不安定な環境と精神不安と一時避難(1)
とりあえず館に残ることになったクマの小さなぬいぐるみは、たくさんの仲間たちの中に戻された。
彼らは動きも語りもしなかったが、そこに漂う空気から、クマが受け入れられたことが分かった。
訪ねてきた相手の扱いが微妙だったこともあって、クマが不幸を回避できたことを喜んでいるのだろう。
そんな中、せっかく部屋に来たのだからと、より良い体を発掘すべく、積みあがったたくさんの子たちの中に潜り込んでみたが、エカテリーナは結局、とっさに選んだウサギで生活を送ることに決めた。
何となく体になじみがいいのと、重さや大きさが前の人形に似通っているため動きやすいことも大きい。
そうして用事を終えたエカテリーナは、セバスチャンに抱えられて部屋を出た。
そして応接室に向かうべくエントランスに続く階段を下りていると、エントランスの床にポツンとぬいぐるみが一体落ちている。
エカテリーナだけではなく、セバスチャンもそれに気が付いたのか、階段の踊り場に足を止めてそれを観察する。
「あの子はどうしたのかしら?」
エカテリーナの言葉にセバスチャンの眉間にしわが寄る。
最後にエントランスを通ったのはほんの数分前だ。
応接室から向かったので当然ここを通っている。
その段階で落ちていたらそこで気が付いているはずだ。
その時にはおらず、戻ってきたらいたのだから、その数分の間にこの子はここにやってきたことになる。
「先ほどまではおりませんでしたが」
ぬいぐるみはエントランスのドア付近という目立つ場所に落ちている。
だから見落とすことはあり得ない。
「ええそうね。それに、人形たちが部屋から抜けだした形跡はなかったし、忘れられた子ならここではなく部屋に直接行くと思うから……、お客様でいいのかしら」
基本的に忘れられた子はなぜか直接部屋に行く。
部屋の誰かが呼んでいるのか、磁石のようにひきつけられているのかは不明だが、エントランスを通っているのを見たことがない。
気が付いたら新しい子は仲間の山の中に埋もれているのだ。
でもこの子はそうではない。
となると、何か特殊な事情があるのだろう。
「そうですね。とりあえず事情をうかがってみましょうか」
「それがいいわ」
まずは本人に確認してみる。
話をして二人の意見が一致したところで、セバスチャンはエカテリーナを抱えてエントランスの子に近づいた。
「あなた、どうしたの?」
エカテリーナが話しかけると、エントランスのカーペットに転がっていた体が動いた。
「あの、ここは?」
体を起こしながら辺りを見回して不思議そうにしている子に、エカテリーナが説明する。
「ここは人々に忘れられた人形やぬいぐるみが集まるところの一つよ」
エカテリーナがそう言うと、その子は座り込むような体勢でつぶやく。
「忘れられた……」
「ええ、基本的には。もちろん例外もあるわ」
「例外……」
何が何やらわからないといった様子の子にエカテリーナは言った。
「とりあえず座ってお話をしましょう。落ち着いたら状況を思い出すかもしれないわ。ゆっくり休んでいってちょうだい」
「ありがとうございます」
その子はそう言うと、とりあえず自分で動き出した。
けれど体を動かすとすぐに転がってしまう。
「自分で立つのは難しいのかしら?」
「あ、あれ?」
どうやらぬいぐるみとして動く経験が浅いようで、重心がうまくとれず、体を起こして動こうとするたびに転ぶ。
そうなると、まずここまでどうやって来たのかという謎が残るところだが、もしかしたらこの館が勝手に引っ張ってきてしまったのかもしれない。
ドアのベルは鳴らされていないし、エントランスの扉を開けた形跡もない。
訪ねてきたというにはあまりに不自然だ。
エカテリーナがそんなことを考えている間にも、その子はどうにかしようと必死に体を動かしている。
二人はしばらく様子を見ていたが、あまりに何度もそのようなことを繰り返していたので、ついにセバスチャンが声をかけた。
「僭越ながら私があなた様を抱えても?」
「あ、はい、お願いします」
その子は自分で立つことを諦め、セバスチャンの提案に乗った。
セバスチャンはすぐにその子に手を伸ばして、エカテリーナを抱えているのと同じ腕に挟みこむ。
これで二人がならんでセバスチャンの腕から顔を出した状態だ。
エカテリーナの方が体が小さいので抜け落ちそうだが、そこはぬいぐるみの体を使い慣れているエカテリーナが、自分でしっかりぶら下がる体制を取っているので問題はない。
それで二人が落ちないことを確認すると、セバスチャンは応接室に連れて行くのだった。
セバスチャンは応接室に入ると、まず落ちていたお客様をソファーに座らせた。
そしてそのままエカテリーナをその正面のいつもの椅子に座らせると、そのままエカテリーナの後ろに控える。
人間のお客様ならお茶を出すところだが、今日のお客様はぬいぐるみのため、お茶やお菓子は不要だと判断したためだ。
「あの、運んでもらってありがとうございます」
運ばれたからか座らされたからか時間が経ったからかは不明だが、まずその子はそう言った。
まだ状況は呑み込めていないが、冷静さは取り戻したらしい。
その子はソファーの上で軽く会釈する。
「お役に立てて何よりでございました」
セバスチャンはそう言うと、相手に微笑みながらそう返した。
すぐに二人の会話が終わったので、そのタイミングでエカテリーナが話し始める。
「紹介がまだだったわね。私はこの館の主のエカテリーナ、彼は私の身の回りの世話をしてくれているセバスチャンよ。さっそくで申し訳ないのだけれど、お話を聞かせてもらえるかしら。そこにあなたがここに迷い込んだヒントがあると思うわ。もしかしたら帰るための糸口も見つかるかもしれない。お願いできるかしら」
「わかりました」
自分ではなぜここにいるのかわからない。
そして彼らが悪い人ではないことは感覚的に理解できる。
この場所がどこかは不明だけれど、ウサギのぬいぐるみの話から察するに、元の場所に戻ることは可能らしい。
なによりも今後の方針を決めるためにも現状把握が大切だ。
そう考えたぬいぐるみは、情報集めの一環と腹をくくって、ぽつぽつと先ほどまでの出来事を口に出し始めたのだった。




