしたのをエカテリーナは止めた。
「そうねぇ……。とりあえず、ここでお休みしてみたらどうかしら?立ち話もなんだし、なんだか疲れているようだもの。時間はあるのでしょう?中に入ってちょうだい。そのまま応接室に行きましょう」
エカテリーナが言うと、セバスチャンが彼を招き入れた。
「すみません、お邪魔します」
確かにここで立ち話をしていても埒が明かない。
せっかく入れてもらえるというのなら、その言葉に甘えよう。
彼はそう決めて、館の中に足を踏み入れたのだった。
青年はソファーに座らされ、エカテリーナはその向かいの専用の椅子に置かれると、セバスチャンは奥に引っ込みほどなくお茶と焼き菓子を持って現れた。
「何かお困りごとがおありなのでしょうか?」
そう言ってお茶とお菓子を青年の前に置く。
彼は申し訳なさそうに少々委縮気味にセバスチャンの質問に答えた。
「何で来たのかわからないのですが、そもそもどこに帰ればいいのかもよくわからなくて」
彼の言葉にエカテリーナは心配そうに尋ねる。
「もしかして記憶をなくしているの?」
「そういうわけではなく……」
言葉の選び方を間違えたと青年は困惑するも、エカテリーナはどうにかしてあげたいと質問を続けてくる。
「帰り方がわからないのではなく、帰る場所がわからないということかしら?」
「いえ……」
彼の答えにエカテリーナは少し考えるしぐさをしてから、セバスチャンに声をかけた。
「その状態でここから出るのは危険よね。どうしようかしら」
「とりあえずこちらに滞在していただいてはいかがでしょう」
セバスチャンの答えにいいアイデアだと手をポンと叩いたエカテリーナが青年に言った。
「ああ、それはいいわね。あなた、行き場がないのならここに泊まっていらっしゃいな」
「いいんですか?」
自分の事情も素性も何も明かしていないのに、彼らは善意で泊っていけという。
別に彼らに悪さをするつもりはないが不用心ではないかと思ってしまうが、それでも今の自分にその申し出はありがたい。
「その状態で放り出すわけにはいかないもの。それに休んだら何か思い出すかもしれないでしょう?」
「あ、はい……」
一度否定はしたけれど、彼らは自分が記憶を失って彷徨っているのが有力だと思ったらしい。
別に記憶喪失ではないのだが、それを説明すべきかと悩んでいると、エカテリーナは耳を動かしながら言った。
「あまり深く考える必要はないわ。少なくともあなたはここに来られたのだから、害のある人間ではないと思うの。とりあえず部屋を用意した方がいいわね。セバスチャン、客室の用意をお願いできるかしら」
「かしこまりました」
そう言うとセバスチャンは客室を用意すると退室した。
そうして彼は、ウサギのぬいぐるみと応接室に残されたのだった。




